正直に言います、“土用の丑の日”というのを二十歳過ぎまで、
“土曜の丑の日”と思っていました。
皆様御存じの通り、仕掛け人は“平賀源内”だとする説が有力ですね。
『土用の丑の日、うなぎの日。食すれば夏負けすることなし』という
コピ-を考案し、知り合いのうなぎ屋を大繁盛させたそうな・・・。
今から40年程前、オイラは親父の転勤で横浜から大分に引っ越しをしました。
親父は素潜りや釣りが好きだったので、その影響を受けたのか、
元々狩猟が好きだったのか、オイラは直ぐに釣りの魅力にハマってしまいました。
大分に行って、初めて食べられる獲物の釣りをしたのは、“うなぎの半夜釣り”。
時期は梅雨明け後の、夜が暖かくなった頃から8月一杯だったと記憶しています。
半夜釣りというのは、夕暮れから11時位まで。
オイラが小学生だったという事で、11時頃に帰る様にしていたみたいです。
場所は大分川の河口で、西鉄グランドホテルがあった前の橋の上。
オイラが釣っていた頃は、橋の上から釣る事が許されていたので週末となると、
橋の上には2m間隔で人が並びます。
その為に早めに行き、先ずはリ-ル竿を置いて釣り場所を確保します。
そして明るいうちに河原に下り、雑草を根っこごと引き抜き、
餌となるドバミミズを捕まえます。(これはオイラの役目)
釣りをする河原に棲んでいるミミズですから、文字通り“マッチ・ザ・ベイト”
釣具屋で売っている“キジ”なんか相手になりません。
並み居る大人達を後目に、オイラの竿が鳴ります。
そう、橋の上とはいえ夜釣りですからそれほど明るさがありません。
よって竿の先に鈴を付けてうなぎが食いついたら“鳴る”という寸法です。
周りにいる大人達より数多く釣れるものですから、
愉快・痛快・楽しくて楽しくてしょうがありません。
『又、釣れたの』 なんて隣の人に声を掛けられると、もう有頂天。
と言う訳で、うなぎ釣りの時期になると、
毎週土曜日は親父と二人で釣りに行っていました。
だからって、“土曜の丑の日”と思った訳ではないと思いますが・・・。
でも、釣ったうなぎを食べた記憶が無いんですよねぇ。
子供に釣らせておいて、親父はどうしていたのでしょう・・・。
“土曜の丑の日”と思っていました。
皆様御存じの通り、仕掛け人は“平賀源内”だとする説が有力ですね。
『土用の丑の日、うなぎの日。食すれば夏負けすることなし』という
コピ-を考案し、知り合いのうなぎ屋を大繁盛させたそうな・・・。
今から40年程前、オイラは親父の転勤で横浜から大分に引っ越しをしました。
親父は素潜りや釣りが好きだったので、その影響を受けたのか、
元々狩猟が好きだったのか、オイラは直ぐに釣りの魅力にハマってしまいました。
大分に行って、初めて食べられる獲物の釣りをしたのは、“うなぎの半夜釣り”。
時期は梅雨明け後の、夜が暖かくなった頃から8月一杯だったと記憶しています。
半夜釣りというのは、夕暮れから11時位まで。
オイラが小学生だったという事で、11時頃に帰る様にしていたみたいです。
場所は大分川の河口で、西鉄グランドホテルがあった前の橋の上。
オイラが釣っていた頃は、橋の上から釣る事が許されていたので週末となると、
橋の上には2m間隔で人が並びます。
その為に早めに行き、先ずはリ-ル竿を置いて釣り場所を確保します。
そして明るいうちに河原に下り、雑草を根っこごと引き抜き、
餌となるドバミミズを捕まえます。(これはオイラの役目)
釣りをする河原に棲んでいるミミズですから、文字通り“マッチ・ザ・ベイト”
釣具屋で売っている“キジ”なんか相手になりません。
並み居る大人達を後目に、オイラの竿が鳴ります。
そう、橋の上とはいえ夜釣りですからそれほど明るさがありません。
よって竿の先に鈴を付けてうなぎが食いついたら“鳴る”という寸法です。
周りにいる大人達より数多く釣れるものですから、
愉快・痛快・楽しくて楽しくてしょうがありません。
『又、釣れたの』 なんて隣の人に声を掛けられると、もう有頂天。
と言う訳で、うなぎ釣りの時期になると、
毎週土曜日は親父と二人で釣りに行っていました。
だからって、“土曜の丑の日”と思った訳ではないと思いますが・・・。
でも、釣ったうなぎを食べた記憶が無いんですよねぇ。
子供に釣らせておいて、親父はどうしていたのでしょう・・・。
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