☆故郷 額田のダシ(つくりもん)
奥地区の下ダシ(つくりもん) 今年は「平清盛」平治の乱の場面 馬の毛は全部ススキの穂を洗濯ノリで貼っている。
先週の13日~17日まで、MKの実家が在る京都府福知山市夜久野町に家内と一緒に帰郷していた。私のこの生まれ故郷である夜久野町の額田区は昔から伝統的に続けられている秋祭りがある。この祭りは「額田のだし」として現在は京都府下や関西では少し有名になってきている。今回帰郷して私の生まれた地の「秋祭り」を皆さんにブログで紹介出来ることを大変高栄に思っています。
新聞記事 平清盛アップ(奥地区) 弁慶と牛若丸(下町) 子供達のつくりもん(明正小学校)
上の写真は10月14日の京都府地方新聞に載ったものだが、奇祭「額田のダシ行事」として取り上げている。記事にあるように府の登録、市の指定無形民族文化財となっていることもあるが、特色は額田の中にある小さな(20~数十戸)、奥地区、旦地区、上町地区、下町地区、向地区の5地区が大昔から守ってきた珍しい秋祭りの祝い方にある。特に「下ダシ」と呼ばれる「つくりもん」が有名である。つくりもんは五穀豊穣を祈願して、下ダシの骨組み以外の飾りつけは殆ど農作物や野山にある木の実や草を使用して作られる。私の実家は奥地区だが題材は実兄が携わっていた昔から毎回NHK大河ドラマをテーマにしている。今年もNHKの取材班が来て、額田の奇祭「廻る山車」と「つくりもん」の奥地区の作品を14日の朝ニュースで放映した。
ヤマタノオロチ(旦地区) 保育園児のつくりもん(奥地区) 2階建て山車(下町地区)
祭りは13日(土)から始まったが、下ダシのつくりもん5点は朝から5地区で見ることが出来る。夕方薄暗くなった5時ごろからは上町と下町、向地区の3地区で山車が自分たちの地区の中だけ地元の応援や歓声を受けてゆっくり巡行し練り歩く。だから実家の奥地区、旦地区には今夜はやって来ない。上町と下町の山車は2階建てで二階部分が回転させることが出来る。向地区は1階に大太鼓を積んで大小の沢山の太鼓を従えて巡行する。これが「額田太鼓」と呼ばれていて若い女性たちも大小の太鼓を打つ。
フル回転の2階建て山車(上町地区) 額田太鼓山車(向地区)女性も太鼓を打つ
山車は2階に地区内の役が2人乗っていて観客からの祝儀袋を(1万円以上)を竹竿の先に刺してもらい、引き上げてすぐに短冊に金額を筆書きして、竹竿で山車の屋根に取り付ける。揺れたり、廻ったりして止まることのない山車の2階で筆書きする仕事も大変である。祝儀をもらうと山車は謝礼に2階をぐるぐる回転させる。その勢いで祝儀札が風車のように袂を開いて歓ぶ様は豪快でまさに奇祭である。町の各地区は大勢の人が山車の太鼓や鐘の音と一緒に巡行し、つくりもんや山車を囲んで夜遅く(夜10時)まで賑わっていた。
子供神輿の巡行(奥地区のみ) よさこいソーラン踊り 子供神輿も総出の駅前広場に向う
14日(日)は朝から太鼓の音が聞こえて額田秋祭りの本番である。実家の奥地区は一宮神社の神事で御神木が走る別のお祭りがあり午後から夜にかけて行われる。その前に子供の神輿行列と、余興によさこいソーラン節踊りを奥地区内で披露するのである。神輿も法被も少し小さいが京都で誂えた本物の立派な出で立ちであった。子供祭りは少子化で、額田の町には子供の人数が少ないので京都や大阪、福知山などに出て働いている地元出身の親達が祭りに合わせて子供を連れて帰郷し、子供を行列に参加させ協力するのが勤めでもある。
さて、午前10時30分、各地区で昨夜から今朝にかけて巡行していた山車3台、子供神輿1台が駅前広場に集合した。町のみんながこの山車の総出を楽しみに広場に待機しているのだ。額田の山車は喧嘩山車ではなく、最後に山車の見せ処を力一杯に競争し見栄を切るのだ。
駅前広場に3台の山車と、こども神輿が総出して順次観客に見せ処を競争して披露する。 賀茂神社のある井田地区は額田の外なので総出には出てこない。
上町と下町の山車は2階を高速回転で廻し合い、向地区の太鼓山車は全太鼓の乱舞打ちを男女で観客に披露する勇壮な光景であった。昔はここまで派手にやらなかったので、久し振りに祭りを見に帰郷した甲斐があった。しかし、まだ我が実家の奥地区の一宮神社(いっきゅうじんじゃ)祭りはこの午後からが始まりなので私達の興奮はまだ頂点には達していない。
一宮神社の神事、御神木で信者氏子の民家を走り廻るという珍しいお祭りで、私はこれも奇祭だと思っている。ところが、昔から神様はいつ我々の下界まで降りてきて、家に立ち寄ってくれるか、どの家にも一切予告が無いから分からないと言われている。各民家は御神燈や灯りを煌々とつけていつ来るか分からない神様をお迎えするためじっと待つのである。
一宮神社の境内 御神木を待つ実家(奥地区) 庭側の神の間に神事の飾り
今回は我が実家の奥地区には夕方になっても太鼓の音が近づいてこない。待ちくたびれていたが、 夜8時ごろになって、漸く御神木らしい太鼓の音が遠くから聞こえ始めた。「さぁ来たぞ!これは必ず奥地区に上がってくるぞ」と兄が腰を上げた。私も家内も家の外に飛び出して実家の橋の上まで見物に出た。御神木を運ぶ神子たちは、先頭に御神木警護団が大きな提灯、杖、拍子木など持って進む道筋を開けていく。次に道先案内人が提灯と杖を持って御神木隊を誘導する。そして御神木を抱えて5人の若者の神子が一目散にその後に着いて走る。兎に角早い。御神木隊は私達が外に出て30秒ぐらいで実家の橋のたもとまで近づいて来た。
御神木警護団 御神木案内人(この使いが決める) 我が実家は終ってさらに奥の方に上がって行く
次の瞬間、案内人が突然、我が実家の橋に杖の先を向けた。「来た、来た、来た、御神木が!」と言って実家に集まった家族みんなが興奮状態で神様を迎えた。私は御神木が我が家に来たのは子供の頃に1回しか覚えていないので子供心で嬉しくて涙が出そうであった。今回の帰郷は神に接したような気がして本当にラッキーだったと思う。
以上が故郷の秋祭り「額田のだし」の報告です。雰囲気を出す為に少々写真が多すぎました。 MK