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日本書紀ゆかりの地を巡る(巻向地域)

2019-09-28 07:22:31 | 地域と文化

ヤマト王権の発展(天皇政権の始まり)

 ヤマト王権は、日本列島を広く支配した大王(おおきみ)(天皇)を中心として、奈良盆地南東部の纏向(まきむく)地域で成立しました。まさしく「やまとは国のまほろば(やまとは国の中でもっともすぐれている場所)」です。

 当時の権力者たちが採用した墳墓のかたちが前方後円墳で、そこでは遺体埋葬の他に祭祀も行われていました。現在は樹木に覆われている古墳ですが、つくられた当初は、葺石(ふきいし)が斜面に整然と並べられていました。権力者たちは、墳墓をより巨大に、立派につくることで自分の権力を示そうとしたとされています。

 三輪山麓の纏向の地にある箸墓古墳は全長276mと巨大で、この地域で最初につくられた本格的な前方後円墳です。「日本書紀」によると、箸墓古墳は大物主神の妻であった倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそびめのみこと)の墓とされ、昼は人、夜は神が造ったと記されています。

 三輪山周辺には崇神天皇陵(行燈山(あんどんやま)古墳)、景行天皇陵(渋谷向山(しぶたにむかいやま)古墳)など、当時の天皇にゆかりのある場所が残っています。

 

大直禰子(おおたたねこ)神社

 JR三輪駅から歩いて10分のところに、大物主神の子である大田田根子命(おおたたねこのみこ)を祀っている大田禰子神社があります。「日本書紀」によると、崇神天皇の時代に疫病が蔓延し、大田田根子命はそれを鎮めるために大物主神を祭った祭主であるとあります。元は、大神神社の神宮寺であった大御輪寺(だいごりんじ)でしたが、明治時代の神仏分離令により、若宮社となりました。

       

 

             

 

      

 

崇神天皇陵(行燈山古墳)

 全長242mの巨大な前方後円墳で、崇神天皇の墓とみられ、築造は4世紀後半とされています。第10代崇神天皇は、大和政権の初代大王ともいわれる人物です。見事な陵墓は、相当な権力を握っていたことを伺わせます。

 高い堤防の上続く松並木、水に満たされた周濠も素晴らしい景観です。幕末に柳本藩によって灌漑利用も兼ねた大改修が施されており、当初の姿とは異なっています。

             

 

景行天皇陵(渋谷向山古墳)

 日本武尊(やまとたけるのみこと)の父に当たる第12代景行天皇の墓で、天理市には大和古墳群と呼ばれる古墳の密集地があります。なかでも景行天皇陵は最大の前方後円墳でその全長は300mあり、全国でも第7位の規模を誇る墓陵です。

 周囲には1㎞にも及ぶ濠がめぐり、付近には部塚があります。宮都の纏向珠城宮は、桜井市穴師付近にあったとみられます。

 

       

 

 

 

 

 

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