視覚障害者きうっちの自立への道

視覚障害者きうっち(S52年生)が気の向くままに日々の生活をツラツラとつづるブログ

地獄の入院生活(04年6月)

2011-12-10 18:00:00 | 闘病日記
今月分の記事も一応、この入院生活を記した記事のバックナンバーはこちらに目次形式で記してあるので、ご希望の方はどうぞ。

■車いすの人がベッドへ乗り移る方法の一例
 ところでみなさんは、車いすの人がどのような方法で車いすからベッドに乗り移っているのか-。その方法を知っている人は、案外少ないのではないかと思います。
自分も自身が車いすを使って生活をするようになるまではちっとも知らなかったのですが、幸か不幸か、自分は今回の入院生活を送る中で『その方法』の一つの例を知ることとなりました。
何しろ今回の病で倒れて緊急入院をすることになってから、退院するまでずっと車いすで生活をするハメになりましたからねぇ…。まぁ車いすからベッドに『足を使わないで』移るためには
ある程度腕の力がないとできないので、実はほんの2か月くらい前まで、自分は複数の看護士さんの力を借りてベッドに乗り移っていたんですけどね。
でも2か月くらい前から、自分も両腕の力がだんだんついてきて、両腕をひじかけに乗せて自分の体を車いすから少し浮かせる運動-。いわゆる『プッシュアップ』が徐々にできるようになってきました。
実は車いすの人がベッドに乗り移る時、このプッシュアップ運動が非常に重要な役割を果たすんです。
ちなみに自分が車いすを使って日々の生活を送っていた頃、自分は次のような方法でベッドに乗り移っていました。

 まず、自分が乗っている車いすをベッドの横へ、車いすの進行方向と垂直の向きにセットします。
次に自分の両足をベッドの上に乗せ、さらに車いすの向きを変えないまま、なるべくベッドに密着させるように車いすを動かします。
そして自分の体を『プッシュアップ運動』を使って車いすから浮かせ、同時に自分の体をベッドの方へ徐々に移動していきます。この際、プッシュアップ運動をした時に車いすが動いてしまわないように、車いすのストッパーを忘れずにしておきます。

 上でも述べたようにこの方法はある程度腕の力がないとできない方法ですし、恐らく違う方法で車いすの人がベッドに乗り移る方法もあると思うのですが
自分が入院生活で得た感触としては、たぶんこんな感じの方法が車いすの人がベッドに乗り移る際のもっともポピュラーな方法なのかなと思います。
また、家にひじかけとキャスターがついている椅子がある人は、恐らくこの方法の途中の段階までは何となくできてしまうと思うので
実際にやってみるとここに書いてあることがより分かるかもしれません。ただ、本当にプッシュアップ運動をしてベッドに乗り移ろうとすると、自分の体の下にあるキャスター付きの椅子がどうしても動いてしまうので
そこまでは止めておいた方がいいと思います。どう考えても危険極まりないですから(苦笑)。あくまで途中まで、椅子からベッドに乗り移ろうとする前の段階までにしておいてください。

■さらに手先の器用さを鍛えましょう
 先月の時点で、自分は手先の器用さを鍛えるという意味で一片が数cm、全体でも20ピースくらいしかない、かなり大きなジグソーパズルを使って訓練をしていました。
そして今月(04年6月時点)ではさらにその能力を高める(取り戻す)という意味で、もっと細かい作業に取り組む訓練をしていました。
具体的には、細さ数ミリ、全長が1、2cm程度のセラミック製(?)のピンのような物を、
大きさが15cm×20cmくらいの作業板の中にある小さな穴にハメこんでいくということをやっていました。文章で説明すると少々分かりにくいかな……というかこの場合は完全に自分の文章力の不足ですね(汗)、スミマセン m(_ _)m。

