昨日の昼寝が悪かったのか、昨夜はよく眠れず、今朝はダルい体を抱えて出勤。今日もDPU勤務。
DPUの勤務は申し渡しなどがなく、到着すると患者さんが待っている状態なので、いきなりトップモードにスイッチを入れる必要がある。今日も日帰り手術の人がどっさり。軽い面談と体調を確認して書類処理しても次から次へとやってくる。すべての患者さんの登録を済ませたのが11時過ぎ。それまでノンストップ。あ~疲れた。
ここで休憩に入ってホッと一息。これで緊張の糸が切れたのか、この後はダルさが襲ってきた。しかし手術を終えて患者さんがレストルームに続々と戻ってきている。こちらの作業はヴァイタルサインのチェック、軽食のサービス、点滴針の除去等、言ってしまえばあまり頭を使わなくていい作業が主(患者さんの安全と回復を見守る必要はあるけど、この部屋に来ている時点で急変の可能性は低い)。患者さんへの確認の電話や翌週の準備等頭を使う作業は全部先輩がやってくれたので、肉体派の私は黙々と患者さんのお世話をし続けた。
すべて順調にコトが進み、2時をまわった時点ですべきことはほぼ終了。なんだかんだと仕事を見つけ、終業時間が来たら速攻で病院を後にした。実はダブルシフトを頼まれていたけど「用事がある」と言って断った。寝不足には滅法弱い私。
帰宅したら当然のように爆睡。明日は午後シフトだから今夜眠れなくても平気!と思って心置きなく寝た。とはいっても1時間ほどで目が開いたけどさ。夜は簡単に済ませてずーっとゴロゴロモード。そろそろ食器を洗ってシャワーを浴びて寝る体勢に入ろうと思っている。
ところで。
昨日病棟でのシフト中、長く入院していて回復の見込みがない患者さんがひきつけを2回起こしていた。昨日のブログにも書いたとおり忙しかったので顔を見に行くことはできなかったけど、もうまもなくだろうという話は聞いていた。そして昨夜7時頃に息を引き取ったそうだ。
さらに、私が前にも状態がよくないとチラッと懸念していたおばあさん。昨日のうちに容態が急変してこちらも亡くなった。先週は自分の身の回りのことはほぼ自分でしていたぐらいだったのに、数日前に一度シーツか何かに足をとられて転んだらしい。それを機に一気に下り坂をくだりったとのこと。
不思議なもので、誰かが亡くなると連鎖反応のように続く。この2人の患者さんは、ともにガンを患っている上高齢だったので先が長くないことはわかっていたものの、あまりに急だったので驚きとショックを隠せない。
ショックはさておき。
ここ数日、考えていたことがある。
前者の亡くなった患者さん。年齢は80代後半で手術が不可能なほどにガンが広がっており、緩和ケアに入るのも時間の問題だった。意識はあったものの、自分ではご飯を食べるぐらいしかできなくなっており(しかも少量)、ベッドからイスへ動かすのも、シャワーを浴びるのも2人の介助付き。大きな男性だったのでスタッフだけでは支えきれず、スタンディングホイスト(起立マシン)も使っていた。在宅中は奥さんがずっとお世話をしていたようで、入院中は毎日朝から晩まで来て一緒に時間を過ごしていた。
そんな中、数日前、患者さんのヘモグロビンレベルがうんと下がった。ヘモグロビンレベルが低下すると酸素が十分に体内にいきわたらず、その結果深刻な状態を引き起こす可能性が高い。なので早急な対応が必要とされる。というわけで輸血となった。
しかし。
ここから先は誤解を生むかもしれないけど、それをふまえて書く。
日本でも叫ばれているけれど、ここオーストラリアでも同様に血が不足していることは事実。言葉は悪いが、すでに先が見えている患者さんへの輸血に関する意義について考えていた。
今回の輸血は奥さんの希望もあって早急に行われた。ご家族にしてみれば一日でも長生きしてもらいたいのは当然だろうし、病院側にできることはやってほしいと要請するのは当たり前のことなのでそれを否定はしない。ただこの血液が、今後の回復見込みの高い人に使われる方が有効なんじゃないかという思いが頭の中にあった。これは私が患者さんの家族ではない上、血液不足事情を知り、かつ血液を必要としている人がたくさんいるということも現実として知っている医療従事者であるがゆえに去来する思いだろうとわかっている。だから答えはない。ただ、今後自分が家族の立場になったらどういう選択をするんだろう?という思いがここ数日頭から離れない。間もなく亡くなるだろう人に目一杯の処置をしない(今回の場合、輸血のこと)という選択があること自体、私は“死”に関して神経が麻痺しているんだろうか?とも考えている。
悲しいかな、答えを得るのは“死”が自分の問題として身に降りかかったとき。それまではモンモン考え続けるんやろうな。
さて。
ディープなことばかり書いてないで、そろそろ寝る準備をしよう。疲れているのでDをかまってなかったら、知らない間に寝室へ消えていた。
