高処から眺めよ(アウレーリウス・自省録より) 下から眺める(柳屋小三冶)

物事を見るときには、余裕がほしいのですが難しいものです。状況が悪い時は、もっと下から眺めれば、いいのかも。

たわごと・3592

2016-10-26 08:19:58 | Weblog

 きのうは、肌寒いくらいでした。特に夜は、弱い雨も降っていました。でも、今日は、少し暑くなるようです。鼻水が出る私には、いいのかも知れませんが。日比谷線で、先頭に乗ったので、電車の運転手を見たら半袖で、頭の上の扇風機をつけていました。
 上野の博物館で、禅をテーマにした展示会が開かれるので、地下鉄などは、共同でポスターなどを掲示しています。主に禅画などが、展示されているようですが、ドイツ人で禅や弓道に詳しかった人の、禅画の説明で、西洋絵画は、画面の外から鑑賞するのですが、禅画は、見る人が画の中に入って、見るのが正しいようです。自分を滅するのが、禅なので、そうなのかと思います。例えば、達磨大師の絵などは、達磨大師になって見ないといけないようです。達磨大師の目は大きいので、物事をよく見なさいという、ことなのかも知れません。それだけではないのですが、そんなことを考えるのが、重要なようです。禅で、問答があって、両手でたたくと音がするが、片手では音が聞こえないのはなぜかなど、修行では、始めの答えは、師匠に全て無視されるようです。
 時間になってしまいました。

コメント
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