2日の続きです。
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陳舜臣「日本人と中国人」(集英社文庫)
第八章われら隣人
【竜と鳳】
[竜的人間に鳳的性格を呼びさました毛沢東](212ページ)
竜はおなじみの、あの怪奇な想像上の獣である。鳳もまた想像上の鳥だが、形状はそれほど怪奇ではない。鳥類図鑑に鳳がまぎれこんでも、ついうっかりと見すごしてしまいそうだ。が、もし動物図鑑に竜の絵がはいっておれば、小学校の子どもでも、
――こんなのは動物園にもいないや。
と、ただちに指摘するだろう。
怪奇な『竜』の部族はおそろしく、実在の鳥とあまり異ならない『鳳』の部族はおとなしいのか?
いや、じつはその正反対なのだ。
竜も鳳も、もとは部族のシンボル・マーク、すなわち民俗学でいうトーテムであろう。今でも未開の社会では、自分たちを犬の子孫だとか、馬の子孫だなどと信じて、その絵を神聖なシンボルにしている例がある。
部族の間で戦争がおこる。犬の部族が馬の部族に勝てば、後者はおのれのシンボルを失い、犬の旗じるしの下で、奴隷などにされてしまう。ところが、両者がそれほど激突せずに、ある程度妥協するなら、犬と馬のアイノコのような別の動物をシンボルに採用して、たがいに共存をはかろうとするだろう。
竜の図をよくみると、頭は馬であり、そこに生えている角は鹿である。体は蛇であり、足の爪は犬らしい。全身のウロコは魚類のものなのだ。つまり。馬、鹿、蛇、犬、魚など、さまざまな種類の部族が、相手のシンボルを消滅させるほどの、はげしい戦争をせずに講和し、その結果つくられた連合旗が、ほかならぬ竜であった。平和的連合のシンボルであるから、これはけっしておそろしいものではない。
それにくらべると、鳳は実在の鳥といってよいほどすっきりしている。すっきりしているのは、妥協を排して、まっしぐらに突進してきた結果ではあるまいか。犬の部族を征服すると、犬の痕跡を完膚なきまでに消し去る。蛇の部族を負かすと、蛇らしいものは踏みにじってしまう。それで、おのれのもとのすがた――『鳥』を保ってきたのである。このほうこそおそろしいのだ。
『竜鳳』とならべて、中国では皇帝のシンボルのようになった。皇帝の顔を『竜顔』といい、皇帝の乗り物を『鳳輦(ほうれん)』と称する。聞一太の説によれば、夏王朝は竜族で、殷王朝は鳳族であったという。農耕民族が竜で、遊牧民族が鳳であるともいえよう。
地理的には――これは異論もあるだろうが――大雑把にいって、南方は竜で、北方は鳳である。きびしい作法を強要する儒教の孔子は鳳で、人びとの自由をたっとぶ老子は竜である。げんに孔子は老子に会ったあと、『竜を見た』と言っている。楚の狂者の接輿(せつよ)が孔子のそばを通りすぎるとき、『鳳よ、鳳よ、何ぞ徳の衰えたる――』と呼びかけることが、『論語』の『微子篇』にみえる。
これも一般論であるが、中国的性格として、いま表面にあらわれているのは、おもに妥協によって怪奇な形になった『竜』的性格である。しかし、妥協を知らぬ『鳳』的性格がかくされていることも見落としてはならない。
ベンダサンのことばは、つぎのように言いかえるべきだ。
――竜的性格の強いいまの中国人に、鳳的性格を呼びさますように働きかけた。・・・・・・
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続く
「竜が平和的連合のシンボルである」というのは面白い(興味深い)お話です。
「中国的性格として、いま表面にあらわれているのは、おもに妥協によって怪奇な形になった『竜』的性格である」とありますが、解説によると、このエッセイが出版されたのが昭和46年8月のことです。当時は毛沢東も周恩来も健在で、アメリカのニクソン訪中が決定し、翌昭和47年秋には、田中訪中が実現し、日中国交正常化の共同声明が発表されています。
それにしても、毛沢東はどうして、「竜的性格の強い(当時の)中国人に、妥協を知らぬ鳳的性格を呼びさますように働きかけた」のだろうか?
