もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

想い続けて。ヒト形に凹む。ピヨピヨ。

2020年04月14日 21時19分05秒 | タイ歌謡
ไว้ใจ๋ได้กา - ลานนา คัมมินส์【OFFICIAL MV】
 ランナ・カミンさんです。2004年の代表曲「ワイチャイダイカー(ไว้ใจ๋ได้กา)」だ。
 このタイトルは普通に和訳すると「私を信じて」とか「信頼」って感じなんだろうが、ここでは「想い続けて」としたいところ。「ไว้ใจ๋(ワイチャイ)」を辞書で引くと、まっさきに「信頼」と出るんだが、これを分解すると「ไว้(ワイ)-保つ」+「ใจ๋(チャイ)-気持ち」が原型です。想い続けるのが信頼か? と思う向きもありましょうが、タイ人の知り合いがいる人ならわかるよね。想い続けるのがタイの信頼です。いいよなあタイ人。
 こういう連語がタイ語には多くて、よく聞く「ごめんなさい-ขอโทษ(コートー)」も「ขอ(コー)-ください」+「โทษ(トーッ)-罰」で、罰を下さいですね。日本語だと「ごめん」は「免じてちょうだい」。方向が違いますね。どっちが良いとか悪いってことじゃなくて。

 良い曲だよね。難しい和音解釈とか面倒くさいこともない。普通に勝負してきた感じ。
 ギター一本から始まって4×4=16小節の間、歌に寄り添って、そして17小節目からチェロの低い音が滑り込んだかと思ったらアルペジオ(分散和音)から一転、ギターがメロディー奏でるんだけど、そこからツインギターになったところでシンバルが静かに入る。上手いアレンジメントです。
 コード(和音)も、べつだん凝った物じゃない。素直な和音。試しにギター出してきてコピーしてみたら、思ったよりも簡単だった。難しいこと、やってません。
 ところで、個人的な話ですが、この素直な和音が基本、俺はきらいだ。ド・ミ・ソ・ドみたいな何のひねりもない音の塊を聞くと、「おい、なんとかしろよ」と思う。「サボってんじゃねぇよ」と思う。一家揃ってボウリング・シャツと呼ばれるヘンな開襟シャツを着てバナナを食べてる家族みたいで、どうにも馴染めない。NHKの歌のお兄さんみたいな和音。もう、解説というより言いがかりじみてきたが、気にしない。
 ド・ミ・ソ・ドの所謂「C」のコードだと、俺なら根音のドは省略して、代理コードでAm7みたいな和音の方がカッコいいじゃねぇかって思っちゃう。
 でも、そんなひねくれた小手先の技は使ってない。それなのに、素直なコードでも気に障らない。
 あるんです、こういう曲。この快・不快の分かれ目ていうか境界線がどこにあるのか、我ながらまったくわからない。
 間違いなく言えるのは、リチャード・クレイダーマンとかABBAとか、そういう音が俺は苦手なんだ。カーペンターズのアレンジメントも苦手だ。けれど、カレン・カーペンターの歌が入った途端に「おお! 良いな!」ってなる。ABBAだと、ならない。理由は明快で、好き嫌いの問題だからだ。
 この連載の第3回目の「バンパコン」で紹介したユアマイってアンサンブルも基本「ド・ミ・ソ」のバンドだったが、オラウィーさんが一声歌えば、もう全然オッケーだったよね。
 だからね。こういう曲でも問題ないこともある。ただ、エンディングのエレキギターとスクラッチ音は必要だったんだろうか。まあ、不自然とまでは言わなくても、なんか唐突でしょ。なきゃないで、静かに終われた気もするんだが、「あれは必要だったのです」と言われれば返す言葉がない。音楽も作り手のものだからね。

