東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

東京大空襲・戦災資料センター

2012-02-25 21:40:16 | イベント
以前からその存在は知っていたのだが、なかなか足を運ぶ機会のなかった「東京大空襲・戦災資料センター」へようやく行くことが出来たので、その報告を。今回は、企画展として「東方社写真部が記録したアメリカ軍の無差別爆撃」という展示が行われているとのことで見に行こうという気持になった。


開館時間:12時~16時
休館日:月曜日、火曜日  年末年始(12月28日から1月4日)
    *3月9日・10日は曜日に関わらず開館。
協力費:一般 300円 中・高校生 200円 小学生以下 無料
場所は都営新宿線住吉駅もしくは西大島駅から徒歩20分程度。秋葉原駅から葛西駅の間を結ぶ都バス(秋26)を利用すると「北砂一丁目」下車徒歩2分。


私は都営新宿線住吉駅から歩いた。途中、猿江恩賜公園を覗いたり、小名木川クローバー橋を渡ったり、周辺の釜屋堀の碑を見たりしながら、のんびりと歩いて行った。月曜、火曜と週2日休みであることと、開館時間が午後の四時間ということは要注意ポイント。


外には天水桶や戦災被害に遭われた家にあったものなどが寄贈されて置かれている。


東京大空襲の後に作られた像。平和への気持ちがこめられている。


この施設は公立のものではなく、民間募金を集めて設立されたものなので、見学するには入館料ではなく協力費という形で300円を納める。東京の歴史の中でも特筆される大きな出来事であった戦争の記録を明確に残していくこと、そしてその当時に生まれていなかった世代にその実態を伝えていくことは、重要なことだと思う。私自身、東京の過去を追い求める中で、戦災の実態に向き合うことは必須でもあると思っている。私の周辺では、両親ともに東京の住民であったにも関わらず、幸いにして空襲の直接的な被害には遭わず済んでいる。疎開は両親とも経験しているが、母親は縁故疎開であまり苦労したというわけでもなかったようだ。父親は、学童疎開で栄養失調になり苦しんだという話を聞いた。昭和20年3月10日の東京大空襲の際は、父親は学童疎開中で会津におり、母親は岩槻にいて東京の空が真っ赤に染まるのを見ていて恐ろしさに振るえたと話してくれた。

館内では、二階三階が展示室になっており、三階には様々な資料が常設展示されている。


二階で、今回の企画展も行われていた。東方社とは、対外プロパガンダのための広報宣伝のため雑誌「フロント」を編集発行していた、陸軍参謀本部の元にあった機関。その写真部が空襲被害の撮影を行っており、その主要写真が今回初公開された訳である。日本医大、上智大、雙葉学園、高井戸第四国民学校、根津神社、泉岳寺、京橋・銀座・有楽町など空襲の被害状況や復旧作業の様子、焼け跡での様子など多岐に渡る記録となっている。


東京空襲の記録と言えば、警視庁カメラマンの石川光陽氏が思い浮かぶが、彼の写真も展示されていた。それにしても、今日の姿を良く知っている根津神社が破壊されている有様、銀座や日比谷辺りで道路には消火ホースがうねり、向こうでは煙が上がっている様など、実に生々しくて思わず見入ってしまった。空襲の生々しい状況の分かる写真は、戦時下の状況の中では限られた記録しか残されていない。そんななかで、ネガフィルム約17,000点が調査研究されて、これからもその全貌が公開されていくことは重要なことだと思う。何があったのかを知る為には、まずこういった写真が公開されることが一番であろう。亡くなられた方の遺体がはっきりと写っているカットもいくつもあり、痛ましさを改めて感じた。


この「東方社写真部が記録したアメリカ軍の無差別爆撃」展は4月8日(日)まで行われている。戦災とはどれほどのものであったのか、戦災が東京をどう変えたのか、それを知る為に足を運ぶ価値のあるところだと思う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