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陳舜臣「日本人と中国人」第八章われら隣人 ⑥

2006年02月06日 21時38分03秒 | 本・陳舜臣
4日の続きです。
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陳舜臣「日本人と中国人」(集英社文庫)
第八章われら隣人
【竜と鳳】
[なぜ日本では根底的な変革がないのか](215ページ)

 戦闘集団は滅びやすい。中国史上にあらわれる塞外(さいがい)民族の運命がそうだ。あとどうなったのか、わからないのがすくなくない。
 ひとり日本は戦闘集団の形をのこして、今日まで生きのびてきた。最大の理由は、掠奪や遊牧でなく、農耕に生活の基盤を置いていたからであろう。

 蒙古などは元朝をたてても、百年も中国統治がつづかなかった。満州族の清が二百数十年と、かなり長く続いたのは、彼らが豚を飼っていたからだ。そのために、満州族は遊牧民族の中で、『豚飼い』と、鼻つまみにされていた。羊を飼えば脚が速く、移動はかんたんである。だが、豚はノロノロしていて、豚の大群を率いての移動は、考えただけでもうんざりする。だから、移動が少なくなる。つまり半ば定着した生活をしていたのだ。これが、のちに王朝をたてて定着生活をするうえでも、おおきなプラスになったのだろう。

 西方でも、漁業を営んでいたセルチュク・トルコの国家が、蒙古諸汗国より長く続いたのがそれに似ている。河の漁であるが、漁場はきまっているので、純粋の遊牧民よりは定着性があったわけだ。

 豚飼いや漁業にくらべて、農耕はさらに定着性が強い。
 農耕が日本を今日まで支えてきた。
 長つづきしたということは、さきにのべた日本人の『保存の天才』を養(そだ)てた一つの要素だが、それがすべてではない。

 正倉院御物がのこっていることは、日本という国が今日までのこっているだけではなく、根こそぎの破壊がおこなわれなかったという条件が必要である。
 大流血がすくなかった。
 海のおかげで、異民族との戦いがなかったのも大きな理由であろう。

 ほかにも考えられる理由がある。
 戦闘集団にとって、なにが大切かといって、団結より大切なものはない。
 軍扇のままに動くから強いのだが、もしそれを振る人がいなくなればどうなるのか? 指揮者は失敗することがある。失敗した指揮者は追放されるだろう。そんなときは、すぐにかわりの人がみつかる。だが、その人をみつけ、それに実権を授けるのは誰であろう?

 有機的であればあるほど、戦闘集団はこのようにして絶対的な権威をもつ首長を必要とする。
 それは、失敗することのない、けっして追放されることのない――という条件をあてはめると、シンボル的存在とならざるをえない。
 『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』を再びひもとこう。有名な女王のくだりである。――

 其の国、本(も)と男子を以って王と為し、住(とど)まること七,八十年。倭国乱れ相攻伐(こうばつ)すること歴年、乃(すなわち)共に一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼(ひみこ)と曰(い)う。鬼道に事(つか)え、能(よ)く衆を惑わす。年已(すで)に長大なるも夫壻(ふせい)無く、男弟有り、佐(たす)けて国を治む。・・・・・・

 卑弥呼というのは、絶対的、そしてシンボル的首長である。彼女は紛争をしずめ、『団結』を守るために立てられたのだ。
 それを佐けて国を治めていた男弟というのは、扇を振る人物にほかならない。
 白鳥庫吉博士は、卑弥呼は『みこ』で、男弟は『かんなぎ』であるとした。
 
 おなじ関係は、日本歴史でも、
 天照大神(あまてらすおおみかみ)と天児屋根命(あめのこやねのみこと)、建御雷神(たけみかずちのかみ)
 神功(じんぐう)皇后と武内宿禰(たけのうちのすくね)
 推古天皇と聖徳太子
 斉明天皇と中大兄皇子
 と類例は多い。

 それが構造化されて、天皇と摂政関白、天皇と幕府などの関係にまで伸びている。
 一方はシンボルであり、一方は扇振りである。一方は追放されることのない絶対者であり、一方はなにかあれば失脚するかもしれない身分である。

 日本に変革がなかったわけではない。だが、それは絶対者には及ばないような機構になっている。だから、ひっくり返しは、根もとからおこなわれない。そのようなひっくり返しをした人がいないということは、超人的英雄が出現しにくいということであり、変革のスケールが大きくないことなのだ。

 根こそぎの破壊がそれによって防げたので、中国で亡佚(ぼういつ)した本が日本でみつかったり、正倉院御物がのこっていたりするのである。

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 続く


「日本は戦闘集団の形をのこして、今日まで生きのびて・・・」とありますが、陳舜臣さんが日本のどの部分を見て"戦闘集団の形"と言っているのか、いまいちピンときません。

 「満州族の清が二百数十年と、かなり長く続いたのは、彼らが豚を飼っていたからだ」というのは、初耳の興味深い説です。それと、「そのために、満州族は遊牧民族の中で、『豚飼い』と、鼻つまみにされていた」というお話は、なんだかマンガチックな面白さがあって、笑ってしまいました。

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