愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

文明と文化

2013年06月07日 | 歴史

古代日本国家の成立、古代日本国家はユーラシア大陸からの逃亡者によって創建された。

これが、わたしの説。

伽耶文明から、百済文明から、高句麗文明から、しらぎ文明から、

邪馬台国は漢帝国が滅亡した黄巾の乱から逃亡した一族によって創建。

文化とは庶民のものだが、文明とは国家官僚の印ではないかと思っている。

北東アジアの中心軸は古代から中華文明だった。

ゆえに、北東アジアで生存する意志があるならば、中国を分析。

習近平は、最後の中国共産党王朝の皇帝だと感じている。

10年後、中国は分解し州政府は共和国として独立するだろう。

ソ連邦崩壊と各自共和国の誕生と、共和国連邦、そのような道程が、中国において反復。

「境界と落差」の中国内陸部、ほとんど、土と人間が同色の貧乏耐久、これが実態。

いま、全世界は、中国内陸部の貧乏耐久に転位している。

何故ならそこに実態のエネルギーがあるからだ。

実態のエネルギーに寄生するのが、国際金融動物のエイリアン。

惑星の溶鉱炉に落下していく運命、それが国際金融動物のエイリアン。

「境界と落差」「貧乏耐久」「惑星の土と同色」それが来るべき同時代基調色。

超金融経済は、反転のエネルギーがもはや喪失している。

やがて惑星は実態へのドン底へと帰還し、その境界と落差の裂け目から文明転換をはかる。

文明とは国家官僚、惑星は国家官僚の刷新を求めている。

 


馬頭観音と野良猫

2013年06月07日 | 生活

その野良猫は林の丘に立つ石碑を中心軸に生活している野良猫だった。

石碑は明治20年代に建造されたちいさな素朴。馬頭観音の文字。

対象の背景の発見とは時間がかかる。

何故なら野良猫も生活し生存しているから。

その野良猫はオス。わたしは驚嘆した。

その野良猫には家族がいたのだ。白と黒の斑点、間違いないだろう。

 


人情紙風船

2013年06月07日 | 歴史

【映画】人情紙風船(ハイビジョン)

1937年

監督
山中貞雄

出演
河原崎長十郎
中村翫右衛門
山岸しづ江
霧立のぼる

 

江戸庶民の物語、人情紙風船をみた。前進座総出演の映画。1937年とは昭和12年。

これほどの舞台美術、大道具、小道具の豊富な技術による展開は、今、できないだろう。

失われた過去とは、豊饒の記憶、記憶とは人にとって重力、重力とは空間と物質の奇妙な関係にある。

ノスタルジアとは人の情感を豊かにする。何故ならその空間磁場に実態が存在していたからである。

1972(昭和47)年、貴金属である金と紙幣ドル交換の廃止、ニクソンショック。

いくらでも紙幣を印刷し発行できる超金融経済の仮想現実が開始された。仮想現実とはカオス現実。

世界経済は実態経済から、国際金融動物が支配する超金融経済へとエイリアンのごとく転位、そして今。

超金融経済とは実態経済に寄生しながら、主体を食い殺してしまう、内蔵から外に飛び出すエイリアン。

21世紀10年代の現在、経済は、国際金融動物というエイリアンによって支配されている。

ノスタルジアの総量によって、1972(昭和47)年以前を思い出すことは、実態の記憶を奪還することでもある。

豊饒の過去を追憶することは、未来志向と上昇志向が欠落した、ひ弱な花ではない。その反対、強い花だと思う。

わたしは愚かな人間だが、60歳代に突入し、ようやくノスタルジアの反乱を開始できる。

テレビなどは、すでにハンマーで叩き壊した。そして過去と対話する時間をつくりだすことができた。

 

 


洪水はわが魂に及び、核時代の冥界

2013年06月07日 | 脱原発

  1)

大江健三郎の純小説「洪水はわが魂に及び」上巻、下巻が新潮社から箱入りで発刊されたのは1973年だったと思う。

わたしが読んだのは70年代後半になってからだった。

1970年代はいかに滅んでいくかの終末論もブームになっていた。

1972年と1973年は時代の雰囲気がすでに変わっていた。まだ村上龍が出てくる前だった。

わたしは無知蒙昧の愚者であるから、いつも小説は、発刊されてから5年後にしか読めない。1996年に第19回群像新人賞をとった村上龍の「限りなく透明に近いブルー」はすぐ読んだ。村上龍はわたしよりひとつ上の世代、いよいよ同世代が文壇に登場してきたと注目した。村上龍はさんざん上の世代から憎しみをもってバッシングされた。そのときわたしが発見したことは敗戦後における世代間の底にある憎悪だった。

