こんなに長い間綴らなかったのは初めてです。
どうしてこんなになってしまったんだろうと思うくらいに、身体が動きませんでした。
少し何かをすると疲労感でいっぱいになる。
このままの状態だったらどうしようという気持ちもありながら、感情さえも鈍磨しているという感じでした。
その間、溜まっていたビデオを見たり、ネットでドラマを見たり、本を読んだりして過ごしました。
その中には、たくさんのメッセージが詰まっていました。
身体とは裏腹に、精神面ではスピリチュアルな方向に導かれているような気がしました。
動かない身体と、鈍磨した感情の中で、自分の存在について考えました。
私がこの世に生まれた意味を、20年前、高校時代に答えを出すことが出来なかった問いに対して、もう一度考えました。
「前世療法」ブライアン・L・ワイス 山川絋矢・亜矢子(訳)PHP文庫 に出てくる女性と自分の姿が重なりました。
この本の中で、その女性は、催眠療法によって、自分が今生に生まれてきた意味を知ることになります。
それは「信頼すること」でした。
人を信頼することを学ぶために生まれてきたのだと、催眠中の彼女は答えました。
今、信頼できるのは、カウンセリングを行っている精神科医であること。
そして、彼女の恋人に対しては、巻き込まれないようにすることは出来ますが、完全に傷付けられないようにすることが出来ないと答えました。
私にとっても同じでした。
女性として色んな体験をしたことは、もしかしたら私自身、それを生かして何かをする役割を持っているのではないかと考え始めてから、驚くほどに、周りの状況が変わっていきました。
先月、子宮頸がん検診の再々検査を受けました。
でも、わたしにとっては、もう迷いはありませんでした。
このことを体験することも、私にとっては大切な経験の一つになるはずだと思えたからです。
がんではない可能性が高かったこともあるのかもしれませんが、もしそうだとしても、私は受け止めることが出来るだろう。
そんな思いの元に検査を受けました。
ただ、そこで自分自身が、旦那のことを思い出し、怒りが沸きだすことは想定外でしたが・・・
ウィルス検査の結果は、陽性でした。
ハイリスク型のウィルスが検出され、3ヶ月に一度の検診を告げられました。
でも、揺れることはありませんでした。
旦那に対しても、彼女と同じように捉えています。
やり直せば、今までとは違う関係性を持つことは可能かもしれない。
だけど、傷付けられることには変わりないだろう。
同じように傷付くことはないとしても、この1年半の間、たくさんの温かい関係に気が付き、それを心地よいと感じているのに、自ら傷付くような関係性の中に身を投じたくない・・・そんな風に思っています。
今の私の状態は、「関係を再調整した方がいい」と斎藤先生に言われたりして、それを無意識の脅威として感じ、動けなくなってるのではないかとカウンセラーから指摘されました。
それよりも「今」を感じるために動けなくなっているのではないかと思いました。
今、どのような状態にあるのか、この動けない苦しみを感じるために、この状態をしっかり見つめるために、この時間を与えられているのかもしれないと思いました。
この状態から、私は何を学べばいいのだろう・・・考えていました。
この状態であっても、私は私を受け入れることが出来たら、何も出来なくなってしまった私を認めることが出来たら、どんなことがあっても私は私を愛することが出来るだろう。
そんな風に思いました。
そして、今まで私はどんな状況下においても、休むこともなく動き続けていた過去。
身体から出るメッセージにようやく素直に従うことが出来ているのかもしれないと思いました。
肺炎になろうと、翌日から動き回り、疲労感を感じながらも、自分自身でそれを受け止めることが出来ず、自分の意思の弱さを叱咤激励しながら、気のせいだとやり過ごしていたこと。
ぞうした自分に気づくことを与えられているのかもしれないと思いました。
仕事も思うように出来ない焦燥感の中で、私が出来るのは、自分の状況を見つめることでした。
こうやってパソコンに向かうこともままならない状況下で、ただぼんやりとした頭で、今の状況で得ることが出来るものを探していた気がします。
もう、仕事も手放す時なのかもしれない。
何もかも手放して、ゼロになる時なのかもしれない。
それでもいい・・・私は答えを出しました。
