牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

5月3日(金) 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 村上春樹著  文藝春秋

2013-05-03 07:18:43 | 日記

 昨日、小樽水族館へ行った。海沿いにあるので外はとても寒かった。外でのペンギンのショーなどは寒すぎて最後まで見ることができなかった。でも水族館の中でのイルカのショーは大丈夫。子供たちが楽しんでくれて良かった。水族館から帰ってきた後、家の近くの道路で狐(キツネ)を見た。冬に狐を見た場所とほぼ同じ場所だった。北海道に来て狐を見たのは3度目である。近所の人は鹿を見たとのこと。少し遠くの農家は熊の足跡を見たとのこと。鹿には会いたいが、絶対にクマには会いたくない。


 さて村上春樹である。ミーハーな私は村上春樹の新作が出ると買ってしまう。「1Q84」の時もそうであった。「1Q84」は最後失速した感があったが、、、、名前に色彩を持たない主人公多崎つくる。彼は高校時代に名前に色彩を持った4人の友人(赤松、青海、白根、黒埜)ととても仲良しであった。彼だけは名前に色彩を持たず、無色であった。高校を卒業し20歳の時、ある日突然何の前触れもなく主人公はこの4人から切り捨てられた。孤独になり、喪失感と絶望感を味わい、心に深い傷を負った。そのようにして16年間を過ごした。名前の通り駅を「つくる」主人公。その間この4人と一度も会うことも話すこともなかった。そして今は36歳。傷つくことを恐れ、相手との間に適当な距離を置いて生きるようになってしまった。彼は名前だけでなく、実際的にも個性がない無色な存在であると思って生きていた。でも36歳の時にきっかけがあり、心の傷を癒し乗り越えるための旅(巡礼)に出る。すなわちこの4人に会いに行く。簡単にまとめてしまえばこのような話である。

 私は村上春樹は世間で言われているほどの作家なのだろうかと思っていた。「海辺のカフカ」、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」などの作品を読んでもその凄さが私には正直言って分からなかった。彼の文章と彼の文学に対する熱心さには感心していたのだが。でもこの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は個人的には良作だったと感じた(最後の最後だけはあまり納得できなかったが)。他の作家と確かに違うかもしれないという思いである。不思議さは他の長編(例えば前作の1Q84)と比べると少なかったと思う。かえってそれが良かったのではないか。しかし、村上春樹は、(信仰の)跳躍についても述べている。論理を越えた真の論理についてである。

 私は最近読書(文学も含めて)をする時に一字一句読む本はほとんど皆無に近い。しかし、この本は一字一句読んだ。自然とそうなったのである。それほどに物語に入り込むことができたということである。主人公が私と同年代であったからもしれないが、物語の力を体感した。でもおそらく一般的にはこの作品は長編だが大作ではないし、ある意味内容が最近の村上春樹作品の中では平凡で刺激が少ないので評価は低いのかもしれない。もちろん村上春樹のテーマは第一作から変わらないだろう。この現実の世界での生きづらさを感じながら、孤独を感じながら、もがいて生きていく主人公の姿。生きていく中でいろいろなものを失っていくが、自分の人生を何とか肯定していく主人公の姿。

 本作品で言えば、主人公は自分本来にある色(個性)を回復させていき、生きる力(生き残る力)を得ていく。もう後戻りはできない人生。過去を肯定し、今いる場所が自分のいる場所である、と信じようとする主人公。でも依然として脆さがある主人公。

 私は平凡と言える主人公を通して、現代人の心(闇と光)を著者は上手く描いたと思う。これはなかなかできることではない。すなわち、作家が作り出す物語を通して人間の心の深部に迫り、心(特に闇の部分)を露わにしていくことであり、どのように回復していくかに光を当てることである。これでノーベル賞を取れるのではないだろうか。