牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

5月29日(水) 「渡辺善太全集6<聖書論> ⑧」 渡辺善太著

2013-05-29 16:11:26 | 日記

 著者は続いて聖書正典の統体的神学的理解について論じている。ここでは「この聖書は何によって統べられているか」という問いに答えようとしている。別の言葉で言えば「聖書とは何か」という問いになるであろう。

 本からの引用。「聖書はそこに現存している一つの書物である。我々がこの聖書を見る時、そこに見るのはそれが一つの書物であり、一つの全体であるということで、我々は何よりも先にこの書物において全体的なものあるいは統一的なものを見るのである。」

 著者は「聖書とは何か」という問いに対してこのように書いている。「 「この聖書は我につきて証するものなり」という、ヨハネの福音書5章39節の言葉は、キリストにつきて「証言するもの」という一句をもって我々の問いに答え、旧約書の聖書としての本質をとらえている。この表現は新約書中の他の著者らの、この一点を表現せんとして用いているそれぞれの特殊の部分的表現を、最終的に一つに総合したものである。、、、、アブラハムと我々とは、十字架を中にして、これより二千年ずつを隔てて相対しつつ、信仰において、聖霊によって、「同時的」にキリストを見ているのである。、、、、、ヨハネ伝著者は旧約書の本質を「キリスト証言」という一句をもって把握していることは、同時に新約書全体がこの信仰と意図とにおいて記されたものであることを示している。 」

 著者は聖書において示されている「キリスト像」を大きく四つに分けている。
 1.福音書におけるキリスト像
 2.書簡におけるキリスト像
 3.黙示録におけるキリスト像
 4.旧約書におけるキリスト像


 著者は、聖書の本質はキリスト証言である、と述べている。