大変恐縮ですが、弟の記事 第2弾です。
http://www.highflyers.nu/hf/hirokiyoshitake2/
弟がラ・ロシェル渋谷店で働いている頃は、
私はホテル・オークラ福岡でパティシエをしていました。
私は小さい頃から「ケーキ屋さん」になりたくて、ずっとずっと思い続けてきたゆめだったので、大学を卒業してからの遠回りをしてからの、この道でした。
私も同じく厳しい厳しい修行時代でした。
東京のホテル・オークラでの研修期間の1年間は、千葉の柏の始発の4時半の電車に乗り、帰りは8時、9時の毎日。
シェフも厳しくて、辛い日々でした。
弟も同じく、就職して1,2年は本当に辛そうで、頭には円形脱毛症になるほどでした。
母にも「広樹を辞めさせようと思う。ノイローゼみたいになって、手もボロボロで、
かわいそうかごた」
と相談されたのを覚えています。
両親共に教師をしていて、飲食の世界のことは全然わからなかったので、
私に相談された時は、
「辛いとは当たり前ばい。修業時代は辛くてもしょうがない、だけん、上手くなっていくとよ」
と伝えました。
私もそうですが、弟もきっと同じく、今となっては修業時代の経験は人生にとっての「宝物」です。
「昔」とかいう話をすると、嫌われるのかもしれませんが(笑)
時代も変わって、世代も変わって、
「昔」みたいな修業時代だと、若い子は辞めてしまう、パワハラだ、などとすぐに問題になってしまいますが、
「厳しい修行時代」があってこそ、一人前の「料理人」、「技術」を習得した強い「料理人」になれると思います。
弟は「自由な料理人」「世界を放浪した料理人」などと、ちょっと「自由人」みたいなとらえ方の記事などもありますが、若い料理人の方は勘違いしないでほしいのですが、
基本は最初の修業時代を乗り越えてからの話です。最初から自由奔放にやっていたわけではなく、「石の上にも三年」さらに「三年」ほどの厳しい厳しい下積みを経て、の話です。
私も40歳になって、「親」の立場の気持ちをわかるようになり、
あの時の母の気持ちもわかり、「連れて帰りたい」と思うほど辛かっただろうな、と思います。でも、ぐっと我慢して、子供の成長に任せてくれた両親に感謝しています。
それが私たちの「強さ」でもあるのではないかと思います。
ホテルで4年働いた私が、レストランでデザートをやりたいと思っているころ、
弟に「ラ・ロシェル」が福岡にオープンするという話を聞き、
弟の紹介で、坂井ムッシュに出会うことができました。
本当に感謝しています。
そのおかげで、主人とも出会うことができたので、本当に大・大感謝ですね♡
大変恐縮ではありますが、ぜひ記事をご覧くださいませ。
※「Sola」の本 ¥8000税込 は3月以降でしたら、ご予約承ります!
今、お渡しできる分はございません。