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kiske3の絵日記

一コマ漫画、トホホな人の習性、

映画批評、恐怖夜話、あらゆる

告知をユルく描いて書いてます。

(不摂生なおっさんに言われたくはないわな)

2009年09月21日 | ボスヒコの「キミョリが出来るまで」
私はこんな風体だから、どこぞのカルトの教祖と勘違いされながらも、相談者が後をたちません。いろんな相談があります。金銭、病気、学校、就職、職場、恋愛、結婚、家族、人生……。100年に1度の大不況、地球温暖化、そりゃ、ヒトもそれなりに狂い、自制すら効かない状態なのに、他人なんてもっと解りませんな。で、たまたまなのかもしれませんが、最近の相談者には、ある共通点があるんです。己の足下を見ていません。見えないってわけでは無いのです。うっすら見えているのに後回しにしているのです。他力本願と言う事に気づいていない。相談前でも相談後でも良いから、もっと自分で考えてみて、自分が出来る範囲の事をやれば良いんですが、これがね、周囲の出来事に思考が散漫になって、考える気力や行動力が出ないようですな。地を這う道を丹念に進まなければ、“底力”は出ません。地道が肝腎なのです。まずは、食事と睡眠。それと風呂です。と、上手くまとまった事だし、仕事も片付いたところなので、私は今から酒呑んで寝ます。









ダニは殺さないと。                       ボスヒコ
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シアワセって何だっけ、何だっけ

2009年09月11日 | ボスヒコの「キミョリが出来るまで」
私んちはまだ大掃除中です。部屋が広いのとモノが多いので四苦八苦しております。

当然、掃除のワナにもひっかかります。マンガ読んだり、本の配置を何度も代えたり、つい酒を呑んでしまったり、電球割ったり、誰かわからない写真も出て来たりして非常に楽しいもんですが、不快なモノもたまに出てきます。

以前、在籍していた会社の時のあるモノ。まあ、私はその会社とモメに揉めまして、裁判まで考えて毎日出勤していたわけです。平たく言えば、仕事が出来るんで虐められていたわけです。妄想ではありません。ええ、自信持って言いますが、し、ご、とができるんです。会社側は社内を洗脳しようと、後輩達にもデマを流す悪質さ。またそれを信じてしまう後輩達。中にはそれに気づいた賢い後輩もいましたが、多勢に無勢、どうしようもありません。私側に付いたとたん、虐められ、のけ者にされますからね。会社ってのはそういう側面があるもんです。まあ、長い物に巻かれたり、寄らば大樹的な考えなんでしょうが、私にとってアホ臭い時期でした。そして、こちらも訂正や説得する気ゼロです。それを勝手に“孤高”とか言いやがります。んでもって、そんな孤高な人が毎日会社行ってやる事と言えば、社長や幹部連中、上司の暴言や不適切な発言をメモったり、録音したりしてました。そのクソみたいなモノが掃除中、出て来まして、録音テープを聞きながら、ノートを読んでしまったわけです。


今年、一番の不快指数となりました。


あん時の後輩達にこの不快指数グッズを見せてやりたいもんです。裁判したら完全に勝てるシロモンです。じゃあ、なぜ裁判をしなかったかというと、「バカに金と時間を使うのが勿体ない」って事に気づいたわけです。そうこうしている内に、笑っちゃうくらいの不当解雇(明日、クビ~みたいな)されまして、MAXの退職金を持って辞めました。ほんと、ラッキーでした。自分で辞めたら、金は出ませんからね。彼等はお金上げても出て行って欲しいくらいに、我慢ならんかったんでしょうな、私に。幹部全員に「お前はコワイ」って言われましたから。「お前らがヨワイ」だけなんですけど。まあ、そんなクソみたいな過去があるんですが、こうやって楽しく生きております。彼等も仲良くやっている事でしょう。

誰でもいつ死ぬか解りません。知っていても、知らなくても、嫌な奴と顔を合わしたり、嫌な事をしたくありません。生活上や仕事上、必要最小限の嫌な事は我慢できても、怒りの沸点を軽く越えてくるバカといるのはかなりの労力がいりますな。これも修行です。無駄と思える事を乗り越えると、だんだん怒りも湧かずに何も感じなくなります。感情が無くなるんじゃ無いですよ。ど~~~~~~~~~~でも良くなるんですよ。だって、自分の人生に不必要な人だもの!!!!!ま、そんなわけで、その不快指数グッズを捨てずにまた押し入れの奥につっこみました。だって、また大掃除のたびにそれを見つけた時、今の幸せを再確認出来るんですから。大不況でもな。










