再読だけど楽しく読めた。本書は2重人格を扱った古典といえる。人格の善悪を分離させる薬を発明して自らが実験台となって飲むことによってジェントルマン(紳士)のジーキル博士が極悪人ハイド氏に変わってしまう。また薬を飲むと今度はハイド氏からジーキル博士に戻る。この二つの人格は姿形が全く違う。でもこれが同一人物であるという事実が恐い。
人間は誰でも2重人格といわないまでも、内側に善悪という2重性を秘めていると思う。使徒パウロはこのように書いている。「私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。、、、、そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。」(ローマ人への手紙8章19節、21節)
人間は、社会的な建前や犯罪を罰する法律があるため、自分を抑制して悪を隠して生きている。でもそのようなものをすべて解き放ったら人間はどうなるか、どうするのか。たいていは悪に走ってしまうのだ。それが人間の罪の性質である。ジーキル博士は悪へ走ることに快感を覚える。この本を読んで自分は善人なのでハイド氏は自分とは全く関係がないと感じる人、このハイド事件は現代の殺人事件と似ていると論じ始める人は、本書の深みを理解できていないだろう。
非常に優れた文学作品だと感じる。人間の闇の部分に光を当て、人間の内面にある真の姿を探っている。これが文学だ。いわゆる小説は文学と同じといえば同じなのかもしれないが(面白くて良いのだが)、私の中では小説は人間が様々な環境に左右されることを書いているように思う。要するに内面ではなく外面や社会を描いているのではないだろうか。しかし文学は人間そのものを描く。文学は芸術性の高い小説ともいえると思うし、作家の血肉が入っている作品といえるだろう。そのような意味でも本書は中篇だが(長編ではないが)傑作だと思う。