【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

松本龍・環境大臣、議長の木づち高々と 国連・名古屋議定書が午前1時29分の採択

2010年10月30日 23時59分07秒 | 第193回通常国会(2017年1月から6月まで)学校法人森友・加計学園国会

[画像]日本時刻2010年10月30日午前3時、国連COP10名古屋会議の閉会を宣言した松本龍・議長(環境大臣)=NHK映像からキャプチャ

 午前1時29分、8年越しの交渉の末、名古屋議定書(ナゴヤ・プロトコル)が採択されました。環境大臣の民主党衆院議員、松本龍さんは、多国間条約締結という唯一かつ最高の成果を上げて、国連COP10名古屋会議の閉幕を午前3時に宣言し、議長の木づちを高々と持ち上げました。世界各国の参加者は抱き合って喜び、そして別れを惜しんだと報じられています。国際会議や多国間(マルチ・ラテラル)交渉に弱いわが国。名古屋会議も「植民地時代」まで話が戻ったり、会期を延長したりということになりましたが、最後は議長案をわずかに修正した文書が採択されました。

 名古屋議定書は企業が遺伝資源を利用する場合に得られる利益を金銭の支払いや共同研究などを通じて、原産国と分け合う国際ルールで法定機構速力がある。今後、批准の意思を示す各国の署名を2011年2月から1年間、ニューヨークの国連本部で受け付け、50カ国目の批准が完了した90日後に発効する、ということだそうです。

 私はときどき、ダーウィンの発見って無かった方がよかったような気がするときもあります。でも人類は進歩、すなわち前に進まないと生きていけません。先進国・途上国の立場を尊重し合い、遺伝資源の利用によってもたらされる利益の配分をルール化したことで、食料品や医薬品の開発などがしやすくなるでしょう。山中伸弥教授のような基礎研究に限らず、応用分野、ローテクノロジー分野でも日本はバイオ研究・産業の米国に次ぐトップリーダーです。21世紀の数々のピンチをチャンスに変えて、地球上のすべての生き物の共生を実現していきたいものです。バイオ産業による日本の自立と、各国との共生、そして、すべての生き物との共生へとつなげていきたいものです。

 日本の都市名を冠した多国間条約は、1997年の「京都議定書(キョウト・プロトコル)」以来になるのではないでしょうか。気候変動(地球温暖化)の方の国連COP3京都会議では、議長は大木浩さんが務めました。大木さんは外務官僚(ホノルル総領事など)から自民党参議院議員になり、京都会議対策のために内閣改造で環境庁長官になったとされる人物です。戦後の日本を作った「サンフランシスコ講和条約」を太田一郎外務次官らとともに自ら書き、サンフランシスコ講和会議で日本の全権(大使)を務めた吉田茂首相も外交官でした。一方、松本龍さんは、3世議員で父(参院議員)の秘書から衆議院議員になりました。外交官や官僚などの経験のない「党人政治家」です。党人政治家が我が国で開かれた国際会議の議長として多国間条約を締結に導いたというのは、おそらく初めてなのではないか、と思います。

 
[画像]名古屋議定書を締結した上での会議閉会を喜ぶ参加者(NHK映像)

 松本さんは午前3時からの記者会見で「私の力はごくわずかだが、これまでのたくさんの人たちの思いが私に乗り移り、成功に導いてくれた」と述べました。『官僚たちの夏』さながらの「国益のために、いや人類益のために」という志を持った環境省官僚たちの努力を、松本大臣が信頼とテクニックでまとめ上げたのでしょう。これがホントウの「政治主導」です。これに先立ち松本さんは、会議のもう一つの主要議題となった2020年までの世界目標の名前を採択直前に「愛知ターゲット」と名付けました。名古屋会議の開催に協力してくれた愛知県、名古屋市の両自治体に敬意を表したのだと思います。

 京都会議に続き、我が国の外交史に残った名古屋会議。9月の代表選で松本さんは福岡県連の若手らをまとめて菅直人総理の続投に貢献しましたが、その菅さんは議長としてもうすぐAPEC横浜会議を迎えます。菅議長も張り切りすぎずに、官僚や仲間を信頼してください。参加国(地域)はわずか21カ国(地域)で、多国間条約を締結するわけでもありません。会議の参加者も大統領ないしは首相なのですから。まずは笑顔で出迎えるところからスタートです。

  
[画像]松本龍・環境大臣が高々と振り上げた議長の木槌(NHK映像)

「名古屋議定書」を採択=対立乗り越え利益配分ルール―COP10(時事通信) - goo ニュース

名古屋市で開催中の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)は最終日の29日夜から30日未明にかけて全体会合を開き、途上国と先進国との対立が続いていた生物遺伝資源の利益配分ルール「名古屋議定書」を全会一致で採択した。議定書は、途上国、先進国双方の主張に配慮した「議長案」として松本龍環境相が同日朝に各国に提示したもので、最終的に193のすべての締約国・地域から支持を得た。同条約が1992年5月に採択されて以来の懸案だったルールづくりが実現した。

