牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

3月13日(木) 「使命に生きる教会の建設」 森野善右衛門著  新教出版社

2014-03-13 07:23:12 | 日記
 
 著者は日本基督教団の牧師だが、ボンヘッファーの『説教と牧会』や『教会の本質』などの著作を訳されているだけあって、本書の内容も福音的だ。日本基督教団は全体としてはかなりリベラル色が強いと思うが、大きい教団なので福音的な教会や牧師もいる。

 本書はタイトルの通り、教会は何のために存在するのか、誰のために存在するのかという教会の使命を問う視点から書いている。著者はまえがきで結論を書いてしまっている。「教会の実践、教会の使命は、一言で言えば福音の宣教である。」

 1章で使命を総括的に述べ、2章以下では各論として、礼拝、説教、聖礼典、牧会、祈りなどの具体的な活動について考察がなされている。

 1章の総論からの引用。「教会の使命(伝道)の前線は、信徒が週日を生きる職場、家庭、社会にある。そこで、この世に生きる教会には、二つの存在の形があることになる。一つは、(1)集められた形ー集会(エクレシア)であり、もう一つは(2)離散(ディアスポラ)の形ー派遣される教会の在り方である。」

 「教会は集まることをもって終わるのではなく、集められるのは散らされるためであり、信徒は、週日のこの世の生活を、キリストの民として生き抜く力を受けるために主の日の礼拝に集うのであり、いわば派遣されるために共に集うのである。礼拝の終わりに来る祝祷は、礼拝の終わりの祈りではなく、礼拝者をこの世の週日の生活に向かって送り出すための派遣の祈りなのであり、それはマタイの福音書28章の復活の主の大いなる伝道の命令の今日的表現である。ここで弟子は使者となり、キリストの福音をたずさえて、それを地の果てにまでもたらす使命に向かって出で立つのである。」

 「神の民としての教会は、主の日の礼拝に結集することにおいて、「見える」教会、「世の光」としての教会となり、そこから宣教の使命を担って散らされ、派遣されていくこの世の週日の生活において、「地の塩」となり、「見えない」教会として、この世のただ中に深く浸透する。教会はこの二つの間のダイナミックな循環、リズムにおいて生きるのである。」


 このように教会の使命を総括的に述べ、2-4章(礼拝、説教、聖礼典)においては、(1)エクレシア(集められた共同体)としての教会のあり方について、5-7章(牧会、祈り、伝道と社会活動)においては、(2)ディアスポラ(散らされ、派遣された共同体)としての教会のあり方について論じようとしている。

 要するに、教会の働きは「来なさい」と「行きなさい」という二つの言葉に要約できると思う。

 内容が非常に分かりやすく、実践的教会論として優れている。読みながら、頭の中が整理されていく。教会のあり方と働き方について考える材料を与えてくれる良書である。