牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

5月5日(日) 「プロテスタント教会の礼拝 その伝統と発展④」 J・F・ホワイト著

2013-05-05 07:28:09 | 日記

 第四章は、「改革派の礼拝」。改革派(長老派)教会の礼拝の源泉は、ツヴィングリとカルヴァンである。場所は、それぞれチューリヒとジュネーブ(両方ともスイス)である。ルター派の礼拝の源泉はもちろんルターであり、場所はドイツであった。

 本からの引用。「説教は改革派の礼拝における不可欠の部分であった。改革派では聖書の連続的朗読と連続講解説教という方法が好まれたために、聖書日課の使用は放棄された。説教はまず聖書の本文の解説がなされた後、特に教義や道徳的な面と関わらせながらその時代の生活に適用された。カルヴァンの神学はその大部分が聖書の釈義に基づくものであり、彼の後半生の多くは聖書の大半の文書についての注解書の執筆に費やされた。」

  著者は次に改革派の礼拝の発展について書いている。
 「改革派の礼拝伝統は慎重にジュネーブ以外の地域に「移植」されていき、やがて多くの国々に根づいていった。、、、、ツヴィングリやカルヴァン、そして彼らの後継者たちは、基本的には聖書釈義としての神学的作業を行なうことによって、また礼拝を含むすべての営みにおける神の言葉の優越性を強調することによって、一つの先例となるものを残した。こうした信仰行為を形成する主要な場となったのが家庭礼拝であり、それは聖書朗読と詩篇歌と祈りから成る日々の営みの機会を提供した。」

 ルター派と改革派にそれほど大きな違いはないのではないか。これが私の理解である。ルター派はルターの神学に根ざし、改革派はカルヴァンの神学に根ざしているという違いである。ルターもカルヴァンも宗教改革者である。ルターは改革をした最初の人物であるのでルターの特徴は改革者(開拓者)である。一方カルヴァンはルターの宗教改革で始まった改革をより神学化した人物(神学者)であると言えよう。カルヴァンの著作は膨大である。よくこれほどの著作を書いたものだと本当に驚かされる。歴史的に見て改革派から良い説教者が出てきていると思う。その理由はカルヴァンの流れを汲んでいるからであろう。私は改革派ではないが、説教の準備の時にカルヴァンの著作を読み参考にする。私はプロテスタント教会の牧師なので、ルターとカルヴァンに多くを負っている。彼らの著作は多くの洞察に満ちていて、今読んでも全く色あせていない。むしろ現代出版されている神学的著作が軽く感じられるくらいである。


 最後に現在の改革派礼拝の特徴について書いている。
 「新しい礼拝書によって生み出された非常に大きな成果の一つは聖書日課の使用であった。1970年以前にはこうしたことはまれなことだったが、それ以降、長老派の教会のほぼ半数が聖書日課を使用するようになってきた。その結果、いくつかの大きな成果が生まれた。すなわち、聖書日課の使用は釈義的説教を奨励するものとなり、礼拝の中における聖書の朗読量を増加させ、また二年サイクルの教会暦を守る上で非常に豊かな資源となった。全体的に見て、聖書日課の登場は過去20年間における最も重要な変化であったように思われる。」


 聖書日課については良い面と良くないと思われる面の両方があると思われる。良い面は聖書を2-3年で教会暦に従ってバランスよく説教するので、会衆にバランスのとれた聖書の全体的なメッセージ(創世記から黙示録)を伝えることができる点である。良くないと思われる点は聖書日課に縛られて時宜にかなった説教がなされなくなる可能性があることと、聖書(一つの書、例えばマタイの福音書)の連続講解説教ができなくなることである。すなわち聖書の深みにいけないという点である。今の所私はカルヴァンがしていたように、連続講解説教をしたいと考えている。ただ聖書日課は一人ひとりのクリスチャンが自分で聖書を読む時に役立てることができるのではないだろうか。