特定非営利活動法人 絆JAPAN

長野県諏訪市渋崎1792-394
東北支部 石巻市渡波字栄田156

避難所

2011年04月26日 | 震災支援
被災地に行き避難所に訪問したり、ほかの方の報告をうかがって、避難所格差が大きいことが分かります。
行政も頑張っていますが、思うにに任せない感があります。
だからこそ多くのサポートが必要だと感じます。それも的確に必要な支援を必要な所に、支援物資の方よりや送りすぎの起きないように、難してことですが不可能ではありません。
情報を聞き分けてちょっと工夫すると、可能性は広がります。

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」http://fumbaro.org/
「助けあいジャパン」http://tasukeaijapan.jp/

被災地へ行ってきました。

2011年04月18日 | 震災支援
被災地へ行ってきました。
今回言ったのは仙台市と石巻市、仙台市では屋代さんからお話の有った老人ホームへ行き、皆様から集めていただいた下着をお届けしました。
ちょうど屋代さんのご両親もおいでになり、ご挨拶させていただきました。
老人ホームの周りは、津波で流れ着いた土砂と流木など多くのものが、見渡す限りありました。
撤去作業は始まっていましたが、目通り30㎝以上ある根の付いた大木を一本一本チェーンソウでカットして、重機でダンプトラックに積み込んで運んでいましたが、いつ終わるのか先の見えない作業を延々とやっていました。

次に行ったのが石巻市市街の小学校の避難所でした。此処は比較手大きな避難所で600人近い方々が避難しており、児童用の体操着100着と園児服、カバン、絵本150冊ほどを届けました。
周りの住宅は一階部分がほとんど水没して使えなくなり、場所によっは道路が水没したまま通行不能の場所が多くありました。

そのあと牡鹿半島の避難所を何か所かまわり、絵本、カバン、ハーブハンドクリームを届けて来ました。
牡鹿半島の被害はひどく、各入り江の集落はほとんど消えて無くなっていました。
道路はかな没やひび割れ、場所によっさては流失して、自衛隊の作った仮設道路で何とか通れると言った状態です。
女川原発近くの寄磯小学校は130人くらいの方が避難していましたが、いまだ電気がいかず、発電機で電気を賄っていました。
飲料水は給水車たより、洗濯はプールの水それもこのひと月で半分になり、この先当てはないとのことでした。
そのほかの小さな避難所も同じような状態で、徐々に電気だけは復旧しているようです。
食料とトイレットペーパーなどの必需品だけは、何とか行政の手配で、自衛隊が運んでいるので間に合っていました。

今回回ったすべての避難所には「ふんばろう東日本支援プロジェクト」http://fumbaro.org/のチラシを配布して、聞き取り調査をして、要望は「ふんばろう東日本支援プロジェクト」へ報告しました。 つづく

被災地へ行ってきます。

2011年04月15日 | 震災支援
今日これからゆみ子と震災の被災地へ行ってきます。
多くの方から寄せられた下着、絵本、文具、子供の体操着など詰めるだけ車に積み込みました。
帰り次第現地の様子をお知らせします。

先日ふんばろう東日本支援プロジェクトにもボランティア登録をしました。
ふんばろうのスタッフやボランティアの方々と情報交換しながら色々な支援活動を広げています。

ふんばろう東日本支援プロジェクトのURLです。http://fumbaro.org/
新しい画期的な支援システムの構築を図っています。若いボランティアスタッフの皆さんの活動にはほんとうに頭が下がります。

絆JAPAN

2011年04月12日 | 震災支援
スリランカに希望の家を作ったきっかけはスマトラ沖大地震インド洋大津波災害の時でした。
あれから7年今度は日本で今まで体験したことのない大地震と大津波の災害が起きました。
災害に見舞われた方々、特に子供たちの将来がとても心配です。
ですから、私たちに出来る事をします。
今まで多くの方のご支援で、スリランカの子ども達の支援を続けてまいりました。その活動も続けながら、東日本大震災で被災された方々の支援も始めました。近所の家を一軒お借りして仲間とリフォームし家財道具をそろえて、被災した方の受け入れをいたします。
被災地の子ども達の心をケアするために、絵本プロジェクトを始めました。今週末に現地へ行ってまいります。
そして「光か輝く島・希望の家プロジェクト」を「絆JAPAN」と名称を変更して、「特定非営利活動法人」として立ち上げることにしました。現在法人登録の準備を進めています。
これからやる事は山積みです。根性入れて多くの仲間とともにやって行きます。