いまごろ初詣の記事で、ままたまた亀の行進(更新)です(汗)。
3が日をちょっと外して京都に行きました。3が日はどのくらい混むのか恐ろしい。

八坂神社からスタート。

平安神宮も空いています。
このあと北野天満宮に向かいますが、まあ急ぐこともなくのんびり歩いて京都御苑へ。

この広さ。誰もいない空間がすごい。綺麗に掃かれた砂利が延々と続きます。大佛次郎の「天皇の世紀」のはじめのほうに、長じて明治天皇になる祐宮が誕生する1852年頃でも、宮中の意識はほとんど平安時代から進んでいないというような記載があったと記憶していますが、京都の中のこの広大な空間だけでプライドだけ高い公家世界が完結していれば、それはそうかも、と思ってしまいました。
その後、以前からぜひ行きたかった所へ。

西陣にある持明院跡。南北朝時代の北朝側の持明院統の由来になったところらしく、大覚寺統の大覚寺が今でも巨刹であることに比べてちょっと寂しい感じです。フェイドアウトしてしまった南朝系(?)のお寺が結果的に残ったというのも面白い気がします。
西陣の裏通りを歩きながら、千本釈迦堂(大報恩寺)へ。ここも来たかったところです。

ここは建築の守り神で、「おかめ」さんの物語で有名です。

我が家の天井裏にもおかめさんの面の御幣が飾られています。

そして、北野天満宮へ。去年は太宰府天満宮にも再訪したので、もうちょっと勉学に励みたいところですが・・・頑張れ自分。

天満宮の西には豊臣秀吉が築いた御土居の跡が残っています。「ええか君、嵯峨は京都とちがうんやで…」というキャッチフレーズで始める井上章一さんの「京都嫌い」の「京都」とは御土居の中側の洛中のことで、嵯峨も宇治も山科も京都ではないそうです。(まあ、個人的には「神戸」の範囲は須磨から始まる六甲山麓の南側で、東は住吉川くらいまでな感じです。そう言えば、ちょっと前までは北区の人が三宮や神戸駅の方へ行くのに「神戸へ行ってくる」と言っていたと聞いたことがあります。同じ神戸市やのに。)
こんなことに比べて京都の場合はすっごく根が深い感じです。ああこわ。
それにしても京都はいろいろと深い。それでもまた、「そうだ、京都、行こう」という気にさせてしまいます。