特定非営利活動法人 絆JAPAN

長野県諏訪市渋崎1792-394
東北支部 石巻市渡波字栄田156

船越

2011年06月23日 | 震災支援
雄勝半島にはかつて15の浜村が有った。
その一つが船越浜、名振の隣浜で同じ名振湾に面している居る。
通常なら2Kmちょっと車で5分もあれば行ける距離だ。
しかし今は津波でその道路が通れないので、いったん半島を横切り、雄勝湾側の明神浜に出てからら小滝浜を回り、大浜峠を越えて船越に入る。前回来て通れなかったルートだ。

船越は140戸ほどの集落だったが、残ったのはわずか5戸、そのうち4戸は山に亀裂があり危険だと言うので、避難勧告が出でいる。残る1戸も避難指示が出る予定だという。
つまり集落が壊滅なのだ。
船越にある船越小学校は3階建の2階までが津波で壊れ、多くの住民が3階に避難していたが、ほかの避難所や仮設住宅に移ったり、アパートを借りたして今はほんの数家族が残っているだけだ。

しかし昼間の船越は多くの人がいる。
避難所や仮設住宅から復興作業をするために通ってきている。
地区会長の中里さんを中心に、瓦礫や車を片付けながらワカメの出荷を再開していた。
船越に有った新しい船はすべて津波によって流されたが、残った古い船と、支援の船で天然ワカメを採って、瓦礫を片付けた学校の上で塩ワカメの生産をしている。

中里さんと話をさせて頂いたが、復興にかける意欲と熱意を感じる。
ひげ面で人なっこい笑顔の海の男。

わずかな支援物資を渡すと、ここは少しでよいよ、牡鹿半島の人たちは支援物資が届かないと聞いたから、そちらへ持って行ってやってくれ、俺たちは有るものを分け合ってやるから大丈夫だと言う。

被災された方々、何人からも同じように言われた言葉だ。
その日の食べるものや、必要な物が日常的に不足していても、皆異口同音にほかの人の心配をする。
だからこそ、この方たちを支援させて頂きたいと心底思う。

船越の家の上には船が乗ったまま 土台から根こそぎ持って行かれ基礎だけが残っている      
 

雄勝湾の岩には養殖の貝殻イルミネーションのように絡み付いていた。


船越の墓地の石塔の上にはいまだ車が乗ったままになっている。