過去の人は二度と姿を現さないで頂戴。             ボスヒコ

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コワイはなし

2009年07月23日 | ボスヒコの「キミョリが出来るまで」
日本人はコワイ話やお化け屋敷が大好きらしいです。テレビで統計と解説を
しておりました。多数の白人、黒人、日本人達に心拍数を計る装置を付けて
もらって、お化け屋敷に入ったらどうなるか、という実験していました。
オバケの役者や装置が驚かす度に、白人は大笑い、黒人は大怒り、日本人は
大恐がりでした。日本人はオバケが出る前から、ギャーギャー叫んでいます。
中には、「オレっち、平気だもん」って感じのすました人でも心拍数は、
叫んでいる人と同じだったりします。白人や黒人の中でも一瞬驚いたりする
人もいるんですが、心拍数はあがりません。全人類の元、黒人はファイ
ティングポーズをとる人までいます。解説では、黒人は太古から闇(恐怖)
に用心し、いざとなったら逃げたり、立ち向かったりするDNAが濃い
らしいです。動物に襲われた後では意味無いですから。さて、日本人は
闇が多かったせいか、異常に闇を怖がるDNAらしいです。それだけコワイ
のに、恐怖を擬似体感出来る映画やお話、お化け屋敷などが好きなのは、
恐怖を克服しようとするDNAも含まれているらしいです。ホントにコワイ
時の際、恐怖に対処出来るように、慣れようとしているのでしょう。私も
そんな経験があります。小中学生の頃、「写真で見る世界シリーズ 図解
怪獣図鑑」と言う分厚くてコンパクトな子供用の本を買ってもらいました。
早速、家に帰って、怪獣たちをオモシロ可笑しく見ていたんですが、105
ページを開いた瞬間、血の気が下がり、音が鳴る程、本を閉じました。



わああああああ!!ぼ、僕は…なんてもんを買ったんだああああああ!!



そこに載っていた写真はホラー映画『蛇女の脅怖』(『THE REPTILE』
1966年)のヘビ女。日本の白塗りのメイクでは無い、ホントに実在して
そうなくらいのメイキャップだったのです。当然、当時のレベルの話
なんですが、今見ても凄いです。こめかみあたりにあるヘビの丸い目も
大胆ですが、今のCG、特殊メイキャップ技術なら口まで処理する所、
あの時代だからこそ、あそこ(普通の口に入れ歯)までだったのが逆に
怖さを引き立てています。絶妙な恐怖のバランスを顔の中に感じさせます。
まあ一番リアルなのは、黒髪を束ねているところでしょう。あれが金髪
だったら、ちと感じが違う。そのヘビ女の恐怖のあまり、本を捨てよう
かと思いました。しかし、買ったばかりの本。勿体ないのと、男としての
自覚が選択を拒否しました。次の選択は、そのページだけ切って捨てる
と言う選択。それは図解としての欠陥になります。で、最後の選択が残り
ます。平気になれば良いんです。105ページだけを見ないと言う選択は
私には無かったのです。そして、そのトラウマ3秒前の写真を克服する為、
幼い私は毎日1回は105ページを開く事にしました。え~~~っと、全然、
慣れませんでした。開き損MAXです。しかも、毎日開いているもんだから、
そのページにクセがつき、何もしなくても勝手に開くようになりました。

そうこうしている間に、楳図かずお、つのだじろう、日野日出志などの
ホラー漫画も私に戦いを挑んで来たのです。毎日が戦場でした。そんな
感じでこんな感じのおっさんになってしまいました。いや~、慣れとは
年を重ねた時に沁み出てくるもんですね。今ではリアルな闇の恐怖でも
対処出来るようになりました。っはっはっはっはって感じで告知です。












告知は明日。                        ボスヒコ

 面白かったら押してください。いや、押してください。
 

でるもいど

2009年07月09日 | ボスヒコの「キミョリが出来るまで」
いきなりですが、私、ボスヒコは右目の黒目の右下が欠けております。
白目が少し盛り上がって、黒目によっこいしょって感じにかかって
います。その黒目にかかっている白い部分のサイズは、縦幅(この
場合、黒目の輪郭から瞳孔に向かって)3mm、横幅4mmくらいです。
私をリアルで知っている人からすれば、ボスヒコの定番なんですけど、

