須磨海浜公園からHAT神戸まで歩いてきました。
須磨→鷹取→新長田鉄人前→西代→長田→上沢→湊川公園→大倉山→県庁前→加納町→国体道路→春日野道→HAT神戸
家→家までの総歩数は31,534歩でした。
地震で変わった風景を思い出しながら歩きました。どうしても公園や空き地や駐車場が目立ちます。部分的には昔の面影の残っている場所があったのが救いでした。見慣れた風景が突然なくなるというのはこたえるもんです。
HAT神戸では、地震の様子を体験するコーナーがあり、子どもが体験していましたが、見ているだけであの時のゆれていた時間の長さが脳裏によみがえり立ちすくんでしましました。忘れたと思っていた感覚をまだ体が覚えていたことにちょっと愕然としました。
15年というのはちょうどVISSELの歴史と重なる結構長い時間です。自分自身の時間とも重ね合わせて、いろいろなことを考えたウォークでした。
ところで、新年以降、年中行事のように新聞・テレビ・ラジオなどで震災報道がつづきました。しかし、いつものことながら18日になるとなにごともなかったようにフェードアウトしていくのにやるせなさを感じてしまいます。また、報道のワンパターンな内容や姿勢には、地元で体験して住んでいる人間としては突っ込みどころ満載でした。こちらのほうはあまり進歩していないようです。
須磨→鷹取→新長田鉄人前→西代→長田→上沢→湊川公園→大倉山→県庁前→加納町→国体道路→春日野道→HAT神戸
家→家までの総歩数は31,534歩でした。
地震で変わった風景を思い出しながら歩きました。どうしても公園や空き地や駐車場が目立ちます。部分的には昔の面影の残っている場所があったのが救いでした。見慣れた風景が突然なくなるというのはこたえるもんです。
HAT神戸では、地震の様子を体験するコーナーがあり、子どもが体験していましたが、見ているだけであの時のゆれていた時間の長さが脳裏によみがえり立ちすくんでしましました。忘れたと思っていた感覚をまだ体が覚えていたことにちょっと愕然としました。
15年というのはちょうどVISSELの歴史と重なる結構長い時間です。自分自身の時間とも重ね合わせて、いろいろなことを考えたウォークでした。
ところで、新年以降、年中行事のように新聞・テレビ・ラジオなどで震災報道がつづきました。しかし、いつものことながら18日になるとなにごともなかったようにフェードアウトしていくのにやるせなさを感じてしまいます。また、報道のワンパターンな内容や姿勢には、地元で体験して住んでいる人間としては突っ込みどころ満載でした。こちらのほうはあまり進歩していないようです。