特定非営利活動法人 絆JAPAN

長野県諏訪市渋崎1792-394
東北支部 石巻市渡波字栄田156

地震

2011年06月30日 | 震災支援
今朝8時30分ころ地震が有った。
震源地は松本付近松本は震度5強、諏訪は震度3.
ちょうど2階の事務所にいて、東日本大地震と同じくらい揺れたが、揺れの長さは短かった。

松本ではけが人か出たり、建物に被害が有った。
幸い死亡者はいなかったが重軽傷者11人も出た。

これから一週間位は、震度5前後の余震が予想されるとの事で注意が必要だ。
諏訪湖の周りは軟弱地で、液状化現象が予想されている。
大きな被害が出てパニックアタックにならないよう、心の準備もしておこう。


ワカメ完売

被災地の雄勝町船越から送ってもらった三陸天然ワカメが、1日で完売した。
前から予約を入れて頂いた方もあったが、ワカメ販売の趣旨を説明したら、
皆さん快く賛同してくださり、お買い上げいただき、今回の分はは終わりました。

次回の入荷は多分7月の10日前後に、今年最後の天然ワカメが送られてくる予定です。
入荷次第お知らせいたしますので、その時はご協力お願いいたします。

お買い上げくださった皆さん、ご協力ありがとうございました。


三陸ワカメ

2011年06月29日 | 震災支援
今日石巻市雄勝町船越から三陸天然ワカメが届いた。
船越の皆さんが復興に向けて、最初に取り組んだのが天然ワカメの出荷です。
少しでもお手伝いができればと送っていただき、仲間や知人に買っていただいています。
1個300g入りで原価500円プラス送料40円の540円です。



数に限りがありますので、購入してくださる方は絆JAPANにご連絡ください。
直接支援物資倉庫へ来ていただいてもOKです。


絆ハウスの可愛い住人

昨日福島県から絆ハウスへ4人家族が越してこられました。
30代のご夫婦と二人のお子さん、今までは外で遊ぶこともできず、小さな子供にとってはストレスも溜まりつらい日々だったと想像ができる。

二人とも朝から泥だけになりながら、絆ハウスの前の畑で土いじり、疲れ知らずか1日中遊んでいてママをやきもきさせる。

今日の午後は保育園の面接に行ってきて、そのあとまた土いじり。
子供たちが伸び伸びと笑顔で遊んでいるの姿は本当に微笑ましい。


多くの仲間が一緒に創り出した子供の笑顔。

     

明日も朝から泥だけだろうな。

フリーマーケット

2011年06月27日 | 震災支援
仮設飯野川高校団地は北上川左岸小高い山の途中、飯野川高校のサブグランドに建てられた仮設住宅だ。
被災された方たちが入居されたばかりで、責任者も決まっておらず、コミニュティとしても機能していない。

持って行った支援物資をまとめて受け取る方も配布する方も居ない。
そこでフリーマーケットを開くことにした。文字通りフリー(無料)

小澤さんと山田さん親子、それに避難しておられる山田さんの従妹さんにも加わっていただき、
ブルーシートをの上に物資を広げ、仮設住宅の方々に声をかけて、必要な物を持って行っていただいた。
これならゴミにならず、不要なものは必要なところにも回せるし、なかなか好評だった。

それどもほとんどの品物を持って行っていただき、サイズの合わない靴や食器が少し残っただけだった。
次回もまたあちこちの被災したところで、フリーマーケットを開くことにした。

 

今日 石巻の木村さんと電話でお話した。
鹿妻南の方から岡谷の山田さんの事を聞いて、支援のリクエストが山田さん経由であったからだ。

鹿妻と同じく津波で1階の天井まで泥水をかぶり、使える家財がほとんどないと言う。
行政やほかからの支援物資は来ないそうだ。

リクエストは
 傘 大人 婦人向け 3本
 子ども 女児(小学校3年) 1本
 男児(5歳、3歳)  2本
 飲料水
 缶詰
 皿(中、小)
 コーヒー茶碗セットなど食器類
 60歳代の男物衣類(下着も含めて)
 60歳代の女物衣類(下着も含めて)
 扇風機