これ、生まれつきなんですな。デルモイドって言うらしいです。

産まれてきた子の黒目が欠けてたもんだから、うちの親は複数の眼科に
診察しに行ったらしいです。ひとつじゃ安心出来なかったんでしょう。
しかし、どこの医者も「先天性だから今んところ、大丈夫」と言われた
のでした。3歳くらいまでに欠けた方の眼が著しく乱視や近視だったり、
その部分がまぶたに擦れて痒かったりしたら、手術した方が良いみたい
です。なんか、欠けている所は皮膚みたいなもんらしいので、簡単に
手術で取れるそうですよ。欠けた部分が広がり出しても瞳孔にかから
なければ問題無し。不安なら手術って感じです。だから、生まれつき
黒目が欠けているお子さんがいる親御さんは極端に心配しなくて良い
んです。しばらくは子供の成長とともに、見守るしかないわけです。

私はおっさんになった今でも、裸眼でテレビのテロップくらいは軽く
読めています。私の場合、ただ軽く欠けているわけじゃなく、限界
ギリギリくらいに欠けているので、大概の初見の方は心配やビックリ
されます。思い起こせば、ちっさい頃は「パックマン」や「月食」
などとイジメ的な言葉をよ~~く投げかけられました。しかし、当人は
この眼を「自分しか持っていない特別なモノ」と言う感覚でいたので、
トラウマにもコンプレックスにもなりませんでした。茶化そうとした
彼等にとって残念なことでしたな。ってか、うちの親に「この眼、
アンタしか持ってないから良いね~」と言われたような記憶があるので、
軽い洗脳というか、擦り込みというか、意味不明な褒め言葉というか、
まあ、バカな男の子だった私は良い気分になってたんでしょう。しかし、
この先天性デルモイド、私のようなバカな男の子だったら、平気で簡単に
おっさんまで育ちますが、デルモイドが気になる子や、嫌な子もいるで
しょう。親御さんは彼等を様子を見ながら、判断してやって下さいね。

この眼、良い事もあるんです。誰でも真剣になったり、少しでも怒りの
感情が入るとギロリと三角の眼になりますね。そん時に私の右目がここぞと
ばかり、威力を発揮します。ギロっとした時、黒目の上半分が瞼に隠れた上、
黒目の右下が欠けている為、漫画で見る「黒目が点の悪役の眼」になるん
です。普通にコワイ。で、そこから本体から発する無駄な眼光が出ている
感じがするもんだから、それなりの修羅場でも普通の人よりも対抗や回避を
出来ているのではないかと思います。まあ、あまり修羅場なんて無い方が
良いし、ちっとも望んでいないんですが、そんな面倒な状況になるたびに
「おい右目、いつものアレを頼んだゾ」と頼むわけですよ。どーも、冷却
装置が付いているみたいで、お互い冷静に話せる状況を作ってくれます。
たぶん、何かピーッて出てると思います。シャーッかもしれません。

北欧神話の最高神のオーディンは、片目の黒目の部分が半分くらい白く
(絵画などでは片目は完全に無いが)視力もあまり無かったらしいです。
オーディンの呼び名は非常に多く、全知全能の神、詩の神、戦神、知恵者、
第三の者、真実の者、長髯の者、勝利の父など、素晴しいものばかりです。

もし、アナタのお子さんが生まれつき黒目が欠けていた場合、「北欧神話の
最高神のオーディンも同じなんだよ」と言ってあげれば、イジメに耐える
強い子になるかもしれません。でも、強制はいけませんよ、親御さん。












ンガーッかも。                        ボスヒコ
 押して
 

繋がる毎日

2009年04月15日 | ボスヒコの「キミョリが出来るまで」
■別れる?死ぬような目に遭わせてやる…男性呼び出し数回はねる
(読売新聞 - 04月18日 12:43)

宮城県警塩釜署は17日、同県七ヶ浜町遠山、無職星かおる容疑者(30)を殺人未遂の疑いで現行犯逮捕した。発表では、星容疑者は同日午後10時30分頃、多賀城市町前の市道で、メールで呼び出した交際中の男性(29)を乗用車ではね、側溝に落ちてはい上がろうとしたところを再びはねて、殺そうとした疑い。星容疑者は、「今、彼をドブに突き落として車でひいている。救急車を呼んで」と自ら110番。電話口からボコボコと物が壊れるような音がしたため警察官が急行すると、星容疑者の車の前に、泥だらけの男性がフラフラしながら立っていたという。男性は全身打撲だが命に別条はないという。調べに対し、星容疑者は「別れ話を切り出されて憤慨し、死ぬような目に遭わせてやろうと思った。5回くらいはねた」と容疑を認めている。