今まで充分に頑張ってきた。
辞めたければ、苦しければ、そこから離れてもいい。
それでも、私は私のことを非難せずに受け止めることが出来る。
そう思いました。
でも、昨日のカウンセリングが終わると、何かしら気持ちが上を向きました。
今日の仕事の準備も何一つ出来ていませんでした。
デザインを考えることも、そのデザインをパソコンで書き取ることも、材料の準備をすることも、それまでの私にとっては苦痛だったのです。
本当に何も出来ない状態でした。
けれど、ふと何かが沸いてきたのです。
ここ数週間の間、集中力さえもなかったのに、引き込まれていくようでした。
そして、仕事を心から楽しいと感じました。
何かが、ふっと楽になるのを感じました。
今まで、私に仕事が与えてくれていたものを、見ることが出来たのです。
私は、この仕事に支えられていたのだなと思いました。
デザインをするという仕事の中で私は、自分としっかりと会話をし、イメージを形にしていく作業の中で、私自身を表現することが出来ていたのだなと感じました。
それまでもデザインがふと沸いてくるとき、「天使が舞い降りてきた」と表現していました。
まさに、自分という身体を通して、何か表現している、そんな気持ちがはっきりと感じることが出来ました。
私の中の迷いが消えました。
焦りも消えました。
私が必要とする限り手放す必要もないのだとそう感じました。
今まで二日かかっていたはずの仕事が、一日で終わりました。
重かったはずの身体を感じることもありませんでした。
もし、この数週間が私に与えられなかったら、私は自分の身体をいつまでも過信し続けただろうし、焦りの中で仕事に追われる状況を続けていたのかもしれません。
手放すしか方法がない状況を作られたからこそ、自分が勝手に思い込んで抱え込んでいた荷物を手放すことが出来たのではないかと思います。
今、自分の中の感情があふれ出しています。
ようやく書きたいという気持ちが戻っていました。
また、少しずつ、この間にあった出来事を書き綴っていけたらいいなと思います。
ポチッと押していただけると嬉しいです。
メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
どうしてこんなになってしまったんだろうと思うくらいに、身体が動きませんでした。
少し何かをすると疲労感でいっぱいになる。
このままの状態だったらどうしようという気持ちもありながら、感情さえも鈍磨しているという感じでした。
その間、溜まっていたビデオを見たり、ネットでドラマを見たり、本を読んだりして過ごしました。
その中には、たくさんのメッセージが詰まっていました。
身体とは裏腹に、精神面ではスピリチュアルな方向に導かれているような気がしました。
動かない身体と、鈍磨した感情の中で、自分の存在について考えました。
私がこの世に生まれた意味を、20年前、高校時代に答えを出すことが出来なかった問いに対して、もう一度考えました。
「前世療法」ブライアン・L・ワイス 山川絋矢・亜矢子(訳)PHP文庫 に出てくる女性と自分の姿が重なりました。
この本の中で、その女性は、催眠療法によって、自分が今生に生まれてきた意味を知ることになります。
それは「信頼すること」でした。
人を信頼することを学ぶために生まれてきたのだと、催眠中の彼女は答えました。
今、信頼できるのは、カウンセリングを行っている精神科医であること。
そして、彼女の恋人に対しては、巻き込まれないようにすることは出来ますが、完全に傷付けられないようにすることが出来ないと答えました。
私にとっても同じでした。
女性として色んな体験をしたことは、もしかしたら私自身、それを生かして何かをする役割を持っているのではないかと考え始めてから、驚くほどに、周りの状況が変わっていきました。
先月、子宮頸がん検診の再々検査を受けました。
でも、わたしにとっては、もう迷いはありませんでした。
このことを体験することも、私にとっては大切な経験の一つになるはずだと思えたからです。
がんではない可能性が高かったこともあるのかもしれませんが、もしそうだとしても、私は受け止めることが出来るだろう。
そんな思いの元に検査を受けました。
ただ、そこで自分自身が、旦那のことを思い出し、怒りが沸きだすことは想定外でしたが・・・
ウィルス検査の結果は、陽性でした。