 この作業も目が見えていれば恐らくそんなに苦労するようなことでもないと思うのですが(少なくとも針の穴に縫い糸を通すのよりは遥かに楽)
視覚が働かないとやはり結構苦労します。この時自分がこの作業に取り組んでいた時の方法としては
まず穴にハメたいピンを右手に持ち、続いて左手の人差し指で穴(穴の大きさは数ミリ程度)のある場所を探ります。
そしてその左手の人差し指で穴の場所を押さえながら、右手に持っているピンをその穴にハメこむために
押さえている左手の人差し指を少しだけズラしてピンを穴にハメこむ-。というような感じでこの作業に取り組んでいました。
…とまぁ、こうして文章に起こすと別に大したことない作業のようにも思えてくるのですが、自分はこの作業相当四苦八苦しながら取り組んでいましたね。特にピンが穴に全然はまらなくて…

ウキィィィィィィィ!

というような状態に常になっていましたから(苦笑)。だいたい、自分は元々こういう細かい、チマチマした作業は苦手、というか嫌いでしたからね。
宅配で取り寄せた物を、入っている段ボール箱から取り出す時には大概は『力ずく』で段ボール箱を開けていましたし(笑)。
ちなみにこの作業は退院するまで続けさせられたんですけど、これだけは一向に上手くなりませんでしたね。我ながらあきれるくらい。

■車いすからクルマの助手席へ移る方法の訓練
 また、この頃から車いすに乗っている状態からクルマの助手席に乗り移るための訓練をし始めました。
でもそもそも何でそのような訓練をし始めたのかというと、それは……ついに!ついに『仮退院』をすることが許されたからなんです!
で、所沢で入院していた自分は約1時間かけて親のクルマで自宅へ戻ることになったため、その前に『自分の力で車いすからクルマの助手席に乗り移れる』ようになっておく必要があったというわけです。
そしてこの時の自分は、以下のような方法で車いすからクルマの助手席への乗り移りを行なっていました。

 まず誰かにクルマの助手席の扉を開けてもらい、そこに自分の乗った車いすをクルマの進行方向と平行になる形で止めます。
次にクルマの天井、助手席の扉のすぐ上にある取っ手を探し出します。そしてその取っ手を右手で掴み
左手で車いすの左側のひじかけに手をかけ(この時車いすは当然ストッパーをしておく)、両腕の力を使って自分の体を持ち上げそのまま助手席の椅子へ体を持っていきます。
これで車いすからクルマの助手席への乗り移りは完了です。ポイントは自分の体を持ち上げる時、車いす右側のひじかけを乗り越えられるように上手く自分の体を持ち上げることですかね。
また上で触れている『車いすからベッドへの乗り移り』と同じように、いやそれ以上にこの作業も両腕の力が必要です。
何しろ車いすから助手席へ乗り移る時に一瞬、右腕一本で体全体を支えなければならなくなりますからね。

 また、この方法はあくまで車椅子の人が『誰か』に付き添ってもらう形で
助手席に乗り移る時のやり方の一例です。例えば車いすの人がクルマを運転して一人で会社へ通う。その際に発生するクルマからの乗り降り、というのは
上で紹介しているような『車椅子から助手席への乗り移りの方法』なんかよりもずっと大変らしいですよ。自分も詳しくは知りませんが。でも正直、そんなこと想像したくもないよなぁ…。

■やっと食べられるようになったまともなご飯
 食事は先月(04年5月)までの段階では、ご飯だけはごく普通のおかゆが食べられるようになった、
いわゆる訓練食2の段階までリハビリを進めることができた、と書きました。そしてその後、リハビリを進めていった結果、ついに!ついに固形物を多く含んだ訓練食3、すなわち普通に近い形の食事を摂れるようになってきたんです!それも3食。
(ちなみに訓練食の段階とその詳しい内容についてはこちらの記事の中にある説明を参照してください)
病気になってこの時点で、はや9か月ちょっと。入院生活を始めて最初に訓練食3を食べた時は『やっとここまでくることができた…』とさすがに感慨深いものがありました。