確かに今の中国をみていると、おそろしい『鳳』的性格が強くなっていると思う。
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陳舜臣「日本人と中国人」(集英社文庫)
第八章われら隣人
【竜と鳳】
[竜的人間に鳳的性格を呼びさました毛沢東](212ページ)
竜はおなじみの、あの怪奇な想像上の獣である。鳳もまた想像上の鳥だが、形状はそれほど怪奇ではない。鳥類図鑑に鳳がまぎれこんでも、ついうっかりと見すごしてしまいそうだ。が、もし動物図鑑に竜の絵がはいっておれば、小学校の子どもでも、
――こんなのは動物園にもいないや。
と、ただちに指摘するだろう。
怪奇な『竜』の部族はおそろしく、実在の鳥とあまり異ならない『鳳』の部族はおとなしいのか?
いや、じつはその正反対なのだ。
竜も鳳も、もとは部族のシンボル・マーク、すなわち民俗学でいうトーテムであろう。今でも未開の社会では、自分たちを犬の子孫だとか、馬の子孫だなどと信じて、その絵を神聖なシンボルにしている例がある。
部族の間で戦争がおこる。犬の部族が馬の部族に勝てば、後者はおのれのシンボルを失い、犬の旗じるしの下で、奴隷などにされてしまう。ところが、両者がそれほど激突せずに、ある程度妥協するなら、犬と馬のアイノコのような別の動物をシンボルに採用して、たがいに共存をはかろうとするだろう。
竜の図をよくみると、頭は馬であり、そこに生えている角は鹿である。体は蛇であり、足の爪は犬らしい。全身のウロコは魚類のものなのだ。つまり。馬、鹿、蛇、犬、魚など、さまざまな種類の部族が、相手のシンボルを消滅させるほどの、はげしい戦争をせずに講和し、その結果つくられた連合旗が、ほかならぬ竜であった。平和的連合のシンボルであるから、これはけっしておそろしいものではない。
それにくらべると、鳳は実在の鳥といってよいほどすっきりしている。すっきりしているのは、妥協を排して、まっしぐらに突進してきた結果ではあるまいか。犬の部族を征服すると、犬の痕跡を完膚なきまでに消し去る。蛇の部族を負かすと、蛇らしいものは踏みにじってしまう。それで、おのれのもとのすがた――『鳥』を保ってきたのである。このほうこそおそろしいのだ。
『竜鳳』とならべて、中国では皇帝のシンボルのようになった。皇帝の顔を『竜顔』といい、皇帝の乗り物を『鳳輦(ほうれん)』と称する。聞一太の説によれば、夏王朝は竜族で、殷王朝は鳳族であったという。農耕民族が竜で、遊牧民族が鳳であるともいえよう。
地理的には――これは異論もあるだろうが――大雑把にいって、南方は竜で、北方は鳳である。きびしい作法を強要する儒教の孔子は鳳で、人びとの自由をたっとぶ老子は竜である。げんに孔子は老子に会ったあと、『竜を見た』と言っている。楚の狂者の接輿(せつよ)が孔子のそばを通りすぎるとき、『鳳よ、鳳よ、何ぞ徳の衰えたる――』と呼びかけることが、『論語』の『微子篇』にみえる。
これも一般論であるが、中国的性格として、いま表面にあらわれているのは、おもに妥協によって怪奇な形になった『竜』的性格である。しかし、妥協を知らぬ『鳳』的性格がかくされていることも見落としてはならない。
ベンダサンのことばは、つぎのように言いかえるべきだ。
――竜的性格の強いいまの中国人に、鳳的性格を呼びさますように働きかけた。・・・・・・
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続く
「竜が平和的連合のシンボルである」というのは面白い(興味深い)お話です。
「中国的性格として、いま表面にあらわれているのは、おもに妥協によって怪奇な形になった『竜』的性格である」とありますが、解説によると、このエッセイが出版されたのが昭和46年8月のことです。当時は毛沢東も周恩来も健在で、アメリカのニクソン訪中が決定し、翌昭和47年秋には、田中訪中が実現し、日中国交正常化の共同声明が発表されています。
それにしても、毛沢東はどうして、「竜的性格の強い(当時の)中国人に、妥協を知らぬ鳳的性格を呼びさますように働きかけた」のだろうか?
確かに今の中国をみていると、おそろしい『鳳』的性格が強くなっていると思う。