ハイリスク型のウィルスが検出され、3ヶ月に一度の検診を告げられました。
でも、揺れることはありませんでした。
旦那に対しても、彼女と同じように捉えています。
やり直せば、今までとは違う関係性を持つことは可能かもしれない。
だけど、傷付けられることには変わりないだろう。
同じように傷付くことはないとしても、この1年半の間、たくさんの温かい関係に気が付き、それを心地よいと感じているのに、自ら傷付くような関係性の中に身を投じたくない・・・そんな風に思っています。
今の私の状態は、「関係を再調整した方がいい」と斎藤先生に言われたりして、それを無意識の脅威として感じ、動けなくなってるのではないかとカウンセラーから指摘されました。
それよりも「今」を感じるために動けなくなっているのではないかと思いました。
今、どのような状態にあるのか、この動けない苦しみを感じるために、この状態をしっかり見つめるために、この時間を与えられているのかもしれないと思いました。
この状態から、私は何を学べばいいのだろう・・・考えていました。
この状態であっても、私は私を受け入れることが出来たら、何も出来なくなってしまった私を認めることが出来たら、どんなことがあっても私は私を愛することが出来るだろう。
そんな風に思いました。
そして、今まで私はどんな状況下においても、休むこともなく動き続けていた過去。
身体から出るメッセージにようやく素直に従うことが出来ているのかもしれないと思いました。
肺炎になろうと、翌日から動き回り、疲労感を感じながらも、自分自身でそれを受け止めることが出来ず、自分の意思の弱さを叱咤激励しながら、気のせいだとやり過ごしていたこと。
ぞうした自分に気づくことを与えられているのかもしれないと思いました。
仕事も思うように出来ない焦燥感の中で、私が出来るのは、自分の状況を見つめることでした。
こうやってパソコンに向かうこともままならない状況下で、ただぼんやりとした頭で、今の状況で得ることが出来るものを探していた気がします。
もう、仕事も手放す時なのかもしれない。
何もかも手放して、ゼロになる時なのかもしれない。
それでもいい・・・私は答えを出しました。
今まで充分に頑張ってきた。
辞めたければ、苦しければ、そこから離れてもいい。
それでも、私は私のことを非難せずに受け止めることが出来る。
そう思いました。
でも、昨日のカウンセリングが終わると、何かしら気持ちが上を向きました。
今日の仕事の準備も何一つ出来ていませんでした。
デザインを考えることも、そのデザインをパソコンで書き取ることも、材料の準備をすることも、それまでの私にとっては苦痛だったのです。
本当に何も出来ない状態でした。
けれど、ふと何かが沸いてきたのです。
ここ数週間の間、集中力さえもなかったのに、引き込まれていくようでした。
そして、仕事を心から楽しいと感じました。
何かが、ふっと楽になるのを感じました。
今まで、私に仕事が与えてくれていたものを、見ることが出来たのです。
私は、この仕事に支えられていたのだなと思いました。
デザインをするという仕事の中で私は、自分としっかりと会話をし、イメージを形にしていく作業の中で、私自身を表現することが出来ていたのだなと感じました。
それまでもデザインがふと沸いてくるとき、「天使が舞い降りてきた」と表現していました。
まさに、自分という身体を通して、何か表現している、そんな気持ちがはっきりと感じることが出来ました。
私の中の迷いが消えました。
焦りも消えました。
私が必要とする限り手放す必要もないのだとそう感じました。
今まで二日かかっていたはずの仕事が、一日で終わりました。
重かったはずの身体を感じることもありませんでした。
もし、この数週間が私に与えられなかったら、私は自分の身体をいつまでも過信し続けただろうし、焦りの中で仕事に追われる状況を続けていたのかもしれません。
手放すしか方法がない状況を作られたからこそ、自分が勝手に思い込んで抱え込んでいた荷物を手放すことが出来たのではないかと思います。
今、自分の中の感情があふれ出しています。
ようやく書きたいという気持ちが戻っていました。
また、少しずつ、この間にあった出来事を書き綴っていけたらいいなと思います。
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