それとゴザが欲しいと言われた。
コザはさっそく富士見製畳さんに電話したら、7月初めに120枚ほど表替えが有るので取っておいてくれるとの事。
そのうえ必要なら、ほかの業者に声かけて集めてくれるとの事。ありがたい申し出をいただいた。

それと 大沢君が今日届け物に来て明日冷蔵庫、洗濯機2台 電子レンジ2台など家電を持ってきてくれると言う。
ありがたい事だ。 

それでも支援物資はまだまだ足りない。

人の意識

2011年06月26日 | 震災支援
震災から3か月半がたった。
連日テレビのニュースに流れいた震災関係のニュースは日に日に減っている。

人の意識も時ともに薄れて行く。
発生当時は多くの人々が、被災された方を思いやり、亡くなった方のニュースを見ては心を痛めた。
時がたつと多く人は日々の生活に忙殺されて行く。
それはそれで、一つの事実。
それがいけないわけではない。

被災地はまだまだ手助けと、復興へ向けてのサポートを必要としている。
これもまた一つの現実。

今日は支援物資の仕分け作業に、皆勤賞の小澤さんはじめ、青沼さん、山田さん親子と多彩な顔ぶれ。
被災地の話をしながら、多くの方から頂いた物資を選別して箱詰めをした。
中には黄ばんでしまった衣類や、汚れた食器、いたんだものなどが有り、
それを分けて行く。

ガラス食器や陶器の未使用でも、ススケたり、汚れてしまっているものは、
青沼さんが一つ一つ丁寧に洗ってくれた。

諏訪からの支援物資が酷いもだと、現地に方に申し訳ないし、諏訪の品位が疑われるとおっしゃって、2度3度と洗いなおしてくれた。
ありがたい事だ。

津波の被害は、想像以上に酷い。
まだまだサポートは必要だと感じている。

塩害で枯れた杉林


津波で壊れた岸壁






船越の天然ワカメ

2011年06月25日 | 震災支援
船越の復興に少しでもお手伝いができればと、船越の天然塩ワカメの共同購入を始めました。
お近くで私の所まで取りに来られる方は、ご連絡ください。

また直接船越へオーダーされる方は、船越の代表中里さんのFAXをお伝えしますので、
kizuna@rudy.co.jpまでメールをください。
船越からの出荷は6月いっぱいとの事です。
7月からは、ウニとかほかのものに変えていくとおっしゃっていました。
新しい生産物が出荷されるようになりましたら、またお知らせいたします。

船越の復興拠点となっている船越小学校
 


船越

2011年06月23日 | 震災支援
雄勝半島にはかつて15の浜村が有った。
その一つが船越浜、名振の隣浜で同じ名振湾に面している居る。
通常なら2Kmちょっと車で5分もあれば行ける距離だ。
しかし今は津波でその道路が通れないので、いったん半島を横切り、雄勝湾側の明神浜に出てからら小滝浜を回り、大浜峠を越えて船越に入る。前回来て通れなかったルートだ。

船越は140戸ほどの集落だったが、残ったのはわずか5戸、そのうち4戸は山に亀裂があり危険だと言うので、避難勧告が出でいる。残る1戸も避難指示が出る予定だという。
つまり集落が壊滅なのだ。
船越にある船越小学校は3階建の2階までが津波で壊れ、多くの住民が3階に避難していたが、ほかの避難所や仮設住宅に移ったり、アパートを借りたして今はほんの数家族が残っているだけだ。

しかし昼間の船越は多くの人がいる。
避難所や仮設住宅から復興作業をするために通ってきている。
地区会長の中里さんを中心に、瓦礫や車を片付けながらワカメの出荷を再開していた。
船越に有った新しい船はすべて津波によって流されたが、残った古い船と、支援の船で天然ワカメを採って、瓦礫を片付けた学校の上で塩ワカメの生産をしている。

中里さんと話をさせて頂いたが、復興にかける意欲と熱意を感じる。
ひげ面で人なっこい笑顔の海の男。

わずかな支援物資を渡すと、ここは少しでよいよ、牡鹿半島の人たちは支援物資が届かないと聞いたから、そちらへ持って行ってやってくれ、俺たちは有るものを分け合ってやるから大丈夫だと言う。

