歴史に疎(うと)い私ですが、だから “もっと勉強してから言え” と言われそうですが、堪(たま)らず書くことにしました。
なんで「大本営発表」の言葉が頭に浮かんでくるかと言いますと、構造的には、今が、戦前の政府と臣民の関係にとらえられるからです。
戦前は大日本帝国憲法の下、天皇の決めたことに臣民は従わざるをえない関係でした。
今、私たちは、日本国憲法の下、内閣総理大臣の決めることに国民は従わせられようとしています。
ですが、“欽定憲法”下ではなく “民定憲法”の下で生きている私たちは “物言えない臣民” ではなく “物言える国民” です。物言うことが保障され尊重される国民なのです。
とすると、“内閣総理大臣の決めることに国民は従わせられようとしています” こと自体、今の日本にはあってはならないことなのです。
そもそも “内閣総理大臣” も間接的にですが国民が選んで、“私たち(国民)のためによろしくね!” と政治運営を託した存在なのですから。
その “内閣総理大臣” が私たちの言うことをまったく聞かず、従わせようとすることはあってはならないことなのです。
ところが、東京オリンピック・パラリンピックの開催か中止かをめぐること1つをとってみても、新型コロナ禍の中であるにもかかわらず、世論の多数が反対しているにもかかわらず、開催で突っ走っているのです。
そして、特に自民党議員たちは大政翼賛的に “内閣総理大臣” を支えているのです。
ところで、なぜ、こう突っ走ることができるのでしょうか?
1つには、前安倍晋三内閣総理大臣の手法の存在が大きく影響していると考えています。
森友学園問題・加計学園問題、桜を見る会問題等々における対処の手法です。
“とことん言い切れば国民は従ってくるもの!” というものです。真相究明を求める私たち国民の声をまったく聞かない在りようです。
2つには、先にも書いた “自民党議員たちが大政翼賛的に内閣総理大臣を支えている” ことです。この自民党議員たちも国政選挙で選ばれた私たちの代表であるはずなのですが。
3つには、彼らに “国民は我らが強く当たり、引かなければ我らに従う” と認識させる私たち国民の在りようです。
しかし、“物言うことが保障され尊重される国民” である私たちには、いくつもの拠(よ)りどころがあります。友人知人しかり、職場や各種の団体しかり、新聞社等々のマスメディアしかり、国政選挙しかり、各政党しかり等々。
これらの中に “協調” や “連帯” などが生まれてきています。さらに生まれていくでしょうし、生まれていかなければなりません。“大同団結” も必要です。
そして私たちは、事実をあぶり出し、深掘りし、責任を追及し、正すことができるのです。暮らしやすい世の中に向かっていけるのです。
森友学園問題・加計学園問題、桜を見る会問題にしても、ボロボロと責任を追及される羽目に陥ることになっています。まだどれも責任を取ろうとはしていませんが。
河井氏への1億5千万円問題も少しずつその全容が明らかになってきています。この件では、自民党の二階幹事長が「責任は自らと安倍氏にある」と答えているにも関わらず、前安倍晋三内閣総理大臣は何も答えず無言を貫いています。彼はさらに窮地に陥ることでしょう。 “大政翼賛的に前安倍晋三内閣総理大臣を支えている自民党議員たち” もいるようですが。
今一番の課題は、広がっている新型コロナウイルス感染症の克服と、東京オリンピック・パラリンピックの開催か否かです。
これらには、安倍流も菅流も通じない! ゴリ押しすれば、待っているのは墓穴のみ!
私たちは、できるところでできるだけ大きな声を上げていこうではありませんか!!