岐阜・タイヤ・キーパー・専門店・イマージン・50才からのイノベーション それからバトンタッチへ!

岐阜でタイヤ専門店を経営しながら洗車コーティング専門店を開業しさらに事業継承する一部始終を描きます。 

目に見えない放射能の恐怖を語るなら 目に見えない神仏の存在のありがたさを思うほうがいい!

2011年04月04日 | 日記
私はバリバリに神仏の存在を信じています 神仏というより太陽の存在そのものが神仏のひとつの顕れと思えます 日本人はそれを天照大神あるいは大日如来として崇めてきました 事あるごとにご来光を拝み神社仏閣に詣でて家族の無事や商売繁盛の祈願をしています。

しかし神仏とは 何かお願いをすればそれを聞き届けてくださる便利屋さんではなく 光を与え地球の自転を与え動植物を育み四季を与え 言葉に直せば無限の光であるようです またひとつの面は法則であり重力や引力も神仏そのものかも知れません また愛そのものであり慈悲であり与えっぱなしで見返りを求めるものでもないようです。
その愛が私たちの心にもちゃんと備わっているから日子で日女であり お役にたちたいという本源の願いが誰の心にも備わっていてこの大震災において愛の発露が盛んになっているのが現状です。

危険を顧みず原発の沈静化に当たっている人たち ボランティアに駆けつける人たち せっせと募金や献血に励む人たち 集団移転を受け入れようとする人たち 後方で毎日コツコツと仕事に汗をかく人たちなど 震災に縁って失われたものは家やインフラなど物質的なものが中心であるけれど 引き出されたものは人々の奥底に潜んでいた「愛」や「勇気」や「優しさ」や「思いやり」といった目に見えない絆であるようです。 その目に見えない絆を神仏と呼称しても良いと思うのです。


一方週刊誌や新聞には「目に見えない放射能の恐怖」といった記事が踊ります 無恥な私たちは「目に見えないもの」=恐ろしいもの捉えてしまいます でもここは冷静に「目にみえないもの」=愛=神仏と信じ 毎日をありがたいものとして生活をしていく方がどれほど建設的な事かと思いますが。


信じるなら放射能の恐怖より 神仏の存在をそしてその命が備わっている自分自身を信じて さあ持ち場で働こう!

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