さて、行人坂を下ったところが目黒雅叙園である。ここについては、既に多くを語られているので、私が付け加えることはない。「「行人坂の魔物~みずほ銀行とハゲタカ・ファンドに取り憑いた「呪縛」」町田徹著を読む」の禍々しさを知ると、余計に足が遠のくと言うこともある。アルコタワーが落成した時に見物によったことはあるのだが、敢えて中に入りたい気分はなくなってしまった。でも、この辺りを歩くなら読んでからの方が面白い。
その直ぐ先が目黒川で、ここに架かっている橋が太鼓橋である。前回掲載した大円寺に最初に西運が架橋した橋に使われた石材などが保存されていたのだが、今はごく普通の橋になっている。
山手通り方面と雅叙園を結ぶルートになっている。
太鼓橋の上から目黒川の流れを見る。こちらは上流方向。権之助坂下に架かる目黒新橋が見えている。
その左手には、かつては東京一有名なラブホテルだった目黒エンペラーが、今もある。昭和48年の開業。その後の風営法の改正などで、この手のホテルは規制が厳しくなり、減少の一途を辿っている。
そして、目黒川の下流方向。両岸にビルが多い。目黒という地名の中心地は、今の目黒本町辺りと目黒不動の辺りから始まっているのだろうが、鉄道の駅がその名を付けると土地のイメージもそれに引き摺られていく例の一つになっている。目黒駅から目黒川に掛けてのエリアで、高層ビルが多数建設されており、オフィスビル化が進行しているのを感じる。
目黒川からもよく見える、雅叙園のアルコタワー。業の深いビルとしか言い様がない。
その直ぐ先が目黒川で、ここに架かっている橋が太鼓橋である。前回掲載した大円寺に最初に西運が架橋した橋に使われた石材などが保存されていたのだが、今はごく普通の橋になっている。
山手通り方面と雅叙園を結ぶルートになっている。
太鼓橋の上から目黒川の流れを見る。こちらは上流方向。権之助坂下に架かる目黒新橋が見えている。
その左手には、かつては東京一有名なラブホテルだった目黒エンペラーが、今もある。昭和48年の開業。その後の風営法の改正などで、この手のホテルは規制が厳しくなり、減少の一途を辿っている。
そして、目黒川の下流方向。両岸にビルが多い。目黒という地名の中心地は、今の目黒本町辺りと目黒不動の辺りから始まっているのだろうが、鉄道の駅がその名を付けると土地のイメージもそれに引き摺られていく例の一つになっている。目黒駅から目黒川に掛けてのエリアで、高層ビルが多数建設されており、オフィスビル化が進行しているのを感じる。
目黒川からもよく見える、雅叙園のアルコタワー。業の深いビルとしか言い様がない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます