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陳舜臣「日本人と中国人」第八章われら隣人 ④

2006年02月02日 22時05分45秒 | 本・陳舜臣
1月31日の続きです。
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陳舜臣「日本人と中国人」(集英社文庫)
第八章われら隣人
【竜と鳳】
[中国人はキャンペーン型民族か?](211ページ)

 気にかかる観察をする人がいる。
 イザヤ・ベンダサンという人が、『日本人とユダヤ人』という本の中で、
 ――毛沢東のことを考えると、彼は、孫文が流砂の民と評したこの民族を、一つのキャンペーン型民族にかえようとしているかに見える。端的にいえば、中国人を日本人に改造しようとしているのであろう。
 と述べている。

 キャンペーン型民族というのは、『追いつけ、追い越せ!』とか『打倒××』といったスローガンで突進する――いや、もうそのようなスローガンの必要さえなく、あるいは独裁者の指導もなしに、全員一致して同一行動の採れる民族のことである。

 さきにも述べたように文化大革命はいたって中国的なものだ。なにか変えなければならないときは、何年もかかって説得運動をするのだから、これがもし日本であれば、軍扇のひと振りで解決される。

 では中国的な方法で、中国人を日本人に変えようとするのか?
 ベンダサンの思いすごしである。
 中国ではむかしから、アウタルキー(自給自足)が理想であった。
 十八世紀の末に、通商条約を結ぼうとして北京までやってきたイギリス使節にたいして、乾隆帝は、
 ――天朝は物産豊盈(ほうえい)、有らざる所なく、原(も)とより外夷(外国)の貨物に藉(よ)って以って有無を通ぜず。
 という勅諭を与えて追い返した。

 なんでもあるのだ。――いまは失われているかもしれないが、かっては何でもあったというのが、現在でも中国人の信念である。だから、お手本も外国に仰ぐことはない。中国人は自分たちを改造しようとするときも、モデルはもともと自分のうちにあったものからえらぶだろう。

 戦後暗殺された聞一太(ぶんいつた)という詩人は、古代史家でもあったが、彼の論文をみると、中国ではむかし竜の部族と鳳の部族とが、交替して政権の座についた、といった意味のことが説かれている。

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 続く

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