華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪17年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

固定概念

2009年09月15日 16時06分00秒 | Weblog
今更やけど土曜日に参加した花火大会での話。

以前メンバー登録して全然参加してなかったMeet Upというサークルがある。ここには日本に興味があるAussieとBrisbaneに住む日本人が集まる。ずっと忙しかったので週に一回の集まりに行ったことはなかったけど、花火大会の日も集まるというので、そこに看護科で一緒に勉強しているSachikoちゃんとおじゃました。

行ってみるとすでにAussie・Japanese併せて10名近い人々。でも彼らは以前に顔を合わせたことがあるようで、親しくないとしても顔見知り。まったくの新しいのは私たちぐらい。でもグループの性質からして人の出入りは激しいはずだから、私は新人だからといってモジモジすることなく最初からそこにいる人に話しかけた。黙ってたってつまらないし、新しく人と知り合うのはいいことだし…と思って。
一緒に花火大会を楽しんだ後は、最終的に20名近くなっていたみんなと夕食へ。そこでも至って普通にしていた。本当に普通に。強いて書くとしたら新人らしくなかったことぐらい。

そしてその結果。

「君っておしゃべりだね」(By an Aussie男子)。

凹むわ。

既存のグループに入るというのは結構勇気を要する。話しかけるのを待っていたって、基本他のメンバーさんはすでに知っている人が隣にいて新人に話しかける必要がないんだから、自分から話しかけるしかない(と思う)。それにグループの中に一人ムッツリと黙りこくってる人がいたら雰囲気を悪くすんじゃないかなーという思いもあっての行動の結果が“おしゃべり”。これがどんな意味で発されたかは知らないけど、とりあえず私が受けたい評価ではなかったのでなんとも言い表しがたい感情でいっぱいになった。

花火の鑑賞は楽しんだ。
それでもなんとなくスッキリしない気分のままで帰宅。そしていわれた言葉の意味をモンモンと考えていた。

そして出た結論。

私は外国人が一般的に考えている日本人女性の様相と違ったのかもしれない。

CIで勉強していたころ、Stereotype(固定概念)について少し学んだ。そこで例として、外国人が抱く日本人に対する印象を説明するビデオを見せられた。その映像の中には、私たち日本人が見たら、例えば日本人は初対面で握手をしないとか、初対面からあまり話さないとか、使用人であればそれが女性であろうが荷物を運ぶのを手伝わないといった「日本人、こんなんじゃなーい!」思われるエピソードがいくつか。あとで教授に「あのビデオはうそだ」と抗議にいったぐらい。すると教授は「事実は違うとしても、日本に対する固定概念とはこういうものなのよ」と言い、私は、納得はいかなかったけどそういうものなのかと理解したことがある。

前置きが長くなったけど、要はそれが今回起こったんだと思う。このAussie男子、日本女性は「おしとやかで大人しくて恥ずかしがり屋」であると信じているんだろう…と。

そんな大和撫子、天然記念物だっつーの。

と書いたら言い過ぎか? 私も基本は人見知りで大人しいしさ。

まぁー何はともあれ、この日の私は彼の思う日本人女性像から外れたんだろうなー。

でもここは多種民族国家・Australia。
なにをモジモジする必要があろう?
どこに“典型的日本人”である必要があろう?
積極的で何が悪い!?
年齢と厚かましさは比例すんねん!!

おぉぉ、書いててExciteしてしまった。
とりあえずAussieが「日本人女性はこういうもの」という偶像を描いているんだなーと、そして日本人をいわゆる“日本人”としてジャッジしたがる傾向にあると感じたのは、この日この時だけではなかった。日本人ったっていろんな人がいるのにさ。そんな固定概念にとらわれてる人にあーだこーだ言われたくないっつの。

言葉が表すほど怒ってるわけでもなく“ふーん”って感じ。そういうことが学べただけでも参加した意味はあったと思う。“おしゃべり”なんて言われたくなかったけどねっ。

あ、やっぱ怒ってんじゃん、アタシ。
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