明日は午後シフト。朝は活動的に過ごしたい。
DPUの勤務は申し渡しなどがなく、到着すると患者さんが待っている状態なので、いきなりトップモードにスイッチを入れる必要がある。今日も日帰り手術の人がどっさり。軽い面談と体調を確認して書類処理しても次から次へとやってくる。すべての患者さんの登録を済ませたのが11時過ぎ。それまでノンストップ。あ~疲れた。
ここで休憩に入ってホッと一息。これで緊張の糸が切れたのか、この後はダルさが襲ってきた。しかし手術を終えて患者さんがレストルームに続々と戻ってきている。こちらの作業はヴァイタルサインのチェック、軽食のサービス、点滴針の除去等、言ってしまえばあまり頭を使わなくていい作業が主(患者さんの安全と回復を見守る必要はあるけど、この部屋に来ている時点で急変の可能性は低い)。患者さんへの確認の電話や翌週の準備等頭を使う作業は全部先輩がやってくれたので、肉体派の私は黙々と患者さんのお世話をし続けた。
すべて順調にコトが進み、2時をまわった時点ですべきことはほぼ終了。なんだかんだと仕事を見つけ、終業時間が来たら速攻で病院を後にした。実はダブルシフトを頼まれていたけど「用事がある」と言って断った。寝不足には滅法弱い私。
帰宅したら当然のように爆睡。明日は午後シフトだから今夜眠れなくても平気!と思って心置きなく寝た。とはいっても1時間ほどで目が開いたけどさ。夜は簡単に済ませてずーっとゴロゴロモード。そろそろ食器を洗ってシャワーを浴びて寝る体勢に入ろうと思っている。
ところで。
昨日病棟でのシフト中、長く入院していて回復の見込みがない患者さんがひきつけを2回起こしていた。昨日のブログにも書いたとおり忙しかったので顔を見に行くことはできなかったけど、もうまもなくだろうという話は聞いていた。そして昨夜7時頃に息を引き取ったそうだ。
さらに、私が前にも状態がよくないとチラッと懸念していたおばあさん。昨日のうちに容態が急変してこちらも亡くなった。先週は自分の身の回りのことはほぼ自分でしていたぐらいだったのに、数日前に一度シーツか何かに足をとられて転んだらしい。それを機に一気に下り坂をくだりったとのこと。
不思議なもので、誰かが亡くなると連鎖反応のように続く。この2人の患者さんは、ともにガンを患っている上高齢だったので先が長くないことはわかっていたものの、あまりに急だったので驚きとショックを隠せない。
ショックはさておき。
ここ数日、考えていたことがある。
前者の亡くなった患者さん。年齢は80代後半で手術が不可能なほどにガンが広がっており、緩和ケアに入るのも時間の問題だった。意識はあったものの、自分ではご飯を食べるぐらいしかできなくなっており(しかも少量)、ベッドからイスへ動かすのも、シャワーを浴びるのも2人の介助付き。大きな男性だったのでスタッフだけでは支えきれず、スタンディングホイスト(起立マシン)も使っていた。在宅中は奥さんがずっとお世話をしていたようで、入院中は毎日朝から晩まで来て一緒に時間を過ごしていた。
そんな中、数日前、患者さんのヘモグロビンレベルがうんと下がった。ヘモグロビンレベルが低下すると酸素が十分に体内にいきわたらず、その結果深刻な状態を引き起こす可能性が高い。なので早急な対応が必要とされる。というわけで輸血となった。
しかし。
ここから先は誤解を生むかもしれないけど、それをふまえて書く。
日本でも叫ばれているけれど、ここオーストラリアでも同様に血が不足していることは事実。言葉は悪いが、すでに先が見えている患者さんへの輸血に関する意義について考えていた。
今回の輸血は奥さんの希望もあって早急に行われた。ご家族にしてみれば一日でも長生きしてもらいたいのは当然だろうし、病院側にできることはやってほしいと要請するのは当たり前のことなのでそれを否定はしない。ただこの血液が、今後の回復見込みの高い人に使われる方が有効なんじゃないかという思いが頭の中にあった。これは私が患者さんの家族ではない上、血液不足事情を知り、かつ血液を必要としている人がたくさんいるということも現実として知っている医療従事者であるがゆえに去来する思いだろうとわかっている。だから答えはない。ただ、今後自分が家族の立場になったらどういう選択をするんだろう?という思いがここ数日頭から離れない。間もなく亡くなるだろう人に目一杯の処置をしない(今回の場合、輸血のこと)という選択があること自体、私は“死”に関して神経が麻痺しているんだろうか?とも考えている。
悲しいかな、答えを得るのは“死”が自分の問題として身に降りかかったとき。それまではモンモン考え続けるんやろうな。
さて。
ディープなことばかり書いてないで、そろそろ寝る準備をしよう。疲れているのでDをかまってなかったら、知らない間に寝室へ消えていた。
明日は午後シフト。朝は活動的に過ごしたい。