特定非営利活動法人 絆JAPAN

長野県諏訪市渋崎1792-394
東北支部 石巻市渡波字栄田156

石巻市雄勝町へ

2011年06月02日 | 震災支援
小網倉で阿部さんのご主人に、このあと寄磯小学校避難所まで行くと話したら、「今朝から道路が冠水して通れないと聞いたから見に行ってくるから」と軽トラックで雨の中を道路の状況を見に行ってくれました。
30分ほどすると戻ってこられて「やはりだめだ通れない、自衛隊も戻っている」との事で、仕方がないので、寄磯への物資は小網倉と次の旧大原中学へ下ろす事にした。

旧大原中学避難所は、太谷川と谷川の二つの地区の方々が避難しており、4月に伺ったときは約60名の方が避難していましたが、今は親戚や石巻市外へ移り十数名が避難生活を続けていました。
大谷川区長の阿部さんから、今の現状や復興へ向けての意気込をうかがい、思わず涙が出ました。
私たちが長野県から来たんだと話したら、大変だねとねぎらわれましたが、本当に大変なのは被災された方がです。

旧大原中学避難所後にして、雄勝町へ向かう時はものすごい風雨でトラックが風にあおられたいへんでした。
波しぶきのかかる万石橋を渡り、女川町へと進んだ処で検問で止められました。「どちらまで?」「雄勝町まで」「あかん行けんぞ」「なして?」大潮と暴風雨の影響でこの先の橋が冠水して通れないとの事、う回路はないかと尋ねたら、石巻まで戻り45号線経由なら行けるかもしれないとの事、百瀬君とダメかもしれないけど行けるところまで行こうと、そこでUターンして45号線を目指しました。

石巻市ないも道路が至る所で冠水しており、被災した家屋は土嚢を積み上げ浸水を食い止めていましたが、それを乗り越えて浸水しているお宅もたくさんありました。
石巻の市街地を抜け北上川の堤防に出ると、北上側は白波がたち堤防道路はいたるところで陥没しうねっていました。

大川中学付近まで来たところで津波で決壊した堤防の復旧工事をしており通行止め、現場の誘導員の指示で、水没した水田地帯へ右折したが、道路は凸凹がれきは道路のわきにうずたかく積まれ周りは一面の泥水、そんな道路を抜けあと少しで398号線へ出られると言うところで、行く道行く道がみな冠水で通れない、あきらめかけた所へ地元のジムニーが一台、冠水した道路を突っ切って行った、その後についてやっとの思いで398号線へ出た。

398号線を進むと目に入ってくるのはがれきの山ばかり、天候のためか人は誰も居ず時折見る重機も止まったままでした。
旧雄勝町役場は、3階まで津波にのまれテレビのニュースで見た壊滅し、誰も居ない雄勝町の中心街が目の前にひろがっていました。……つづく