goo blog サービス終了のお知らせ 

「Kazu.log」

浄水通りの「Restaurant Kazu」は
2024年7月に唐津市菜畑で移転オープンいたしました。

弟の記事 第2弾です!

2016年01月23日 07時22分46秒 | お知らせ

大変恐縮ですが、弟の記事 第2弾です。

 

http://www.highflyers.nu/hf/hirokiyoshitake2/

弟がラ・ロシェル渋谷店で働いている頃は、

私はホテル・オークラ福岡でパティシエをしていました。

私は小さい頃から「ケーキ屋さん」になりたくて、ずっとずっと思い続けてきたゆめだったので、大学を卒業してからの遠回りをしてからの、この道でした。

私も同じく厳しい厳しい修行時代でした。

東京のホテル・オークラでの研修期間の1年間は、千葉の柏の始発の4時半の電車に乗り、帰りは8時、9時の毎日。

シェフも厳しくて、辛い日々でした。

弟も同じく、就職して1,2年は本当に辛そうで、頭には円形脱毛症になるほどでした。

母にも「広樹を辞めさせようと思う。ノイローゼみたいになって、手もボロボロで、

かわいそうかごた」

と相談されたのを覚えています。

両親共に教師をしていて、飲食の世界のことは全然わからなかったので、

私に相談された時は、

「辛いとは当たり前ばい。修業時代は辛くてもしょうがない、だけん、上手くなっていくとよ」

と伝えました。

私もそうですが、弟もきっと同じく、今となっては修業時代の経験は人生にとっての「宝物」です。

「昔」とかいう話をすると、嫌われるのかもしれませんが(笑)

時代も変わって、世代も変わって、

「昔」みたいな修業時代だと、若い子は辞めてしまう、パワハラだ、などとすぐに問題になってしまいますが、

「厳しい修行時代」があってこそ、一人前の「料理人」、「技術」を習得した強い「料理人」になれると思います。

弟は「自由な料理人」「世界を放浪した料理人」などと、ちょっと「自由人」みたいなとらえ方の記事などもありますが、若い料理人の方は勘違いしないでほしいのですが、

基本は最初の修業時代を乗り越えてからの話です。最初から自由奔放にやっていたわけではなく、「石の上にも三年」さらに「三年」ほどの厳しい厳しい下積みを経て、の話です。

私も40歳になって、「親」の立場の気持ちをわかるようになり、

あの時の母の気持ちもわかり、「連れて帰りたい」と思うほど辛かっただろうな、と思います。でも、ぐっと我慢して、子供の成長に任せてくれた両親に感謝しています。

それが私たちの「強さ」でもあるのではないかと思います。

ホテルで4年働いた私が、レストランでデザートをやりたいと思っているころ、

弟に「ラ・ロシェル」が福岡にオープンするという話を聞き、

弟の紹介で、坂井ムッシュに出会うことができました。

本当に感謝しています。

そのおかげで、主人とも出会うことができたので、本当に大・大感謝ですね♡

大変恐縮ではありますが、ぜひ記事をご覧くださいませ。

 

※「Sola」の本 ¥8000税込 は3月以降でしたら、ご予約承ります!

今、お渡しできる分はございません。