 さて、MVなんだが、ランナさんが20歳とか21歳になったばかりとか、そんな頃の映像だ。しかし16年も経ったのか。数年まえの印象だったが。
 この曲もデビューアルバムに収録されていた曲で、すげえ新人がデビューしたと話題になったものです。ま、デビュー盤がベスト盤になった訳で、3年間で4枚のアルバムを発表して、芸能活動を終えました。
 24歳で引退して、チェンマイで兄とレストラン経営。事業は上手くいってるようで御同慶の至りだ。
 ランナさんは母がタイ人、父がオーストラリア人で、インターナショナルスクールを出ているから、普通に英語はできるんだろう。
 もともと母が有名な歌手で、スンティー・ウェタノン(สุนทรี เวชานนท์)といいます。レストランも両親が始めたもので、その店で自作の曲を歌っていたら評判になり、その評判を聞きつけたタイのグラミー社がそれを聴き、説得。デビューに至るという訳で、ランナさんは芸能界に憧れていたわけでもスターになりたかったわけでもなかったので、引退が早いのはそういう理由なんだろう。
 それにしてもこのMVに出演している若い男女は、いかにもタイ北部の若者っぽくて良いですね。
 男の子がモンローぽいポスターに見とれて女の子を怒らせたりしてますが、歌詞にはそんなことは書いてなくて、まあいつものタイのMVです。因みにポスターには「สุดยอดเสน่หา(究極の愛)」なんてタイトルが書いてあって、いかにもそれっぽい。
 間奏のタイ民族楽器は画像の人たちは弾いてませんね。あんな構えじゃ音なんか出ないんだがフレットのある撥弦楽器の人は頑張ってる。音と運指を合わせる努力をしてるんだが、どこから調達してきたのか楽器に弦が一本しか張ってなくて、でもヘッドが映ったときにペグ(糸巻き)が3本あるから、弦が2本切れてたってことだ。そんな楽器で参加する演奏家はいない。

それじゃ、歌詞だ。

そうだ かつてぼくたちは お互いに声をかけたよね
お元気ですか、と
緊張したけど幸せだった
タイの東北部の娘に会ったとき
もう心は奪われていたんだ

会えなくても想い続けている
ひと目会えれば もう幸せ
他人の目には緊張するけど
この歌は知っておいて

このまえは野菜のピザだったよね
注文したいな
街の人たちが遠いのは仕方ないこと
もう少しここに居ようかな

あなたは余裕があるよね
ぼくは残念な思い込みが多すぎるのだろうか
愛に身を委ねればいいこと
そうしたらいつまでも想い続けられる

赤い唇を 想い続ける
美しい顔を 想い続ける
白い頬を 想い続ける
大きな目を 想い続ける
いつも想い続けるんだ 
腰に巻いたスカートを 想い続ける
遠くの街で 想い続けて
私はあなたを 想い続ける

赤い唇を 想い続ける
美しい顔を 想い続ける
白い頬を 想い続ける
大きな目を 想い続ける
いつも想い続けるんだ
腰に巻いたスカートを 想い続ける
遠くの街で 想い続けて
私はあなたを 想い続ける


 なかなか良い歌詞です。ご覧の通りタイ東北部の女子との恋という歌詞。
で、男はタイ人なのか外人なのか、そのへん全く提示がない。
 そして、その恋愛が純愛なのか、男が騙されてるのか、女が騙されてるのか、そのへんもどうとでも取れるように書いていて、いかにもタイ人の歌詞です。が、印象としては悪人が一切出てこない。歌っているランナさんの人品というものでしょうか。すべてが愛おしい世界。こういうの、簡単なようで大変だよね。本人にとっては何でもないことだったりするのかもしれず、やっぱり好ましい。楽曲だけでなく、ランナさんの歌が、いい。

 昔、日本にチューリップというグループがあって、「心の旅」という曲がヒットして有名になったんだが、俺は当時からこんな曲には興味がなかったけれど、同級生の女の子たちが泣きながらこの曲を歌っていて「変なやつらだな」と思ったものです。中学を卒業する時期だったから、そんな状況が重なって集団ヒステリーでも起こしたのかもしれない。
 それから随分経って、もう充分大人になった頃、リバイバルで魯鈍な感じの俳優がこれを歌っていて「あー。こんな歌、あったな」と聞くともなしに聞いていて、驚いた。

あーだから今夜だけは 君を抱いていたい
あー明日の今頃は 僕は汽車の中

「やり逃げの歌じゃん、これ」
 男がバカで勝手でろくでなし。こんなもん泣きながら歌ってるなんて気違い沙汰です。

チューリップ 心の旅 1972  

 それに比べるとランナさんの作品は大人です。つうかタイ人て大人だよね。初めてタイに行ったとき思ったのが「うわあ、この人たちオトナだなあ」ということだったのを思い出した。何でだっけな。細かいことは憶えてないんだけど、タイ人がオトナだってことは、よく思います。

