〈がんばって働き、倹約して貯蓄すれば、かならず経済的に成功をおさめることができる。貧困におちいるのは、がんばっていないからだ。これが明治時代のメインストリームの価値観、「通俗道徳」でした〉 (本文より)→自己責任論は明治に作られたのか(江川紹子) - Y!ニュース https://t.co/SULZGh0Pu8
— 井上秀子 (@hdkachihar) 2018年10月24日
がんばって働き、倹約して貯蓄すれば、かならず経済的に成功をおさめることができる。貧困におちいるのは、がんばっていないからだ。これが明治時代のメインストリームの価値観、「通俗道徳」でした〉
こうした考えかたは、英語圏なんかで、いまでも批判されているね。つまり、資本主義の下、こうした考えはいまでも流通している。
しかし、がんばっても、誰もが成功するとは限らない。運が悪く、あるいは置かれた環境が劣悪で、いくらがんばっても、貧困から抜け出せない人たちもいる。
ということだね。
貧困対策は「人民相互の情誼(じょうぎ=情愛)によるべし」として、民衆が相互の助け合いで行うべきだという基本的な考え方が示されていた。そのうえで、(1)障害者、(2)70歳以上の高齢者、(3)病人、(4)13歳以下の児童であって、かつ(a)働くことができず、(b)極めて貧しく、(c)独り身である場合には、一定の食費を支給することとした。
つまり、働くことができないほど弱り、頼る相手が誰もいない孤独な人だけが、支援の対象となった。
いまでは、70歳超えても 働けー! 働けー! と
ある府議会議員は「施療券をもらって入院をもとめる貧困な患者をみると、自己管理ができていなくて、体を大切にしなかった結果のようなものもいる」として、この制度を批判した
いつの時代でもいるんだねええ