ジャッカスなみにハードな面白い事していますな。面白いのは星かおる容疑者の「5回くらいはねた」って曖昧な供述。「6回じゃ!」と全身打撲のドブ臭いカレシにツッコミを入れられそうです。「死ぬような目に遭わせてやろう」と言う目的は多分、1回目で感じただろうから、後の数回はタイヘンでしたな、このカレシ。


1回目「ぎゃ~~~~~~~~~~~~~!!」

2回目「え!?また!?」

3回目「わぁった!わぁったからもう!!」

4回目「……………しつけー」

5回目「はいはい、今死んだ。今死んだよー」


ま、このしつこさが別れの原因だったのでしょうな。私も大昔に別れ話で殺されかけた事がありました。お互いが忙しく会わない日が続き、お互いの気持ちも冷めた頃、そん時のカノジョが自然消滅を計ろうとしていました。ま、私の勘ですがね。私はハッキリクッキリ別れる派だったのでこれまた面倒。感情乏しい私は現状を「あっそ」くらいに受け入れ、さらっとカノジョの部屋まで行き、別れ話をもちかけた所、カノジョが逆上憤慨。勘は的中し「自然消滅が良かったのに!!」と理不尽な事を言いながらも「やっぱり別れたくない!!」と更に意味不明な言葉を吐き、キッチンから包丁を持ってきました。カノジョの体制は「切る」では無く「刺す」。私の腹めがけて突進してきた所、切れない刃の方を掴んで、窓の外(無人の田んぼ)に誰もいないのを確認して、放り投げました。その後、なんだかかんだで諦めてもらいました。就職の事やら将来の事やらで私の事以外で悩んで、病んでたんですねー、そん時のカノジョ。もちろん、田んぼの中の包丁は危ないんで、後で拾いに行きましたけどね、アタシが。


で、話は変わりますが、


昨夜は2つのイベントで、ライブペインティングのはしごをしました。ひとつは店外で描き、ひとつは暗闇で描きました。絵を描くと言う地味な行為は、描く人の考え方によって立派なエンターテイメントに変わると言う事を新しい人達に魅せれた夜でした。双方のイベントのアーティストやスタッフ様、お疲れさまでした。写真は後日にアップします。まあ、そんなこんなでオールナイト。ふすま3枚分を1回、ふすま3枚分と2枚分で2回、そして、レイヤーっぽい女性の綺麗な腹にボディペインティングを1回。計4回、描きまくりました。元気なおっさんですねってことでコレ↓

大阪梅田「自在~jizai~」で、今夜21:00頃に描きます。
http://blog.goo.ne.jp/kiske3/e/ad1750d07ea5cc0fb298987488ae8c3a

今夜は民族楽器奏者とコラボです。仕事中はオールジャンルの音楽を聞いていますが、毎月やっているイベントのおかげで、いやがうえにも絶対に聞かざるを得ない、エイティーズ、ヘヴィメタル、ハウス、民族音楽。毎日の生活に音楽と芸術が溶け込んでいることは、心が裕福になりますな。星かおる容疑者は心が貧乏だったのに違いない。おっと繋がった。










繋がってません。                       ボスヒコ
 押してごらん。
 

淡い想い出

2009年03月30日 | ボスヒコの「キミョリが出来るまで」
昨夜、13歳と9歳のレディ達と遊んだり、料理したりしました。6時間くらい
なんですが、ほぼ6時間、持ち上げてグルグル回したり、地上でグルグル
回したり、追いかけてグルグル回したりしてました。9歳児はお手玉みたいな
もんですが、それを13歳児(約40kg)にもしてたもんだから、ビリー隊長に
教わるよりも楽しんで体力作りが出来ました。で、彼女達はちっさい頃(今
でもだが)からボスヒコちゃんが大好き。てめえの親と同い年くらいなのに、
完全に友達だと思っています。ま、美少女な上に性格も非常に良い子なんで
全然良いんですが、9歳児の次女は、寝てようが、座ってようが、立って
ようが、私の上をジャングルジムばりに登ったり、降りたりします。6時間
ずっとしてます。彼女が疲れて、すっと離れた瞬間、13歳児の長女がドンと
身体をぶつけて来ます。さすがに中学生の乙女なんで、無邪気な小学生の
ように絡んでは来ません。まあ、そこを持ち上げてグルグル回したりするん
ですが、やはり子供、凄い喜びます。恐怖で叫んでいるのかもしれませんが。
で、それを見た次女がボスヒコちゃんを奪いに来ます。一瞬、2人とも持ち
上げている時間が出来ますが、しばらくすると、次女思いの長女はすっと
ボスヒコから離れ、次女に渡します。それを見て想い出した事がありました。