 そしてこの訓練食3の段階では、ようやく自分の大好きな『お肉』が食事に入ってくるようになりました。でもまだあんまり形の大きい肉は食べられなかったかな…。
この訓練食3の段階になって、自分が初めて食べた『肉を使った料理』がビーフシチューだったんですけど、このビーフシチューが本当に美味しかったですからね!
この、約10か月ぶりに肉を食べることができたあの食感と感激は7年経った、2011年現在でも本当に忘れることができません(号泣)。

 結局、この食事のリハビリに関しては退院するまで今回紹介した訓練食3のまま、毎日の食事を摂ることになったんですけど
この時の自分はそれでも全然満足でしたね。何しろそれまで約8か月間、口からまともな食事を摂ることができなかったんですから。
この頃くらいですかね。毎日のお食事を食べることが楽しくなってきたのは。
それにこの頃の自分は食事を食べる前に『本当に』両手を合わせて神様に感謝していましたからね。『今日も美味しく食事をいただけることを感謝いたします』と。病に侵される以前の自分からはとても考えられない心理状態でしたよ。

■足が…足が動くよ、ママァ(号泣)
 自分が病に侵されて約10か月、これまで触れてきた通り足はピクリとも動きませんでした。
ですがついに!ついにこの頃くらいから足が自分の力で、自分の意思で動かせるようになってきたんです!
これは本当に感涙ものでした。何しろ足に関してはかなり絶望視していた部分がありましたから……(号泣)。

 ただ、実はこの2か月前、04年の4月くらいから『何となく』足が動いてくれそうな感触はありました。
それはそれまで感覚すら無かった自分の足(特に膝から下)に、触れられている感覚がだいぶ戻ってきていたから。
それに気のせいかもしれませんが、左右の足を内側に閉じようとした時、足が何となく内側に動いているような感触が、足に何となく力が入っているような感触がありましたからね。
…ただ、これらのことは周りの目が見えていた人たちからは『別に動いているようには見えない』状態だったらしく、この時点ではあくまでただの『自分の希望的観測』にしか過ぎませんでした。
だからほんの1、2か月前までは『もう自分の足は二度と動かないんじゃ…』という不安は正直ずっとありました。これまで何度も書いてきているように、
この頃から自分は既に目が全然見えていませんでしたし、その上足も全然動かせない状態でしたから、自分で場所移動をすることはほぼできない状態でした。
せいぜい車いすからベッドに乗り移るようにするだとか、本当に平らな場所の決められたルートをしっかり覚え、その道順を左右どちらかの手すりを辿りながら
どうにかゆっくり移動するだとか、その程度にしか場所移動できませんでしたからね。
何よりもう、自分の足で地面を踏みしめて立つことや歩くことなんてないだろうな-。と思っている部分がかなりありましたから…。

 だから、退院を間近に控えたこの時期に足が動き始めてくれたことは本当に嬉しかったですね。
いや、嬉しかった-。というのはちょっと正確な表現ではないかもしれない。ともかくこの約1年に渡る入院生活の中で、一番感激したのがこのことだったと思います。

 また、これまでのリハビリ生活の経験から、手や足などは『ある程度』自力で動かすことができれば
後は自分次第でどうにでも鍛えられる-。ということを何となく感触として肌で感じていましたからね。
だからこの時期くらいから、両足については毎日、徹底的に動かすようにしていました。
といっても最初はベッドの上にあお向けに寝た状態から、左右どちらかの足を『ズリズリ』とベッドの上をひきずりながら
足を曲げたり伸ばしたりすることくらいしかできませんでした。

 でもこの時期の自分はそれでも全然落胆するような感じはありませんでしたね。それよりも『やっと足が動いてくれた…』という喜びの方が大きかったですから。
何よりこの頃までに自分の両腕は動き、力ともにほとんど元に戻っていましたから。半年ほど前までは歯を磨くことすら四苦八苦していたにも関わらず。
そんな経験をしてきたから、この頃の自分は足に関してはまだまだショボイ感じでしたけど
不思議と気分的には前向きでしたね。ここからはドラゴンボールの孫悟空よろしく、ひたすら修行の虫になればいいや-。今思うと、自分の中でそんな風に割り切れていた部分があったのかなと思います。

~来週に続く
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