牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

3月9日(日) 「教会の改革的形成②」 D・ブローシュ著

2014-03-09 07:43:13 | 日記

 教会を改革して形成するために必要な14のうち7つの提言を見たが、その続きで3つを取り上げる。

 8.教会の新しい形態  教会が内向きになってしまっていて、外向きにならなければならないということである。教会の新しい形態を真に作り出すことができるのは聖霊であるとしている。そして9へとつながっていく。

 9・カリスマ的賜物  一人ひとりに与えられている聖霊による賜物を教会を形成していくために、教会の益のために、この世へと出て行くために用いていくこと。

 10.神癒  病気を癒すことは神の御心であるということを確信することである。


 著者は福音派に属する人物であり、聖霊派に対して一線を引いている感はあるが、それでも、現代における聖霊の働きを認め、それに心を開き、教会を改革するために聖霊の働きが絶対に欠かすことができないことを信じている。そして20世紀に活躍した聖霊派に属する癒しの伝道者であるオーラル・ロバーツとキャサリン・クールマン(二人ともアメリカ人)の癒しの働きを大いに評価している。私は著者の柔軟な態度に好感を覚える。さすが改革について真剣に考えているだけはあると思う。

 現代における癒しの働きに賛成していない、また嫌っているクリスチャンや教会でオーラル・ロバーツとキャサリン・クールマンの存在と働きがどれほど知られているだろうか。おそらくほとんど知らないのではないだろうか。この二人を知らないで癒しについて論じているようでは明らかに勉強不足であり、研究不足であり、怠慢であり、もっと言えば傲慢である。彼らを知らないで、癒しはないなどと言っているようでは、視野が狭すぎであり、まさに著者の言う改革が必要である。いつの時代に生きているの?(19世紀に生きているの?)という感じである。それだったらいっそうイエス・キリストと使徒たちが生きていた1世紀にまで戻ったほうが良い。

 あまりにも自分の考えに凝り固まっている、更に言えば自分の思いに縛られているクリスチャンと教会が日本には多いように思えてならない。それは聖書的キリスト教ではなく、自分が考えているキリスト教であり、伝統的キリスト教である。その伝統が聖書に土台を置いていれば良いのだが、たいていはそれぞれの教団の神学、すなわち人間が生み出した神学に土台を置いているのである。それはある意味仕方がないであろう。しかし、である。いつまでもそのままでは言い逃れはできないと思う。私たちには改革が必要なのである。

 著者はこのように書いている。「わたしたちが最も大切なこととして認識しなければならないことは、生けるキリストは、わたしたちを罪と死から救い出すと同様に、病からも救い出すために来られたということである。彼は、わたしたちすべての不義を赦すだけではなく、さらにわたしたちのすべての病を癒すために来られたのである(詩篇103:3)。 」

 「癒しのつとめは、御言葉のつとめに仕えていくはずである。なぜなら、神による癒しは、キリストによる救いのしるし、またその証言だからである。教会の主要な職務は、福音の説教と人々の魂の救済であり、癒しは、この救済の結実であるとともに、それへの踏み石でもある。キャサリン・クールマンのような伝道者たちは、福音宣教を自分達の主要な召命と見ているが、癒しは、その召命において欠くことのできない役割を演じている。」

 著者の提言にアーメンと言えないようでは、教会において改革が起こることはないであろう。衰退するのみである。そしてその責任を神から問われる日が必ずやってくるであろう。昔と違い今は癒しに関しても十分な情報があるのだから、言い逃れはできないと思う。