中学生時代、仲良い女子のクラスメイトはたくさんいましたが、その中
でも仲良い子がいました。名前は憶い出せませんがね。確か、美人さん
でした。で、その彼女の席と私の席は前と後ろ。一番後ろの私とその前の
彼女。ある日、なんの気も無しで、後ろの壁まで机ごと下がってました。
最前列から、プリントが配られて来ました。私の前の彼女が私に渡そうと
すると、遠い距離。彼女は私に向かって大きな声で言いました。「ワタシの
事が嫌いなん!?」私はそん時、消しゴムのカスを丸めて机の穴に詰める
と言う重要任務に追われていたので、「え!?何!?」と言う声すらも
出ずにきょとんとしてしまいました。その後、当然嵐のようにやって来る
ひゅーひゅー。そのひゅーひゅーが自分に向けられていたのに気づいた頃
には授業が始まっていました。う~む、ちょっかいはかけるものの、嫌い
では無い。むしろ、淡い気持ちはあった方だ。当時の記憶だからおぼろげ
すぎて断言は出来ないが、お互いに好意はあったような気がする。しかし、
そん時の私は、水パンパンの水玉風船をいかに上手く投げるかを研究して
いたので、女どころじゃ無かった。水パンパンの水玉風船は相手に当ると
威力はデカイが、投げるときの力加減で自爆する。重要課題に取り組んで
いる私にある日、恋の時間が訪れた。その日の6時間目、彼女から「今日、
放課後に○○公園に来て」という手紙を渡された。……こ、これは!?こ、
こここ、こくこくこくこく告白か!?期待と不安が入り交じった6時間目が
終了。教室一緒で前後の席で同じ場所に別々で行くのってムズいなっ!!
って事で、彼女よりも早く到着。ちっとも笑っていない彼女が来ました。
表情は読み取れません。彼女からの告白を待ちます。そこで気づく中学生の
ボスヒコ。「ん?オレはコイツとつきあう気があるのか!?わあー、ある
っつーたらあるけど、ないっつーたらない。ああああ!!すんごい半々!!」
しかし、彼女から出た言葉でその悩みも解決しました。「あの…○○ちゃん
おるやんか…、○○ちゃんがな、アンタの事、好きらしいねん。ちょっと
良いかな?」おお!これは、友達のコクリ宣言を伝達させる昭和の恋の
伝統じゃないか!!当時、ケータイなんか無いので、皆、ドキドキ方式。
私は安心しつつ、残念がる複雑な気持ちを見せないようにして、良き返事を
した。彼女の合図で、○○ちゃんどこからか登場。○○ちゃんは男子の間
では「まゆげぼーん」と言う愛称で親しまれている。まゆげが一本に
繋がった彼女は恥じらいながらも最大限の内容をコクりました。私は
5フレーム(30フレームが1秒)で交際発注を断りかけたのをあとの
25フレームで止め、5秒間悩むフリの時間を作り、彼女を傷つけまいと
丁重にお断りしました。○○ちゃんの涙はまゆげに吸収されず、彼女と
一緒に帰って行きました。で、その後、あの彼女との距離も仲も何も
変わらずに卒業を迎えます。さて、私が私に問題です。彼女は私の事を
どう想っていたのでしょうか? う~~~~~~~~~む、しらん!!



とまあ、長女&次女のやりとりで、淡い想い出を思いだしたのですよ。
皆さんにもあると思いますが、「アイツは自分の事を好きだったのかなー」
私は恋の信号なんて合気道ばりに受け流すんで、そんなの一杯な過去です。










ロリコンでは無いですよ。                    ボスヒコ
 押!!押!!押!!押!!押!!押!!押!!押!!押!!押!!押!!押!!押!!押!!押!!押!!押!!押!!
 


