八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

5月12日(母の日)

2024年05月12日 18時35分54秒 | 家族

◇今日5月第2日曜日は母の日。
  今や2人の娘達も3人の孫達の母だ。
  アンコ(長女)も、ちーママ(次女)も、明るく元気でいて頂戴よ。
  なんてたって、母親は一家の太陽なのだから。
  いつもいつもご苦労さま。

◇今朝も4時半に元気(体温=36.5度)に起床した、感謝感謝。
  今日は完全休養の日曜日。
  例によってネット囲碁三昧で行くべーかな。

  今日のネット囲碁の成績:2級で2勝2敗、持ち点=24479

◇昨夜夢を見た。
  最近はごく普通の夢を見る。
  夢は身体の不自由具合に応じた夢になるみたいだ。
  ちなみに昨夜見た夢は、
  仙台駅前のジャンジャン横丁のラーメン屋で、
  ビールを飲みながらワンタンメンと餃子を食べていたな。

  脳幹出血して26年たつけど、見る夢が大きく変わってきた。
  ①脳幹出血して数年間
    歩けないのにラグビー試合後にロッカー室で汗を拭き続けていて、
    夜に見回りガードマンが照明を消したあとも、
    真っ暗のなかイスに座り続けて、出ない汗を一生懸命拭き続けている。
    身体の不自由な状況を象徴している、ある種恐い夢ばかりだった。
  ②その後、次女が結婚するまでの間
    依然として身体の右半身のマヒが強く、
    右側が崖や急斜面などの山道を歩いている最中、
    右側の崖に転落するところで目が醒め、すると必ずベッドから落ちた。
    私のベッド横で寝てくれていた妻や、妻の死後は独身だった次女
    (万一を考えて夜は私の隣に寝ていた)の上に何回落ちたことか。

    10数年の合計で10数回は落ちたから、年1回は落ちていた勘定だ。
    私のベッドは幅広のセミダブルなのだけど、転落防止の柵はない。
  ③次女が結婚してから
    今から6,7年前に1度ベッドから落ちたことはあったけど、
    それ以後はただの1回も落ちたことはない。
    見る夢も場所が仙台・盛岡・水戸・東京だったり、
    普通?に身体が動いて歩いているし酒も飲んだりしている。

◇昨夜のおやつでに向かい席のナオキさんが、
  薄く作って貰ったコーヒーがまだ苦いからもっと薄く・・と、
  さらに薄っすいコーヒー色のお湯にして貰っていた。
  おそらく薬の所為でナオキさんの味覚も変ったのだろう。
  それを見ていてプラス・マイナスは違うけど、
  その昔妻に食べさせて貰ったコーヒーゼリーを思い出した。
  あの時は脳幹出血直後だったので味覚が全然分からなかったけど、
  五味(甘、塩、辛、苦、えぐみ)の中で唯一甘味だけ微かに感じた。
  それでも、この世でこんな素晴らしく美味しいものがあったのか!!
  というくらい超感激したことを今でもよく覚えている。
  そんなことをつらつら思い出しながら、
  非常に薄っすいコーヒーをナオキさんが美味しそうに飲むのを眺めた。

   追)今でも私の不自由な歩きや感覚の悪さ加減をみると、
     味覚だってどの程度回復しているのか怪しいもの
     (りんご、もも、なしの違いが分からないバカ舌)だし、
     めご姫ちゃんにもモンブランムースをゴマ豆腐だよって、
     コロっと騙されたこともあった。

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