被災された方々、何人からも同じように言われた言葉だ。
その日の食べるものや、必要な物が日常的に不足していても、皆異口同音にほかの人の心配をする。
だからこそ、この方たちを支援させて頂きたいと心底思う。

船越の家の上には船が乗ったまま 土台から根こそぎ持って行かれ基礎だけが残っている      
 

雄勝湾の岩には養殖の貝殻イルミネーションのように絡み付いていた。


船越の墓地の石塔の上にはいまだ車が乗ったままになっている。

2011年06月22日 | 震災支援
名振避難所に物資を下ろしてから名振の集落へ行ってみた。
男衆は海からがれきを上げる作業をしていた。船はすべて流され、北海道や千葉から支援されたと云う小舟で海に沈んだ家の残骸を1本づつ引いてきて、トラックについている小型クレーンで引き上げる。
気の遠くなるような大変な作業だ、それを毎日繰り返して、名振の海で漁業の再開を目指している。
漁港は跡形もなく壊され、今は瓦礫の山になっている。
地震で70cm以上も地盤沈下して、満潮時には水没すると言う。

    

沖には漁船が何隻も沈んだまま、クレー船が来ないと引き上げができないと言う。
被災から3か月もたっているのに、いつ引き上げられるか予定がたたないとの事。
あまりにも広範囲に大きな被害のために、小さな漁港は後回しになっているのが現状だ。

北海道から支援された船は、まだ陸におかれていた。


海から20m位は高い場所のカーブミラーの先には打ち上げられた船がそのままに。

絆ハウス

2011年06月21日 | 震災支援
石巻へ行っている19日の日に、絆のメンバーと諏訪二葉高校文化祭実行委員の皆さんが、絆ハウスの片づけ&大掃除をしてくれた。
福島県から絆ハウスに避難してくる幼い子がいる4人家族を迎えるために、朝から総勢10名で集まっている支援物資を倉庫に移動して、隅々まできれいにしてくれた。




今まで多くの方々の手によって準備していただいた絆ハウス、あとはお風呂のボイラーと、水道管の修理を終えると、向かい入れるだけだ。
6月27日に福島県郡山市を出発する引っ越しの荷物は、28日の午後2時に到着予定。

外で遊ぶこともできない環境では子育てもできないと、開店して4年ローンもあと1年残っているというレストランを閉めて、生活の基盤をなくしも、幼い二人の子供ために移転を決めたという。
この方たちは、直接津波被害にあったわけではない。しかし原発事故、放射能の恐怖、まぎれもなく震災の被害者なのだ。

19日お掃除をしてくれたメンバー。


諏訪二葉高校へ行ってきました。

諏訪二葉高校文化祭が7月8日から10日まで行われます。
8日の日に全校生徒さんに支援活動のお箸をさせていただく事になり、役員の生徒さんとその打ち合わせをさせていただきました。
現在文化祭に向けて、連日遅くまで準備されており、その中で震災支援の取り組みをしていました。
すでにタオルケット・シーツ・石鹸の募集をしており、文化祭当日も集めてくださるとの事、とても頼もしい生徒さん達です。
8日の日のプログラムもしっかりした内容とタイムスケジュールが組まれており、私もうかうかしていらないと感じました。
文化祭当日には、被災地の石巻の物産手も計画しており、今回行った船越の天然三陸ワカメの販売の提案をしてきました。

皆さんぜひ諏訪二葉高校文化祭へ足を運んでください。



名振コミニュティセンター

2011年06月19日 | 震災支援
17日の夜諏訪を発ち、一路名振を目指す。
今回は小澤さんと二人旅、トラックの運転は私一人、さすがに疲れ睡魔に襲われる。
途中何度か仮眠をとり名振についたのは8時を過ぎていた。

名振に着くと大和美代子さんら女性陣が、笑顔で出迎えてくれた。
男衆は浜に出でがれきの撤去作業をしていると言う。

仮設住宅はすでに完成していて、竣工検査も終わったそうだがいまだに入居がされていない。
まだ入居の許可が出ていないとの事、こんな緊急時でも相変わらずお役所仕事、市の職員も一生懸命やっていることは、何度も見て理解できるが、臨機応変さに欠けると思う。