遅すぎる話

2009年01月18日 | ボスヒコの「キミョリが出来るまで」

高校時代のボスヒコは、今よりも怖がられていました。ヒゲ無しセミロング
でラグビーやっていたクセに、美術部より絵が上手い得体の知れない人です。
しかもあまり人付き合いが良い方では無い。結構無口でした。ガキのクセに
話すのが面倒臭かったんですね。高校が嫌いだったのでしょう。不良系統の
ヤンキー様になる程、血の気も無い。非常に冷めた子でした。野球部の
イカつい野郎達に「オマエって、年上?落ち着き過ぎで怖い」と、わけ
わからん理由で喧嘩の対象から外されていました。微妙にラッキーでした。

ある日、“石”と言うあだ名の友人からある事を聞きました。「オマエ、
今度のバレンタインデイにすごい数もらえるぞ」この“石”と言うヤツは
「石のように存在を消せるくらいに無視されている」と言う存在です。
元ネタは「ドラえもん」の“石ころぼうし”。言い得て妙なネーミング。
本人はヲタだったので、そんな事は全然平気。私もそんな彼が全然平気。
休み時間、“石”は石の力で完全に気配を消していました。ってか、アニメ
ージュを熟読していました。その周囲に複数の女子生徒が彼に気づかずに
私の噂をしていたらしいのです。「え~~~、どうする~~」とか「いつ
渡す~~」とか。本命チョコをどう私に渡すか大作戦の会議のようです。
私はそれを聞いて、“石”の胸ぐら掴んでまで確かめました。嬉しい反面、
面倒臭い。こんな私でも多感な頃ですからね。“石”曰く、私のファン
クラブ的な何か秘密めいたコミュがいくつかあると言う。ほぼ都市伝説
レベルです。私をおちょくって、数少ない友人を無くす事はしないだろう。
まあ、噂だけでも嬉しい。そして、待望のバレンタインデイが来ました。


ゼロ


おいおいおいおい、そこの石やろう。誰も来ませんが~。キャッキャと
黄色い声とともに押し合いへし合い良い髪のニオイが流れて来ませんが~。

“石”は譲りません。オマエのファンクラブ的な何か秘密めいた組織は
絶対に存在するって。何で、秘密なんだ!!公開をせい!公開を!!


そんな淡い想い出から約十年後。同窓会に呼ばれる。そこで知らない女
(もちろんクラスメイトだった人。クラスの女子はほとんど憶えてない)に
言われました。「アンタのファンクラブ、あったの知ってる?」私は何かを
思いだす為にすっごい薄目で自分の持っているジョッキをガン見します。
あ、あ~~、あ~~~~あ~~~~、って、アレって!!「マジ?」
「まじ」「じゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃ、なぜチョコぐぁゼロ!!」
彼女は笑いながら「怖すぎたから」と言いました。それと同時に「結構、
アンタって面白いね」と言われました。どうやら、その女子達の苦悩は、
私にチョコを渡した途端に目の前で捨てられそうなのが怖かったらしい
です。おっと、なんとなく解る。って事でそれからファニーになりました。


わずかなモテ記憶を自慢しました。モテ期が水面下ってのも面白いもんですな。












怖いもんだね。                         ボスヒコ
 押して
 

ニックネームの由来

2008年10月30日 | ボスヒコの「キミョリが出来るまで」

私の名字は「森」です。


幼稚園、小学校時代は「もーりん」。

中学校時代は「もーり」。

高校時代は「もり」。

大学時代は「キミョリ」。

社会人時代前半は「もりさん」。

そして、それに追加された「ボス」「ボスさん」「ボスヒコさん」。


全て、人が私を呼ぶ名前です。「さん」付けでニックネームってのは
上司であろうが、先輩であろうが言うんで、若い頃は少しやりづら
かった記憶があります。皆さん、「ボス」で良いですよ~、と言っても
「解りました!ボスヒコさん!」とつい言ってしまう人もいます。

先日、東京で呑んだ時のメンバーは良い意味での寄せ集め。あらゆる
時代の友人が集まりました。さすがに「モーリ」は居ませんでしたが、
「ボス」「ボスヒコさん」「もりさん」「社長」「キミョリ」と、
同時に言われ「ワシゃ誰じゃ」って脳内で笑ってました。そのなかで
変なニックネームの「キミョリ」。その由来を楽しく説明致します。



私の大学の時のニックネームは「キミョリ」と言います。

よくもこんなに言いにくいあだ名をバカ達(友達)は言っていたもんです。

由来は下らない事で、大学1回生の時の話です。私はふっつ~~~~~~に
登校して、ふっつ~~~~~~に授業を受けて、ふっつ~~~~~~に飯を
食って、ふっつ~~~~~~に下校していたつもりでしたが、どうも、怪しさ
抜群だったらしいのです。軽くロンゲでしたが、もちろん現在みたいにヒゲ
ぼーぼーじゃないですよ。服も至ってノーマル。しかし、何かが違うかった
んでしょうな。私の名字は「森」です。至って普通です。最初の頃はその
まま「モリ」か「モリ君」だったのですが、ある日突然、一斉に「キミョリ」
と言う名に遂げました。誰が言いふらかしたのか未だに解りません。

「おい、キミョリ!飯行こうぜ!」「キミョリ、時間ある?」「キミョリ、
金貸してくれ…」言いにくいあだ名を言うクラスメイト。誰に訊いても
由来を言いませんが、簡単な略語で作られたと言う事はすぐに解ります。


「奇妙」+「森」、「キミョウ」+「モリ」、「キミョ」+「リ」、
「キミョリ」。。。ハイ、出来上がり。って、無理があるでしょう!!