 18日開幕の同会議で最大の焦点となった議定書をめぐっては、生物遺伝資源による新薬開発などで得られた利益について、より多くの還元を求める途上国側と、先進国側とが対立。特に途上国側は、新ルールの適用を議定書発効前にさかのぼり、植民地時代に持ち出された資源で開発された新薬なども利益還元対象とすることなどを要求。交渉は難航を極め、議長の松本環境相が事務レベル交渉の期限とした28日中にも合意に至らなかった。

 このため、松本環境相は、ルール適用時期を議定書発効後に限定して先進国側に配慮する一方、途上国側の主張に沿って利益還元の対象を遺伝資源の「派生物」に拡大することなどを盛り込んだ議長案を作り、29日午前に各国に提示した。議長案は途上国側の譲歩を引き出すため、資金援助の必要性も言及。日本政府は議定書採択を前提に10億円の追加支援も表明した。

 しかし、議長案に対する支持が広がりつつも、全体会合は採決の方法などをめぐって紛糾。30日未明になって採択にこぎつけた。このほか、2020年までの生態系保全計画を定める「ポスト2010年目標」についても採択された。その内容は陸地の17%、海域の10%をそれぞれ保護区とすることなどで、「愛知ターゲット」と名付けられた。 

中日新聞:未来へ共生の種 「議定書実行が大切」:環境を考える(CHUNICHI Web) 約3週間の長丁場となったCOP10は30日未明、難産の末、開催地の名を冠した「名古屋議定書」と「愛知ターゲット」を採択。地球の生物多様性の未来に向けた新たな一歩を踏み出した。歴史的な瞬間に立ち会った各国の参加者は喜びを分かち合い、難交渉をまとめた議長国・日本の手腕を評価する声も。今後の実効性に努力する決意も会場にあふれた。=<1>面参照

 

 これが生みの苦しみなのか。日付は、すでに変わっていた。30日午前1時29分。「採択いたします」。異を唱える国がないことを確認し、松本龍環境相が木づちを鳴らす。名古屋議定書が生まれた瞬間だった。 右手で握りこぶしをつくる環境相。会場から割れんばかりの拍手が起き、歓声や口笛が鳴る。皆が立ち上がり、キスをしたり抱き合う姿も。続けて「愛知ターゲット」なども次々採択された。

 「緊張、怒り、ストレス…。そのすべてを感じる難交渉だった。生物多様性にとっての新しい幕開けに立ち会え、誇りに思う」。その瞬間、ブラジル政府のニコル・デ・パウラドミンゴスさん(27)は、ほおを紅潮させた。

 生物資源の効力を植民地時代にまでさかのぼるブラジルら途上国の主張は通らなかった。だが「スケールの大きい交渉は思い通りにはいかない。名古屋議定書が今後、しっかり実行に移されることが大切」と前向きに述べた。

 ドイツの非政府組織(NGO)メンバー、クリスチャン・シュボルザーさんは「70~80点の合格点。歓迎できる結末だった」と笑顔。「議定書の中身の分析が必要」としつつも「日本は非常に良いリーダーシップを見せた」と評価した。

 リベリア政府のヨハンセン・ボーガさん(52)は「各国の妥協の産物には違いないが、何年もかけて作り上げた歴史的な収穫。2週間の議論が無駄にならず、未来につながるよう、中身がもっと現実的になるよう努力したい」と先を見据えた。

 COP10支援実行委員会アドバイザーの香坂玲名古屋市立大准教授は「100点満点の90点を付けても良いのでは」と全体を振り返り、高く評価した。

 暗礁に乗り上げた名古屋議定書の交渉を打ち切らせ、松本環境相が29日朝、提示した議長案。香坂准教授は「日本の大胆な手法が功を奏し、最後に日本が示した10億円の途上国支援策も、議定書採択への誘い水となった」と分析した。

◆松本環境相「たくさんの思い乗り移った」
 「私の力はごくわずかだが、これまでのたくさんの人たちの思いが私に乗り移り、成功に導いてくれた」

 COP10が閉幕して30分後の30日午前3時半に、記者会見した松本龍環境相。議長の大役を終えた疲労感をにじませながらも、「名古屋議定書」の採択にこぎ着けた達成感が満ちあふれた。内閣改造で環境相に就いたのは、COP10目前の9月17日。「ものすごくきつい1カ月半だった。なかでも(閣僚級会合が始まった)27日からは本当にきつい3日間だった」と打ち明けた。

 29日朝、議長案を各国に示した席では「私は物言わぬ生きものたちや言葉をしゃべれない子ども、まだ生まれてきていない人たちの代表でもある」とそれぞれに歩み寄りを求めたという。

 「正直言うと、採択の確信はなかった」とも。「生物多様性を保全するんだという思いを持つ人たちが、あきらめなかった」と関係者への感謝を述べた。議定書が採択された瞬間、会場に拍手と口笛が鳴り響いた。「あの時は泣いた。一生忘れることはないだろう」



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