避難所の横でソーラー発電パネルとソーラーランタンを見つけた。
電気が復旧するまでこれでしのいでいたの事、ランタンは未だとても重宝に使っていると言う。
避難所は体育館と同じ設備なので、照明をつけると寝るのには明るすぎるし、夜トイレなども困ると言う。
ランタンを枕元に置いたり廊下や通路の両側において足元を照らすのに良いそうだ。

このランタン初めて見たのは今年のアースディの会場だ。
インド製で、国連UNHCR協会がアースディの会場で展示してあり、その時に石巻の避難所に配布した言っていた。
そのランタンと名振でお目にかかれ、とても役立っていてなぜか嬉しかった。
アースディの時国連UNHCR協会の担当者に1台くれと言ったら断られた。

一度の充電で9時間から10時間も点灯する優れもの、国内では販売されていないと言う話だ。
居間でねちょっと欲しいなと思う。








石巻へ行ってきます。

2011年06月17日 | 震災支援
やっと物資の積み込みが終わった。
今回もかなりの量だもしかすると前回より多いかもしれない。
本当に多くの方の善意で集まった物資だ。

今日は小澤さんのほかに青沼さんが手伝いに来てくれて、わが社の事務の小林さんも18時過ぎまで手伝ってくれた。
リョウも現場が終わってから積み込みに駆け付けてくれたので、予定より早く積み込むことが出来た。

今回は、前回最後に行った雄勝町名振コミニュティーセンターに朝一番に行き、船越、鹿妻南、仮設飯野川高校団地、寄磯浜と行く予定だ。
途中諏訪市役所から預かった写真を、諏訪市へ一週間ほど避難されていた方々に届けて、
夜は山田さんのご実家に泊めて頂き、帰りに郡山に寄って絆ハウスに避難してくる方の荷物を積んでくる。

今回は一人でほとんど運転することになるだろう。居眠り運転要注意だ。
でもなぜかふぃとが湧いてくる。


石巻へ行っている間に、絆JAPANのメンバーと諏訪二葉高校の生徒さんが、絆ハウスの片づけと掃除をしてくれる。
古い家だが、避難してくる家族の方たちが気持ち良く住めるように。。。。

カレンダー

2011年06月16日 | 震災支援
被災された方からカレンダーと時計が欲しいと要望が有った。
家屋からすべて流された方には命以外何も残っていない。
避難所で集団で暮らしているときはカレンダーや時計はいくつかあれば共有できるが、仮設住宅に移れば、個々の家々になる。
当然カレンダーと時計は日々の生活に欠かせない。

明日から石巻へ行くので、小澤さんと二人で知り合いに声をかけた。
ありがたい事に、今日1日で200枚ほどのカレンダーと20個ほどの時計が集まった。

それにしても小澤さんの行動力はすごい、浜新聞店さんや知り合いの会社へ出向き、あっという間に、カレンダーを集めてきた。
この時期まで今年のカレンダーをまとめて持っている所など、そんなにはないと思う。

今後も仮設住宅へ移る方が増えるとカレンダーや時計はもっと必要になるだろうし、
当たり前に色々なものがそろって生活している私たちには、全て物を失った方たちの不便さは到底計り知れない。

メール・携帯電話・テレビ・車・電気水道などなど、
あまりも便利さに慣れてしまっている自分がいる事に気付かされた。

責任を取る

2011年06月14日 | 震災支援
責任=Responsibility
責任を取るという言葉を良く聞くが、それを言う人は往々にして責任を取っていない。
挙句の果てに責任を取ってやめると言う。
まるっきり責任を取っていない。

責任を取っている人=求められた結果を創り出している人、やると言ったことをやっている人。 と私は思う。

では私自身どれほど責任を取っているだろうか?
どれほどやると言ったことをやっているだろうか?