言いだしっぺのセンスを疑いました。バカは好きなだけ言っとけと言う
冷めた態度で無視していたら、彼らに余計に火をつけたみたいで、私が
振り向くまで言いやがります。根負けして返事をしだすと、山火事の
ように広まり、違う学科の人間まで「キミョリ」と言うようになりました。

2回生になって、皆と親交も深まった頃には、女性の友人の間で「キミョ
ちゃん」と言う「キョロちゃん」的な(?)言い方をされだしました。
さすがにそれは私のキャラに合ってないと思い、拒否しましたが、また
その拒否具合が彼女達に火をつけたみたいで、結局、負けました。その
数週間後、クラスメイトのある女性が略語的進化系を言って来たのです。

「ねえねえ、キミョー、英語の試験っていつだっけ?」

進化系じゃないし。「奇妙」って最初に戻っちゃってるし。

さすがにそれは浸透しづらかったみたいです。由来ってのは愉快ですね。












そう、愉快でもないな。                    ボスヒコ

 押してちょ~~~~~~~~~~~~だい!
 

床下浸水時は床上に。

2008年02月07日 | ボスヒコの「キミョリが出来るまで」

郵便ポストに「地震避難マニュアル」的な小雑誌が入ってあった。
避難場所や地震の時の対応など、事細かく書かれてある。日本は
今から30年以内ぐらいに大きな地震に見舞われるらしい。ここ
関西も2つ程のヤバい地震さんが来る予定。そん時、私の住んで
いる辺りも5mぐらい水位が上昇するらしい。水浸し程度では無い。


水浸しで思い出した。尼崎に住んでいた高校か大学の頃に台風の
せいで1回だけ大きな水害を経験した。ヒザ下ぐらいまでの汚れた
水が尼崎全てを覆っていた。あん時住んでいた一軒家はヒザ上ぐらい
の床下だったのでギリギリ助かった。「床下浸水」とか言うアレだな。
関係ないけど「兼業農家」って言葉も思い出したぞ。私のガキん時、
兼業農家だったなあ~、じゃなくて、そう、床下浸水。やっと半日
経って、水が引き出して泥水は足首ぐらいになっていた。泥水で
長靴の「靴」の部分が全く見えない。う~む、これは探検しかない。
と、誰も頼まれもしないのに、チャリで町の状況を探検しに行く。
なぜ自転車なのかと言うと、男はこういう時はチャリなんですよ。
人があまりいないもんだから(あたりまえだ)気分よく泥水を巻き
散らしながら走る。スピードをあげる。ひゃっほお~~~~~う!

チャリじゃないみたい! ねえねえ見て見て! 

ボクのチャリが!

ボクのチャリが!


っどーん!!!!バシャ!!!!うっ!!!! 


……………………。何!?…………。



しばらく何が起こったか解らなかった。私は泥水に横たわっていた。

どうやら、自転車の前輪が何かに引っかかり、ぶっ飛んだみたいだ。

3m後方に変な形に曲がったチャリがある。自分が怪我したかどうかは
興味がなく、何に引っかかったのかを調べに行った。段差や岩だったら
いいけど、人や犬だったらヤバい。周囲には何も変わった様子も無いと
思い、チャリを起こしに行った時、チャリの後方1mにソレはあった。



マンホールの穴。


洪水でフタが浮き、外れていたのだった。


それはそれは、立派な落とし穴でした。



汚水がマンホールから吹き出していないので全然見えない深い穴。

誰かがこの穴に落ちていたらと思うとゾッとする。私はマンホールの
フタを探す為に、手探りで泥水の中を探った。そこを通った人が私の
行動に「何か落とし物ですか?」と聞いてきた時に、やっとの事で
フタを探し出して泥水の中から取り出した。その通行人は驚いて
ましたな。そして、なんとかマンホールの穴にはめて、前輪が回らず、
ハンドルがアッチ向いてホイしているチャリを引きずって帰ったので
ある。尼崎探検も結果的には人助けした事になった。その時に左手の
甲から血を流しているのに気がついた。バイキンまみれもいいとこ
ですな。それから後日、何度も尼崎周辺のニュースを確認しても、この
洪水での死亡者はいないと報道されていたので安心した記憶がある。


まあ~ね、自分がたった1人の犠牲者になってたかもしれんがね。












床下浸水ん時は床上にいましょう。           ボスヒコ


 さあさあ!!!!押して押して!!!!
 