 そういえばランナさんの最近(といっても4年まえ)の動画を見つけて、「わずか12年の間に何があった?」と思ったのですが、タイ人女性は偶に加速度的に成熟しちゃう人がいるんだった。現役の頃に比べて、明らかに歌がヘタになってる。高音なんか音程外しちゃってるし。たぶん毎日歌ってないんじゃないかな。でも、歌が良いんだ。無駄に歳取ってないかんじ。もったいない、という気もするし、これでいいんだ、という気もする。
 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老いをむかふるものは、日々旅にして、旅を栖とす。  
 諸行は無常だね。

ไว้ใจได้กา - ลานนา คัมมินส์ : นักผจญเพลง

 初めてチェンマイに行ったのは、俺が30歳くらいのときだったか。何でそう思い立ったのか今となっては不明だが、フアランポーン駅からの鉄道の旅だった。チェンマイに行く場合、バスの方が早くて安くて快適だというのは知っていたのだが、「鉄道。良いじゃない」という考えに取り憑かれてしまったのだと思う。チェンマイに行くのなら、パセリ・セージ・ローズマリー&タイムだ。確証なく乗ってはみたが、はたして列車の旅は良いものだった。車中では見ず知らずのタイ人が「これ食え、あれ食え」と何だかわからない動物の皮を揚げたものとか、やたら甘い何かの木の葉(これが大きくて肉厚なんだが葉脈まで柔らかい)を煮詰めたものとか振る舞われてこれ以上ないというくらい満腹になって、「チェンマイに行くのなんかやめてウチに泊まってけ」とか「次の駅で降りて滝を見に行かないか」と、なけなしの英語でデタラメなことばかり言う人だらけで、非常に楽しかった。タイの国内を旅行するんだったら、タイ語ができない方が、タイ人が親切にしてくれる。これは、タイに住む友人たちと一致した意見ね。ただ、タイ語ができないと騙される機会が増えるのが難点か。
 やがてタイの乗客たちは途中下車で一人減り二人減り。昨日の午後3時ころバンコクを出た列車が翌朝5時ころ最終駅のチェンマイに着くと、もう周りの座席には人がいなかった。
 身体の骨格がバラバラになりそうになるほど不規則に揺られ続けて、鉄道の旅なんか金輪際するものか、という決意とともに、くたくたでチェンマイ駅のホームに降り立つとホテルの客引きがワラワラと寄ってきて「うちに泊まりなさい。20バーツでいいぞ」とか「うちも20バーツだ。食事も付ける」とかいろんなことを言うんだが、いや。そんな安くなくて良いんだ。快適な部屋が良い。と述べると「うちは50バーツの部屋があるぞ。どうだ」と威張ってる男がいて、じゃあ、そこで良いや、と付いていったら、どうやら20バーツというのは当時のチェンマイのゲストハウスの相場だったようで、50バーツの部屋というのはツインルームだった。ベッドが2つになるだけじゃねえか。
 まあいいや。疲れたし、シャワー浴びて寝ちまおう、と朦朧としながらシャワーのコックを捻ってしばらく待ったが、いつまで待っても水が冷たい。あれ? そういや何でコックが1個だけなんだ? 水のコックとお湯のコックで温度調節するのでは、と思い、つらつら考えたが、コックが1個ってことは水だけで、いくら待っても水温は変わらないってことだ。覚悟を決めて「ひゃあ」と高い声とともに水を浴びた。
 さっぱりした。もう寝よう。ベッドに倒れ込もうとして毛布をめくると、棕櫚の繊維をクッションにしたと思しきマットレスは、ヒトの形に凹んでいた。
 うはー、ツインで良かった。ベッドもう1つあるもんね、とそちらの毛布をめくると、果たしてそっちのベッドもヒトの形に凹んでいるのだった。
 部屋の外ではコドモが騒いでいて、「可愛い子だね。名前はなんていうのか」と問うと、父親が得意そうに「ピヨピヨっていうんだ。いい名前だろ」と微笑み、「最高の名前だな。ピヨピヨ」と答えたことを覚えている。
 チェンマイの思い出といえば、ヒトの形に凹んだベッドとピヨピヨという名の騒がしい女児だ。ピヨピヨってのは「เปรี้ยวๆ」と書いて「酸っぱい」って意味だと思うんだが、後年ヨメにその話をすると、「ピヨピヨ? そんな渾名のタイ人がいるわけがない」と笑われた。
 どうなってんだ。

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