おじいちゃんの小さな疑問集(旧:おもりぽ)

「おじいちゃんがふと抱いた小さな疑問」を、載せさせていただきます。答えや共感や異論があればぜひコメントを!

おもりぽ.その206【小樽】

2012年09月23日 | Weblog

ぷちりぽ.その206【生まれた町】

今年に入り仕事で、10数回出張での札幌通いをしています。そんななかである夜に1度、札幌で電車に乗り、手稲駅で降りるはずのところを、寝過ごして小樽まで行ってしまったことがありました。お客様筋の方と札幌駅前近くの店でお酒を飲み、とてもウマが合い、意気投合して盛り上がりました。その方は琴似駅で降り、「寝過ごさないようにねー」「大丈夫ですぅ」何て会話をしました。ぼくの意識上ではその直後、気がついたら小樽で目覚めた、という事態です。目覚めた時刻は深夜24時頃。

何を隠そう(別に隠してないか)ぼくは小樽で生まれて、高校1年生ぐらいまでこの町に住んでいました。だから小樽は、生まれて、育った、故郷ということになります。目覚めて最初に思ったのは「何でぼくは今、生まれた町の駅のホームに居るのだ?」という疑問です。「気絶でもして、魂だけが故郷に飛んできたの?」みたいな感覚。しかし、体はYシャツにスラックスというビジネススタイルでちゃんと存在しています。次第に頭が覚醒するにつれ、札幌で飲み、電車に乗り、手稲で降りるはずが…という事態に思い至りました。札幌方面に向かう電車がないのを確かめ、駅の待合スペースでネットブックを取り出し、ホテルを探して小樽駅前のホテルにNetで予約の取り直しをした次第…。駅前のホテルが、空いていてよかったぁ。

           

そんな状況で翌朝は5時前に起き、始発で札幌にもどるにあたって、何枚か撮った写真をご紹介します。まず1枚目の写真は、小樽駅に向かって右手にある三角市場の入り口にあった、啄木の歌の石碑です。ぼくは三角市場という市場が懐かしくて、始発までの時間に行ってみることにしたのです。そうしたら見慣れない、ぼくが居る頃にはなかったこんな石碑が立ってましたぁ、という感じでしょうか。何かとってつけたような、というのがぼくの抱いた印象。「悲しきは小樽の人よ 歌うことなき人々の 声の荒さよ」と歌うぐらい、啄木は小樽を好きではなかったはずだし。

           

電車に乗る、ホームで撮ったのが次のこれです。4番線から出る札幌行きの始発に乗りました。登り列車は昔から、余市方面に行く先のない5番線か、この4番線の位置から発車でした。昔は数字が逆で、今の5番線を0番ホーム、4番線を1番ホームと呼んでなかったかな? ぼくにとってこのホームは、小樽という町を脱出して、より広い世界へ行くための、出発のホームでした。

           

最後のこれは、張碓の海です。銭函の駅の手前の、張碓の岩と海。朝日を浴びて輝いていました。この海で泳いで遊んだ記憶も蘇ります。でも何より、札幌、その先の東京へ、向かう気分のなかで、いつもこの海は輝いていたような気がします。

首都圏で暮らしていて、職場やプライベートで、「今度北海道の札幌、小樽に遊びに行くんですぅ・行ってきたんですぅ」という話題が頻繁に出ます。「小樽はぼくの生まれた町ですよ」と応じるともれなく、「へぇ、そうなんですか!いい町ですよねぇ」というコメントが返ってきます。ひとまずぼくは「そうですね」と応じることにしています。ただ「小樽=いい町」という話題に少し時間をかける場合は、必ずしもそんな応じ方はしません。ぼくの心の中にある小樽は、もうちょっと複雑な思いです。

ぼくは子供のころからこの町を、脱出したいという思いで暮らしていたような気がするのです。それはこの町が好きとか、嫌いとか、そんな感情とは別のところで、その狭さが嫌だったような…。小樽を思う気持は何か、複雑です。しかし、記憶や印象を細かく思い起こすと、小樽と言う町はぼくにとっては「昭和そのものだなぁ」と、端的に言うとそんな感じでしょうか。

<今回のそれにしても>
にしても天狗山の頂上から見る小樽は、とてもキレイだし懐かしい。今度天狗山でスキーしたいなぁ。


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