ビタミンP

苦心惨憺して書いている作品を少しでも褒めてもらうと、急に元気づく。それをトーマス・マンはビタミンPと呼んだ。

ドラゴンフルーツの赤

2005年08月20日 22時25分44秒 | Weblog
 石垣島に永住したM氏より、ドラゴンフルーツが届いた。写真では知っていたが、こんなに大きいとは知らなかった。せいぜい卵ぐらいの感覚でいたが、実際に手に取ってみると両手に収まるほどの大きさがある。縦方向に切ってスプーンですくう。シャーベットのような柔らかな果肉には、爽やかな甘みがあり、おいしくいただいた。果肉部分は真っ白だが、その部分をすくい終わると、鮮やかな赤い皮が現れてきて、それがいかにも南国を感じさせる。
 その赤で思い出したのが、しばらく前に平塚市美術館で観てきた三岸節子の絵を彩っていた赤だ。
 三岸節子の絵に赤が強烈な色彩となって織り込まれ始めたのは、64歳になって、フランスに永住覚悟で渡ってからのような気がするが、その決意とこの色はどこかでつながっているのだろうか。生涯、股関節脱臼に苦しみながら、三岸好太郎、菅野圭介という二人との結婚生活という“格闘”の中で、みずからの色彩を獲得していったその生涯は、知れば知るほどすさまじく、生きる勇気を与えられる。64歳から84歳までフランスを舞台に制作活動を続け、94歳まで描き続けた情念にもすさまじいものがある。そのあたりは、吉武輝子と澤地久枝という二人のノンフィクションライターによって書かれた書物に詳しいが、94歳で死を迎える直前まで描き続けた三岸とは対照的に、その絵画に多大な影響を与えたとされる二人の夫は、好太郎が31歳で圭介が53歳で没している。
 特に“別居結婚”というセンセーショナルな形で4年間を過ごした菅野圭介という人物とその絵画には、尽きない興味がある。現在はほとんど知られていないその名前もそうだが、絵画も常設展示場さえなく、展覧会もほとんど開かれたという情報がない。北海道立三岸好太郎美術館に200点以上が収蔵されている好太郎、生前に三岸節子記念美術館が生家跡に開館した節子と比べたときの、その落差は何から来たものなのか。赤に特徴づけられる三岸節子に対し、蒼と緑に収斂されたと思われる菅野圭介の色調。その対極ともいえる色彩の対比にも興味が引かれる。[『炎の画家-三岸節子』:吉武輝子/文藝春秋/2,476円]
[『好太郎と節子-宿縁のふたり』:澤地久枝/NHK出版/1,500円][『三岸節子-修羅の花』:林寛子/学陽書房/680円]

●今日のビタミンP:「引き留めて悪かったな」「悪いものか。かえって嬉しいくらいだ。食うための仕事に使う時間は、できるだけ少ないほうがいいんだ」「何のための時間なら、いいんだ?」「決まってるじゃないか。人を楽しますための時間さ」(辻邦生『雨の道』)
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