牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

3月14日(金) 最後のブログ

2014-03-14 16:30:49 | 日記

 今『使命に生きる教会の建設』を読んでいるところである。礼拝と説教について論じているところを読み終わった。その時、これでブログを終わりにしようと思った。

 なぜか? 正直よく分からない。だが突如、これからは読書よりも実践に力を入れるべきだと感じた。

 一昨年の秋に埼玉から北海道へ引っ越してきた時、教会開拓をはじめることに焦点をあてていて、そのために何か準備をしたいと思ってブログをはじめた。目的としては読みっぱなしになることが多かった読書スタイルを読むだけで終わらせないで、本の内容を自分なりに要約して黙想することを通して今後に生かしていきたいと思ったことと、書くという作業を通して自分の考えをクリアにしていきたいと、ということであった。

 その目的がどれほど果たされたかは分からないが、結構こまめに書いたのではないだろうか。キリスト教界について、政治についてなど、厳しく書いてしまったかもしれない。定期に読んでくださった方々には本当に感謝申し上げたい。ありがとうございました。

 これから教会を開拓したら別な形で情報を発信していきたいなあと今のところ考えている。でも先のことはどうなるか分からない。いずれにしても教会の建設が私の使命である。払う犠牲が大きくても、とにかく前進したい。イエス・キリストに従っていきたい。これが私の正直な気持ちである。

 皆様の上に神様の豊かな祝福がありますように。そして何よりイエス・キリストを通してあなたが救われますように! イエス・キリストはあなたの罪の身代わりに十字架に架かって死んでくださり、三日後に死からよみがえられました。自分の罪を悔い改めて、自分の救い主としてイエス・キリストを信じるなら、あなたの罪は赦され、復活のいのち(永遠のいのち)が与えられ、天国に入ることができます。これがイエス・キリストの福音です。ここに希望があります。

3月14日(金) 「ハムレット」 シェイクスピア著  新潮文庫

2014-03-14 07:22:25 | 日記

 久しぶりに『ハムレット』を読んだ。改めて文学性の高さに感動した。表現の仕方が抜群にうまい。訳者も優れていると思う。テンポが良い。内容はまさに悲劇である。

 私が大学生だった時に、大学内にある超教派のキリスト教(聖書)研究会に属していたが、私たちの部室の隣がシェイクスピア劇研究会で、彼らから誘いを受けて校内で開かれたシェイクスピア劇を何回か観に行った。学生なのに質の高い演技をしていたのが今でも印象に残っている。私はシェイクスピア劇が好きで、他の悲劇も読んでいるし、映像(古い映画)でも見たし、海外でも機会がある時には何度か生でシェイクスピア劇を観たことがある。実際に見て聞く演劇は、緊張感があり最高に楽しかったことを覚えている。

 本でも十分良いのだが、でもやはりシェイクスピアは劇のために書かれたものなので、生で劇を見ると本当に味わい深い。最近は見ていないなあ。

3月13日(木) 「使命に生きる教会の建設」 森野善右衛門著  新教出版社

2014-03-13 07:23:12 | 日記
 
 著者は日本基督教団の牧師だが、ボンヘッファーの『説教と牧会』や『教会の本質』などの著作を訳されているだけあって、本書の内容も福音的だ。日本基督教団は全体としてはかなりリベラル色が強いと思うが、大きい教団なので福音的な教会や牧師もいる。

 本書はタイトルの通り、教会は何のために存在するのか、誰のために存在するのかという教会の使命を問う視点から書いている。著者はまえがきで結論を書いてしまっている。「教会の実践、教会の使命は、一言で言えば福音の宣教である。」

 1章で使命を総括的に述べ、2章以下では各論として、礼拝、説教、聖礼典、牧会、祈りなどの具体的な活動について考察がなされている。

 1章の総論からの引用。「教会の使命(伝道)の前線は、信徒が週日を生きる職場、家庭、社会にある。そこで、この世に生きる教会には、二つの存在の形があることになる。一つは、(1)集められた形ー集会(エクレシア)であり、もう一つは(2)離散(ディアスポラ)の形ー派遣される教会の在り方である。」

 「教会は集まることをもって終わるのではなく、集められるのは散らされるためであり、信徒は、週日のこの世の生活を、キリストの民として生き抜く力を受けるために主の日の礼拝に集うのであり、いわば派遣されるために共に集うのである。礼拝の終わりに来る祝祷は、礼拝の終わりの祈りではなく、礼拝者をこの世の週日の生活に向かって送り出すための派遣の祈りなのであり、それはマタイの福音書28章の復活の主の大いなる伝道の命令の今日的表現である。ここで弟子は使者となり、キリストの福音をたずさえて、それを地の果てにまでもたらす使命に向かって出で立つのである。」

