【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【訃報】ありがとう、さようなら羽田孜先生、老衰で大往生、享年82、「最高」の総理大臣、政権交代可能な二大政党政治を実現

2017年08月28日 13時57分00秒 | 素晴らしき新生党保存会

[写真]羽田孜衆議院議員(当時、左)、右は筆者・宮崎信行、羽田次郎公設秘書(当時)撮影、2012年11月16日、東京・永田町の現在の議員会館で。

 羽田孜さんが、けさ、亡くなりました。

 元内閣総理大臣、羽田孜(はた・つとむ)さんが、きょう、平成29年2017年8月28日(月)午前7時6分、老衰のため、東京都内のご自宅で、お亡くなりになりました。享年82歳。

 葬儀・告別式は、9月8日(金)午後1時から3時まで、東京の青山葬儀所(港区青山2-33-20、電話03の3401の3653)。喪主は妻の、綏子(やすこ)さん。後日、上田市でも「お別れの会」を開催。

 ひょっとすると、読者の方のなかには、私のことだから、なにか予定稿でも書いていたのでないか、と思っておられる方もいるかもしれませんが、そういうものはまったくしていません。ただ、ある意味、私の頭の中には、常に予定稿があった、政権交代ある二大政党政治の過去、現在、未来のことを常に考えていますから、常にこの日のことは予定の中にありました。



[写真]歴代首相湯呑の羽田孜首相の似顔絵と、長野北信から届いたばかりのりんご、2017年8月28日午後1時55分、東京の筆者自宅内で、筆者・宮崎信行撮影。

 実際、こうして、キーボードを打っていて、やや手が震えていますが、淡々と、「歴史」を刻み付けているところです。

 私が羽田先生に最初にお会いしたのは、北沢俊美さんが、参院選に出馬した、平成4年1992年の夏。そのとき驚いたのは、「羽田大蔵大臣」が車列の中で自らマイクで話し続ける。それと我が国の日本の大蔵大臣が地元に入ったからといって、家から飛び出してくるわけでもない。これは最近「祈る必勝」の為書きと同様に、「大蔵大臣の~~」ではなく、「みなさん、こんにちは、はたつとむです!」と肩書きは言わない方でした。国会の外では議員バッジを「世論を知るのにこんな邪魔なものはない」と外していました。

 その後、自民党内の事情もあり、同年秋、羽田派(改革フォーラム21)旗揚げ。私も自民党学生部に在籍しながらも、「政権交代ある二大政党政治、中選挙区の弊害打破」に共鳴し、1993年6月、新生党結党となりました。

 とにかく、羽田先生という方は同じことをおっしゃり続ける方でした。竹下先生、民主の風など様々なことがあり、はじめから苦しいと分かっていても、羽田内閣が退陣した直後に、学生とも触れ合う姿。退陣の記者会見で「もう政局は止めにしよう」と語り、翌日に街頭演説した姿。いま、43歳の、すれた私には、それから、10年以上夢見た「羽田内閣再登板」がなぜできなかったのか。解散すればよかった、居座ればよかった。ちょっとだけ今涙が出てきましたが、必ずしも完璧な政治ではなかったのかもしれない。ただ、私自身、2004年ごろから、岡田克也先生に羽田先生の後継者として総理になってほしいと切に願い、そこで、少しずつ羽田直系と、ほんの一瞬、一瞬、数センチだけ、隣を歩いているときも、常に、羽田先生の政権交代ある二大政党制への邪心のまったくない、思いを、岡田さんとともに、私も共有してきました。そういう意味では、私は、25年経っても、自分で「純粋、ピュア」な政治関係者だと胸を張れますね。

 羽田孜副総理兼外務大臣が答弁してできた、平成6年政治改革4法(政党助成法、衆議院選挙区画定審議会設置法、改正公職選挙法、改正政治資金規正法)を、守り抜いていきたいと考えます。

 まあちょっとよくまとまらないのですが、羽田先生と同じ、東京生まれの信州人であることを誇りに思います。

 私は最近率直に話し過ぎて、民進党代表記者会見で、現在の連合会長のことを「連合発足以来、最低最悪の会長ですよ」と言ってしまい、物議を醸しました。羽田内閣は64日間と、現行憲法下で、最短の内閣ですが、第80代羽田内閣は、明治維新以降、最高の内閣だと断言します。

 とりあえず、現時点ではここまで書きました。

 2017年8月28日の東京は、久しぶりに30度を切っています。夕方はゲリラ豪雨という日が多いという夏でした。昼に、長野市(北信)の親戚と話したばかりですが、天候が暑いので、早いりんごが8月でも獲れています。これは、いたしかゆし、か。国会は閉会中ですから、のんびりムード。羽田内閣ができたころの、熱狂はありませんが、その後、阪神大震災・オウム事件などいろいろなことがありましたが、2009年9月には選挙による、政権交代で、民主党内閣が3年3カ月続きました。それだけですべてが良かったのかな、と感じます。天皇(明仁さん)、皇后(美智子さん)両陛下が、先週、軽井沢近くの満蒙開拓団から引き上げた人が開拓した土地を慰労しました。来年、平成30年で、「平成」が終わることになりそうです。

 とにかく、まとまらないのですが、初投稿の、28日午後1時51分の時点ではここまです。

【追記 同日午後7時半】

 羽田さんは、最近は、しばらく入院されていたそうですが、医師から帰宅して良い、と言われたそうです。

 一つの時代の終わりということで、「1993年夏の衆院選は本当に燃えた。2009年夏よりずっとあつかった」という話が聞かれました。

 代々、太りやすい体質だそうで、伊豆半島のニンジンジュースダイエットなどにも、羽田さんはよく通っていたそうです。

 同日午後4時台に、東京・有楽町で開かれた、前原誠司さんと枝野幸男さんの民進党代表選の街頭演説会冒頭に、中央代表選挙管理委員会の担当者から、羽田さんの訃報が言及がありました。

 このエントリー記事の本文は以上です。


[国会日程]今週8月31日(木)に参議院議院運営委員会が閉会中審査 人事、概算要求決定

2017年08月28日 10時39分23秒 | 第193回通常国会(2017年1月から6月まで)学校法人森友・加計学園国会

[写真]参議院の議長応接室、2017年5月、筆者・宮崎信行撮影。

 参議院議院運営委員会(山本順三委員長=自民党=)は、今週、31日(木)午前10時10分から、委員会を開くことにしました。理事会は、同時00分から。

 これは、今月3日の内閣改造で、理事や委員が副大臣などになったため。補充で理事や委員を選ぶ手続きが必要になりました。

 2017年8月31日(木)は、財務省が来年度平成30年度の概算要求見積りの締め切り日に指定しているため、参議院での概算要求額を確定して、財務省に送信する必要から、31日までに開く必要性が生じていました。

このエントリーの本文記事は以上です。

(C)2017年、宮崎信行。

[お知らせはじめ]

宮崎信行の今後の政治日程(有料版)を発行しています。

国会傍聴取材支援基金の創設とご協力のお願いをご一読ください。 

このブログは以下のウェブサイトを活用しエントリー(記事)を作成しています。

衆議院インターネット審議中継(衆議院TV)

参議院インターネット審議中継

国会会議録検索システム(国立国会図書館ウェブサイト)

衆議院議案(衆議院ウェブサイト

今国会情報(参議院ウェブサイト)

各省庁の国会提出法案(閣法、各府省庁リンク)

予算書・決算書データベース(財務省ウェブサイト)

インターネット版官報

[お知らせおわり]

Miyazaki Nobuyuki