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里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

県北部の震災復興の地を訪ねる

2021年03月06日 | 小旅

あと僅かで3月11日。
東日本大震災から10年の節目に、大きな被害を受けた地を訪ねました。
過日は県南部の沿岸地帯を訪ねましたが、このたびは県北部沿岸地帯の南三陸数カ所です。
南三陸町志津川。
合併前の旧志津川町で、以前は県の地方機関もあった南三陸の中心地です。
タコ、ワカメ、ホヤ、銀ザケ、牡蠣、アワビなど多くの海産物があります。
当町の震災による死者行方不明者は800名を超え、当県の中でも特に甚大な被害を被った市町の一つ。
町の中心部全体が壊滅的な被害を受けました。
知人も人的被害は免れたものの家屋は流出、現在は高台に越しています。
震災復興祈念公園。


左手が町庁舎があったところ。


行政第1、第2庁舎、防災対策庁舎が並んでありました。


残されているのは防災対策庁舎。
この屋上まで津波に襲われました。


若い女性職員が上司とともに最後まで防災無線で町民に避難を呼びかけ津波に呑まれた悲劇は多くの人の胸を打ち、忘れ去られることはないでしょう。

復興の象徴として整備された「さんさん商店街」。

広々としたスペースです。


様々な業種の店が軒を連ね、商店街と言うに相応しい。

ここで、昼食を摂りました。
炙り中トロ丼と牡蠣汁を美味しくいただきました。


多くの人が訪れ賑わうことを願いたいものです。
港にも足を運びました。


新しい立派な魚市場が整備されています。


南三陸町歌津。
合併前は歌津町でした。
拠点となっている「南三陸ハマーレ歌津」。


残念ながら人影まばらで、苦労が窺われる印象でした。


向かいはすぐ太平洋。
盛んに重機が動いていました。復興は未だ途中と実感させられます。


石巻市雄勝町
合併以前の旧雄勝(おがつ)町。
リアス式海岸で複雑に入り組み、かつては十五浜と呼ばれていたようです。
沿岸漁業と雄勝石の町として知られます。
平地が少なく、海からあがると間もなく山になる地形で、震災時の大津波の凄まじさが想像されます。
この小さな町で死者行方不明者は200数十名に達したと言います。
復興事業で巨大な防潮堤が築かれています。

一般の建物は整備された高台に建てられています。


当地で最も有名なのは雄勝硯。
国産硯の圧倒的シェアを誇ります。
震災で大きな被害を被りましたが、力強く復活しました。
復興を象徴する雄勝硯伝統産業会館。


雄勝硯に関わる様々なものが展示されています。


巨大な雄勝硯と熊野筆。


雄勝硯の原石は玄昌石。
黒色硬質の粘板岩で天然スレートとしても用いられます。


東京駅の駅舎屋根には雄勝産の天然スレートが使われています。


現在は、硯だけでなく食器や花瓶など様々なものが開発されています。
物産交流館が併設されています。




未だ方々で復興工事が続いています。
コロナ禍とも相俟って、賑わいを取り戻すにはもう少し時間が必要と感じたのも事実。
こちらで買い求めた小振りの硯。

途中、名勝地「神割崎」に立ち寄りました。


神割崎の謂われ。



最後は石巻市小船越にある道の駅「上品(じょうぼん)の郷」。


石巻地方の様々な物産が並んでいます。ここが締めとなりました。


震災復興の地を訪ねる

2021年02月26日 | 小旅

2011年3月11日の東日本大震災から間もなく10年。
この節目に大きな被害を受けた地を訪ねてみることにしました。
当県の大震災による死者行方不明者は1万人を超えます。
そのほとんどは津波による犠牲者です。土地や建物の被害も津波による被害が圧倒的に多い。それに比べれば内陸部の被害は相対的に軽いと言えます。
とはいえ、我が家も無傷というわけにはいきませんでした。家屋や農地さらにはライフラインと自らのことで精一杯でした。
それ故に大被害を被った沿岸部への貢献は何らできていません。これまでも足が遠のいていました。
今回は、県南の沿岸部数カ所を訪ねてみました。

仙台市若林区荒浜。
慰霊塔。すぐ向こうが太平洋です。


右の慰霊碑に犠牲者の名が刻まれています。
ここには知人夫婦の名があります。
集落は根こそぎ消滅しました。
震災遺構として住宅の基礎がそのまま残されています。


大津波の様子が書かれています。


遠くに見える白い建物が震災遺構として残されている荒浜小学校。
津波は2階まで到達したものの多くの人がここに避難して難を逃れました。

一帯は災害危険地域に指定され、住民が全て転居しているため未だ荒涼たる風景は否めません。
ここから南下。

名取市閖上。
2019年4月グランドオープンした「かわまちてらす閖上」。


復興の象徴的な閖上地区の新しい商業施設。


木造平屋建ての3棟には飲食店や海産物の店などが軒を連ねています。


この左手の川が名取川。すぐ河口です。


このすぐ近くに知人宅がありました。震災当時知人本人はすでに鬼籍に入られていました。すでに転居されています。
港の方まで足を伸ばしてみました。水産加工場や住宅施設も多くなり、当地では復興が実感できました。