仕事に関して、
家庭に関して、
人間関係に対して、
支援活動に関して、

かなり自己評価は低い。
最近自分の内側で言い訳が多い。
一寸被害者意識もある。

今日は諏訪市の支援物資の仕分け梱包作業をやる。
すでに4回目。
社会福祉協議会の登録ボランティアさんも声をかけてもらい20人ほどが集まる。
今回で被災地へ送れる物資の整理は終わり、週末に殆ど持っていけるだろう。
しかし毛布は引き取り手がない。2000枚も有るのに。

スリランカの貧しい子どもたちに贈れると良いのに。
彼らはベッドもなく固い床に寝ている子が多い、毛布をベッド代わりにして、ふかふかしてとても良いと喜ぶ。
しかしこま毛布は津波の被災者のために集められた市民の善意。
スリランカに送るわけには行かないだろう。
それに贈るには資金が要る、60万円以上かかる。

う~んこれも言い訳か。
どうしたら有効に生かせるか?もう一度取り組んでみよう。



スリランカからの手紙

2011年06月12日 | 国際協力


スリランカのチャンドリカ先生から手紙が来た。
残念ながら私には読めない。

津波のことで心配しているとのこと、スマトラ沖地震の時はスリランカも大きな被害が出て、3万人以上もの人が亡くなったり行方不明になった。
それまで地震も津波も縁のなかったスリランカの人々は、津波の怖さと被害の大きさを体験して知っている。

そして私たちにスリランカのことを忘れたのかと、スリランカの子ども達の子徒歩忘れるわけがない。
今は東日本の支援に全力を傾けているが、スリランカの事を投げ出して有る訳ではない。
スリランカのプラシャンと昨日もスカイプで色々と話をした。
学校建設の話、希望の家の子ども達の話、経済情勢、銀行口座の事など、課題も沢山ある。

二足も三足もわらじはいてふんばるさ。

諏訪二葉高校

2011年06月10日 | 震災支援
諏訪二葉高校から支援活動の話をしてほしいとオファーが有った。
生徒さん達が文化祭に向けて、被災をした石巻の支援をしたいとの事。
7月8日に全校生徒に話をさせていただく事になった。

それ以外でも生徒さんたちができる支援勝度をしたいと、物資の仕分けや荷物の積み込に来てくれるとの事。
高校生たちが被災された方たちを思いやり、できることを探して支援をして暮れる。
諏訪の高校生も素敵ですね。

http://www.nagano-c.ed.jp/futaba/index.html

17日の夜から19日まで支援物資を持って、被災地へ行きます。
今回は何人か同行するので、高校生も代表で3人一緒にどうかと提案したのですが、試験や文化祭の準備があり、今回は無理と言うとになった。
それでも機会を作って被災地へ行きたいとの事、被災された高校生や子供たちとつながりを作るお手伝いができたらと思っています。

新たな絆が生まれる事を願って。

支援物資

2011年06月09日 | 震災支援
地元の浜新聞店さんが出している、かわら版に支援物資募集の記事を載せて頂きました。
さっそく何人かの方が支援物資を持って来てくださいました。
またお電話をいただき、支援物資を持ってきてくださるとのご連絡を頂きました。

震災からすでに3か月になろうとしていて、世の中の人の意識も少しづつ薄れていく中で、多くの方から支援を頂いたり、お申し出をいただいたりして、本当にありがたいことです。

今日も荷物の仕分け作業に、皆勤賞の小沢さんそして岡谷市の山田さん親子が来てくださいました。
山田さんは石巻市雄勝町名振のご出身で、ご実家が石巻市内にあります。
ご実家も津波で大きな被害を受け、ご実家や周りの方たちも不住な生活をしています。
そんな中、山田さんはご実家だけでなく、ご実家の回りの方や名振の方々のために支援物資を集めたり、ボランティアに参加したりと献身的に活動されています。

お一人で段ボール何箱も支援物資を用意したり集めたりして、被災地へ送っています。
今月の18日に石巻市では合同慰霊祭が営まれるとの事で、再び石巻へ行かれるそうです。

被災地ではいまだ水道が復旧せず、水が足りないところや、食事もおにぎりやパンと缶詰でしのいでおられる方がたくさんいます。
少しでも被災された方のお役に立てばと、絆JAPANでは支援を続けていきます。