オス!!オス!!オス!!

2008年01月22日 | ボスヒコの「キミョリが出来るまで」

大学時代に友人が空手部に入部した。入部というか、本人が自覚ない
まま入部していた。彼と共に自覚ないまま入部した新入生は5人。

その内3人が辞める決心をする。そりゃ、運動に縁がなくて空手に
興味ない上に知らない間に空手部部員だもの。そら辞めるわな。
練習もつらいしな。1週間後、部長に退部を届け出る。明日の練習を
最後に退部できるよ、と言われたのでホッと胸をなでおろした。
だって、怖い先輩ばかりだ。ついこないだまで高校生だったので
先輩みんなが大人に見えていた。あ~良かった、いい先輩達で。


次の日、普通に練習と称したリンチをくらう。退部したいヤツは
先輩全員と組み手をしなければならないというここの空手部の伝統
だった。辞めたかったらこうなるよという見せしめにもなる。

彼らは1人づつ、ボッコボコにされていく。私の友人も肋骨とアゴを
折られた。とうとう最後のヤツになる。もう彼は震え上がっている。
恐怖の順番を待ち疲れた上に戦う気力などないまま、人形のように
踊らされる。それに部長がムカついたのか、そいつに向かって叫んだ。


「ぅおおいぃっ!辞めたかったらちゃんとせえんかいっ!ちゃんと!」


「ちゃんと」って何だ?リンチされている側の「ちゃんと」の定義を
教えて欲しい。ちゃんとするから。と思いながら骨折の痛みに耐える友人。

ちゃんと出来ていない最後のそいつはもうフラフラだ。部長の怒りが
頂点に達した。「ゴルぁぁぁっ!お前しばくどっ!」もうシバいている
ではないか、と誰もが思う事が何も思えない程に道場に緊張が走る。
ビビったちゃんと出来ていない彼は、何か言いたげに口をパクパクさせる。
部長が叫んだ。「なんじゃあっ!文句があんのやったら、言わんかいっ!」
皆は静まり、彼の言葉を待つ。そして彼は勇気と体力を振り絞って言った。



「かだらが保ちませんっ!」



一瞬だったので怒り狂っている先輩達は誰も気付かなかった。しかし、
後輩達には地獄の一声に違いない。カダラ……あぁ、身体(からだ)かぁ。


カダラて……


と頭の中で反復しだす後輩達。この怒りで静まり返った状態で笑って
しまっては部長の怒りを買って、もう1回組み手と称したリンチの
メニューが組み込まれてしまふっ!笑顔ですらヤバいはずだ!!!

笑ったらアカン!笑ったらアカン!笑ったらアカン!笑ったらアカン!
カダラて…。笑ったらアカン!笑ったらアカン!笑ったらアカン!
カダラて…。笑ったらアカン!笑ったらアカン!笑ったらアカン!

私の友人は空手着で顔を隠し、頬の内側を血が出る程に噛んだ!!
後は笑いの我慢による肩の揺れをなんとかしなければ!そして、咳き
込むふりをする。しかし、咳き込んでいるのは自分だけではなかった。

ごほんごほんと空手道場内に一斉に響き渡る咳き込み。実は道場の
半数は笑いを我慢していたのであった。その中には先輩達も含まれて
いる。さっきまで敵だった先輩達と初めて仲間意識が湧いた瞬間で
ある。空手以外でだが。笑いの沸点の山を越して、無駄なリンチの
時間は過ぎ去り、3人は退部ができた。空手部にとって、毎年恒例の
リンチなんで、何にもなかったように時が過ぎていくはずであった。


だが、その友人の両親は、教育関係のちょっとしたエラいさん(結構)。
息子の姿を見た次の日には空手部は廃部まで追い込まれ、リンチを実行
した主犯格の部長らは学校を辞めさせられた。当時、新聞にも載った
事件であるが、凄惨、残虐、悲惨に書かれてあったこの事件の裏側は、
意外にも伝統に動かされた青年の甘くて酸っぱい罰ゲームであった。













なぁ~~にが甘くて酸っぱいだ。              ボスヒコ

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