牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

12月12日(水) 「ビジョナリー・ピープル②」 ジェリー・ポラス著

2012-12-12 07:26:18 | 日記

 第一部は、ビジョナリー・ピープルの本質的要素の1つ目である「意義」についてだ。本からの引用。「ビジョナリーな人というのは、エレガントさを演出するビジネスに携わっている何人かの例外はあるにしても、スーパーモデルというよりもむしろ流行に無頓着な人物のようだ。、、、、、ポイントはこうだ。あまりにものめり込んで社会的な感覚が鈍くなってしまう危険を冒しながらも、一つのことに無我夢中で取り組んでいるオタクのように、ごく自然に大好きなことに没頭している、そんな時こそ、自分が正しい方向に向いているのが分かるということだ。、、、、、ビジョナリーな人は一般的に、自分の仕事のことを<とびきり面白い>というように表現する。つまりこれは義務感だけで与えられた仕事をしている時に得られる経験とは、180度違った経験なのだ。」

 私にはまだまだ様々なことに興味があり、流行に無頓着とは言えないと思う。聖書の勉強に専念していた若い時の方が今より流行や世の流れに無頓着で、ただひたすら聖書と神学の勉強、また出来る限りの信仰書を読み、可能な限り優先して集会に参加していた。だから他のことをする時間がなかった。もっと言えば他のことに興味を失っていた。今はどうだろうか。同じ情熱を持っているつもりなのだが、様々なことに興味がある、という状況だ。牧師としていろいろなことを知っていなければならない、と思って様々な本を読んできたが、また様々な本を読んでいるが、それははじめに持っていた献身の情熱を失っているということなのかもしれない。だとするなら大いに反省すべきだ。今日の朝のニュースで見たが、ノーベル賞を受賞した山中教授が言っていた初心に帰ることが必要だろう。


 本からの引用。「ビジョナリーな人の姿は目隠し革をつけた競走馬のように見えるかもしれないが、大半の人たちは、多くの異なった個人的な情熱、職業的な情熱にあふれた広大で複雑な人生を送っている。、、、、いつまでも続く成功を目指して生きがいのある人生を送る過程で、ビジョナリーな人は一つではなく複数の情熱を大切にしている。」 

 「もし何かバランスというようなことがあるとすれば、「芸術こそが人生でバランスを生み出すのに不可欠なものだ。芸術は人間であるための要素を育ててくれる。、、、、、「私はスポーツの試合が大好きですよ」と語るのは、細身で運動選手のような容姿のリチャード・コバセビッチだ。(他のことをしている時にひらめきが生まれることがあるという原理)を心から信じ自分の生活と仕事に活かそうとしている。」

 以上の文章を読んで少し安心した。私には芸術や音楽の才能は全くないが、美術館に行く事が好きだし、クラシックの音楽を聴くことも好きだ。小説を読むことや映画(DVD)を観ることも好きである。またスポーツ観戦(テレビで)も好きで、特にサッカーは昔から大好きで日本代表の試合は欠かさず見て、せいいっぱい日本を応援している。こんなことを書くと流行に無頓着でないことを自己正当化しているような気がしてしまうが。でも一つのことに専念することの大切さは知っているつもりだ。でも趣味という気晴らしも必要であると思っている。


 本からの引用。「彼ら(ビジョナリーピープル)がみな絶えず取り組んでいることが一つあるとすれば、つまり、彼らが共通に持っている価値観があるとすれば、それは、自分の生きがいに対する誠実さだ。独創的な仕事をさせてくれると信じている、その原動力に対する誠実さだ。ある決断を迫られた時は決まって、彼らは、そのチャンスの中にある、自分にとって非常に個人的な意義に目を向けようとする。もしそれが大切なことでなければ、自分の時間を無駄にしない。、、、、、、彼らの環境がどんなに変わっても、ビジョナリーな人はひたすら、一つのことに首尾一貫した姿勢を貫く、つまり、常に自分の生活や仕事の上で独創的なことを生み出すための意義に向かって、邁進している。」

 第一部の最後の文章を引用。「自分にとって意義がどんな意味を持つのかを悟ろうとすることほど、個人的な決断はない。その決断ができるのは、自分以外にはないのだ。」

 目的を持って趣味などに取り組むのはいいと思う。家族と時間を過ごしたり余暇も良いと思う。ただ意味もなくだらだらと過ごすという時間のムダだけは絶対に避けなければならない。