第二章 宗学の組織
第二節 教観二門
教理門
前者(ぜんしや)は先(ま)ず五時五教判(ごじごけうはん)または一大圓教判(いちだいえんげうはん)の教判(けうはん)によつて、如来一代(によらいいちだい)の聖説(せいせつ)を判檡(はんじやく)してその最高の眞理(しんり)を知識する。換言(かんげん)するならば、菩薩(ぼさつ)の宗教生活上(しゆうけうせいかつぜう)に於(お)ける一切(いつさい)の善悪(ぜんあく)を批判校量(ひはんかうりよう)して、その採(と)るべき態度(たいど)を決定(けつてい)し得(う)る正當(せいたう)な知識の体得(たいとく)である。普通(ふつう)には教(けう)とか教理(けうり)、教義或(けうぎあるひ)は教相(けうそう)と呼(よ)ばれてをります。その内容(ないよう)とするところ第一(だいいち)に実在(じつざい)の問題たる世界観(せかいくわん)、生成(せいせい)の問題たる縁起観(えんぎくわん)を中心(ちうしん)として、佛心観(ぶつしんくわん)、認識論(にんしきろん)、種性論(しゆせいろん)、等の問題が含(ふく)まれてゐる。