奈良の昔はなし~食わず女房~
昔、十津川村に、大そうけちんぼな男がいました。「飯を食わんで、よう働く嫁(よめ)はん、おらんもんか」と、いつも言っていると、ある晩、男の家の戸を「トントン」とたたく音がしました。
男が戸を開けると、きれいな女が立っていたのです。女は、「わしを嫁にしてくれへんか。何も食べんでもよう働くかr」と言い、男は喜んで嫁にしたのです。
女は、朝早くから夜遅くまで働いたのです。しかし、ほんとうに何も食べないのです。
そんな日が続いたある日、男は不思議に思い、女には「山仕事に行く」と言いながら、そっと家に帰り、障子(しょうじ)の穴からのぞいてみた。すると、何と、女は大きなたらいに飯をいっぱい入れ、頭髪の下に隠れていたもう一つの大きな口で、ムシャムシャと食べているではありませんか。
びっくりした男は、「お前のような女はもう嫁にはできん。帰ってくれ」と言ったのです。すると、女は「大きな桶(おけ)を貸してほしいと」と言い、男が用意した桶に男を投げ込み、それを背負って山へ走って行ったのです。
男は、怯(おび)えながらも、ちょうど頭の上に伸びていた谷渡りの藤のつるに飛びつき、桶から逃げたのです。その時、男が見た女の姿は、鬼だったのです。
鬼の女は、男を逃がしたことを悔しがり、「大晦日の晩に蜘蛛に化けてお前を殺してやる」と言った。
いよいよその晩、男は震えながら箒(ほうき)を何本も束ねて置き、囲炉裏に火を焚いたのです。そこへ蜘蛛が自在鉤(じざいかぎ)を伝ってシューッと降りてきたのです。男はそれを箒で火の中に叩き落し、退治したのです。
これとほど同じ話は、実は東北地方から九州、沖縄まで、日本の各地に伝わっています。探せば、数え切れぬほどです。奈良県でも十津川村のほかに五つほどの地域で知らています。ただ、各地の話しには多少の違いもあり、女の正体が鬼や蜘蛛のほかに、蛇、山姥(やまんば)であったりします。この「食わず女房」の話しの時代背景には、人々の暮らしがまだ貧しかった時代の切ない現実があったのかもしれません。
~昔はなしゆかりの地「十津川村」~
・スリル満点の「谷瀬のつり橋」
十津川村にあるつり橋は、日本有数の長さを誇る鉄線のつり橋です。
上野地と谷瀬を結ぶこの巨大なつり橋は、長さ297m、高さ54mあり、そびえ立つ深い山々に囲まれ、眼下には清澄な十津川(熊野川)が流れまさに絶景です。
歩くたびにゆらゆらと揺れるつり橋はスリル満点!まるで空中を散歩している気分です。あべのハルカスの屋上以上ですよ。
今では、十津川村を代表する観光の名所となっていますが、もともとは生活用ためのつり橋としてかけられたのです。今から約65年も前の昭和29年(1954年)戦後の復興期のころ。谷瀬の人々は川に丸木橋を架けて行き来していたのです。しかし、洪水のたびに流されるので、谷瀬村の集落の人たちは1戸当たり20万円~30万円という、大金を出し合い、当時としては思い切った800万円もの大つり橋を村の協力を得て完成させたのです。
当時の教員の初任給が7800円、米10㎏が765円の時代のことの話しです。
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