亘理町荒浜。
ここは入り江になった特殊な地形の鳥の海地区。

かさ上げされた堤防から見る入り江。


昔は周辺に大型のプールなどもあり賑わっていましたが、未だ整備途中のようです。


この建物は「わたり温泉 鳥の海」
日帰り温泉施設です。


オープン3年目くらいで震災に遭い、しばらくして復活しました。3年ほど前に訪ねていますが、その時はまだ不十分な印象でした。
今度はレストランも綺麗に整備されており、ここで昼食をとりました。
当地の名物は「はらこ飯」ですが季節的に品切れ、寿司セットをいただきました。
ここから海岸線近くを山元町まで南下したかったのですが、昔とは道路が大きく変っており、イメージ通りには行けませんでした。
亘理町から山元町の海岸線沿い、通称浜街道にはイチゴのパイプハウスが林立していましたが、津波で壊滅。イチゴ農家の知人も命を落としました。
現在は大型の近代的な施設が建ち並び、イチゴ産地として目覚ましい復興を遂げています。

山元町坂元。
震災遺構の中浜小学校。

震災当時の姿がそのまま残されています。

向こうが太平洋。

右上2階天井付近に津波到達点の目印があります。


児童や地域住民らが屋上に避難し、90人の命が守られました。現在は防災教育・震災伝承の場として一般公開されています。
これは「幸福の黄色いハンカチ」をイメージしたモニュメントでしょうか。


復興のシンボル的な直売施設「夢いちごの郷」。

多くの地元産品が並び、賑わっていました。


何といっても目玉は特産のイチゴ。
これは当県のオリジナル品種「もういっこ」。
大粒で、甘味と酸味のバランスが良く日持ちもする美味しいイチゴです。

駆け足ではありましたが、復興の現状を知るいい機会となりました。

菅首相生誕地から紅葉の仙秋ラインへ

2020年10月30日 | 小旅
小さな旅。所用を済ませた後、秋田からの帰り道は秋田自動車道を南下、湯沢インターを降り、108号線で奥羽山脈越えです。
湯沢市雄勝町の道の駅「おがち小町の郷」で一休み。


当地は菅首相の生誕地で、祝賀ムード一色です。


関連グッズやお菓子も沢山陳列されていました。


これまでは「小野小町のふるさと」が売り物でしたが、新たな売り物が加わったようです。


ここから山越えして宮城県側に抜ける国道108号線は仙台秋田を結ぶことから通称「仙秋ライン」と呼ばれます。


東北自動車道を南下すれば短時間で帰れますが、いま紅葉の真っ盛りなので、それを眺めながらとこちらを帰ってきました。


道の駅から7、8キロの辺りが菅首相の生誕地「秋の宮」です。宮城県境にほど近い。
山は紅葉が見頃です。


道路そばの家には菅姓の表札も見られたので、首相の実家もこの近辺なのだろうと想像しました。
かつての仙秋ラインは道が狭く、難所でした。今は見違えるように道路が整備され快適なドライブができるようになりました。
紅葉も盛りでしたが、紅葉一番の所で残念ながら雨に見舞われました。これで今回の小さな旅は終了です。




千秋公園と秋田県立美術館を尋ねる

2020年10月29日 | 小旅
所用で秋田市に来ています。合間に千秋公園と秋田県立美術館を訪ねました。
千秋公園は佐竹氏の居城久保田城趾を公園化したもの。


街の中心部にあり、春は桜、秋は紅葉の名所にもなっています。


勇壮な表門が再現されています。


広々とした園内。


この場所は本丸跡。


佐竹氏最後の12代城主の大きな銅像が建立されています。


立派な隅櫓も再建されていました。


イチョウはすっかり黄葉していましたが、モミジはあと1週間くらいで見頃になるでしょうか。


秋田県立美術館は千秋公園のすぐそばにあります。


著名な建築家安藤忠雄氏の設計として知られます。
安藤氏らしくシンプル、モダンにしてシックな建物は街にすっかり溶け込んでおり、素人目にも素晴らしい。


中に入ると自然の明かりを取り込んだ吹き抜けにらせん階段。




目線にお城の堀の水面と美術館の水平の屋根部に水を張って一体化して見せるという度肝を抜く設計。


藤田嗣治氏の壁画「秋田の四季」は同美術館のシンボルとなっていますが、他にもかなりの数の同氏の作品が展示されており、じっくりと鑑賞できました。また、企画展もみることができました。


十和田湖から驚愕の三内丸山遺跡へ

2020年10月28日 | 小旅
小さな旅の二日目。紅葉の十和田湖畔を散策しました。


ちょうど見頃のようです。


湖と紅葉のマッチングは素晴らしく絵になります。


ここのシンボル、高村光太郎作の「乙女の像」。


十和田湖をあとにし、北上。
鮮やか紅葉が沢山楽しめました。


こちらは中野もみじ山。




メインは三内丸山遺跡を訪れることです。初めてです。
まず、施設の大きさに驚きました。ほぼ遺跡だけかと思いましたが、建物が大規模です。


遺跡も想像以上に大きい。


シンボルの大型の掘っ立て柱建物。


これも大型掘っ立て柱建物。


再現の柱の太さがすごい。これほどの栗材を集めるのは至難です。
遺跡の大型掘っ立て柱跡。


栗材が未だ残っているのです。
縄文時代に栗は最も重要とされ、栗が多数自生する里山に集落が形成されたのでした。これは現代の里山の栗の利用にも通じることです。
竪穴式住居の再現。


大型の施設には多数の出土品が展示されています。


数え切れないほどの重要文化財です。


数千年前の昔に、これほど大規模な集落が存在し、そしてそれを発掘できたというのですから正に奇跡としか言いようがない。久しぶりに感銘を深くしたことでした。