 「神の民としての教会は、主の日の礼拝に結集することにおいて、「見える」教会、「世の光」としての教会となり、そこから宣教の使命を担って散らされ、派遣されていくこの世の週日の生活において、「地の塩」となり、「見えない」教会として、この世のただ中に深く浸透する。教会はこの二つの間のダイナミックな循環、リズムにおいて生きるのである。」


 このように教会の使命を総括的に述べ、2-4章(礼拝、説教、聖礼典)においては、(1)エクレシア(集められた共同体)としての教会のあり方について、5-7章(牧会、祈り、伝道と社会活動)においては、(2)ディアスポラ(散らされ、派遣された共同体)としての教会のあり方について論じようとしている。

 要するに、教会の働きは「来なさい」と「行きなさい」という二つの言葉に要約できると思う。

 内容が非常に分かりやすく、実践的教会論として優れている。読みながら、頭の中が整理されていく。教会のあり方と働き方について考える材料を与えてくれる良書である。

3月12日(水) 「礼拝と教会形成の神学②」 近藤勝彦著

2014-03-12 08:07:53 | 日記

 本書を読み終えた。教会の使命(特に礼拝と伝道)に続いて、著者は制度としての教会と信仰共同体としての教会という教会形成について論じている。

 教会形成において本質的に大切なこととして、真の教会のしるしとして、以下に掲げる3点は欠かすことができないとしている。
 
 1.神の言葉の正しい説教
 2.聖礼典(聖餐式と洗礼式)の正しい執行
 3.教会戒規によって正しく教会が導かれること


 1と2が大切であることは間違いないが、3も大切であることを覚える。自由も大切だが、秩序も大切であるということだ。3の教会戒規がないと、教会は何でもありの混乱状態に陥ることであろう。それは回避しなければならない。

3月11日(火) 「礼拝と教会形成の神学」 近藤勝彦著  ヨルダン社

2014-03-11 07:40:46 | 日記

 今日で東日本大震災と原発事故から丸3年である。多くの人々の尊いいのちが失われ、多くの人々の人生が変更を余儀なくされた。私もその一人で、北海道へ移り住んできた。これからも地震が起こり同じような被害がでる可能性があるにも関わらず、いまだに原発を推進している政府は本当に愚かである。歴史から学ぶことができない人は指導者としてふさわしくない。

 
 さてこの本の著者は日本基督教団に属する牧師である。まだ全部読んでないが、本書は良書であると思う。

 テーマは「教会論」で、主に「礼拝」と「教会形成」を扱っていて、神学的に論じようとしている。著者は教会論には大きく三つの面があるとしている。制度としての教会、信仰共同体としての教会、使命が与えられている教会の3つである。

 そして、教会の使命として明確に把握されるべきものは、礼拝と伝道であるとしている。本からの引用。「つまり、教会の使命は、二重の使命として理解される。礼拝は、教会が神へと向かう働きを示しており、伝道は、教会が世界と人々に向かう働きを示している。」


 礼拝には神の行為と人の行為があるとしている。本からの引用。「あきらかに説教も聖餐も礼拝における一方の面の構成要素、すなわち神の行為の面、あるいは人間の受動性の面の構成要素を表している。しかし礼拝にはもう一つの面の構成要素がある。それは説教や聖餐においては第二義的であった主体としての人間の行為、人間の能動的行為が、そこではむしろ重要な役割を課せられるような構成要素である。、、、、その具体的な礼拝要素を列挙すれば、賛美、祈り、ささげもの、信仰告白といったものである。」

 人間の行為とは、すなわち神に対する応答なのである。神の恵みや神の言葉(説教)に対する応答である。これらの人間の行為をいかに礼拝の中で霊と真心をこめて信仰共同体として一つとなってすることができるかが大事なポイントになってくる。著者が挙げている特に賛美、祈り、ささげもの(献金)、信仰告白についてその内容と順序を吟味する必要がある。何より教会としてまた集まった礼拝者一人ひとりがなぜ今この行為をしているのかを霊的に深く理解することが重要であると思う。そうでないと、それらの人間の行為がただ単なる人間の行為、宗教的な行為、いのちのない退屈な儀式になってしまうであろう。