1970年代後期にはまだ「上の世代を打倒しないと、登場できない」という動物的なエネルギーがあった。

1980年に発刊された村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」を読んだのは10年後である1991年だった。

大江健三郎がノーベル賞をとってから、わたしは大江健三郎に興味がなくなった。

大江健三郎の小説でよかったのは「万延元年のフットボール」と「同時代ゲーム」だった。

大江健三郎の小説をはじめて読んだのは新潮文庫の「性的人間」だった。政治小説である「セブンティーン」が収録されていたからだった。17歳だった。その頃、夢精という性的現象に悩んでいたので、「セブンティーン」の主人公に感情移転していった。「セブンティーン」の主人公は右翼だったが、わたしは左翼になった。育った栃木県北部のちいさな街に日本愛国党がなかったからである。

わたしは中学生から高校まで朝刊夕刊の新聞配達をしながら、全国まんが同好会に所属し、ストーリーまんがを描いていた。高校3年の4月になって校内でまんが同好会を立ち上げた。最初の肉筆同人誌に掲載したのが、幕末の少年テロリストを描いた小作品だった。
少年といっても主人公の設定はセブンティーンだった。ラストシーンは、主人公である少年テロリストに斬られた幕府の老武士のつぶやき「お前は利用されている」だった。

次に描くまんが作品のイメージを盗用すべく、わたしは街の本屋さんで、大江健三郎の純小説「個人的な体験」を買って読んだのだが、内容が重くて読了はできなかった。

1970年の6月は全国的に安保闘争のデモが巻き起こっていた。わたしは政治活動に没入し、まんがを描くことはできなくなっていた。内部から外部へと行動していったからである。1970年にはすでに福島原発が建設されていた。その頃、ヒロシマ・ナガサキから警告する反核の文章を読んだことはあるが、原子力発電所の危険性を警告する文章にわたしは出会っていない。当時、反戦高校生たちの愛読雑誌であった「朝日ジャーナル」にも掲載されていなかったと思う。その頃、原子力とは未来社会の革新的なイメージがあった。

原子社会とは原始社会の相対にあり位相にあった。中学1年のとき、教室の後ろの壁に手作り学級新聞があり、教師の4コマまんがが掲載されていた。

原始時代のカメがノコノコと歩いている。
やがて、カメは鉄腕アトムのごとくカメの甲羅の後ろからロケット噴射し、カメは空を飛んでいる。原子時代のカメだった。

そのようにわたしたちはすでに教育によって、原子力というものが人類の未来であることを、教師も生徒も洗脳されてきた。原子力発電所がヒロシマ・ナガサキと同期している線上にあるとは思っていなかった。ヒロシマ・ナガサキは核戦争であったが、原子力は平和として洗脳されていた。


         2)

世界は911以上に311の映像配信によって衝撃を受けた。

3月11日、東北関東大地震大津波の映像はNHKによって配信され、それを全世界のTV放送局が視聴者へと配信した。

大津波とは洪水であった。キリスト教社会の西欧・中欧・東欧・ロシアは、聖書にある洪水の到来を想起し絶句したと思う。洪水とは人類文明の終末というイメージがある。
「わが亡き後に洪水よ、来たれ」という言葉がある。

2011年3月11日14時46分、東北関東大地震、震源地は連続して3箇所から。
20メートルから30メートルの大津波が洪水として、東北太平洋沿岸地帯に押し寄せる。

3月12日15時36分。
今度は、福島原発第一、一号機で爆発。
この映像も全世界に配信され、国際社会の視聴者は絶句したと思う。

わたしは神奈川の地に住んでいるが、311の地震は生まれて初めて経験した横ぶれの地震だった。停電になり、地震がきた。すぐアパートの外に飛び出し、鉄柱につかまりながらおさまるまでまった。16時30分からは、東京新宿駅で、3・19東京一万人集会の宣伝チラシまきがあるため、駅に向かった、電車は動いていなかった。

駅は混雑し、大きな画面があるモニターではNHK配信による大津波が映像。それを多くの人々が見上げていた。

誰もが翌日、福島原発第一、一号機が爆発するとは「想定外」にあった。

洪水はわが魂に及び、核時代地獄の王が扉を開けて人類の日常生活にやってきたのである。

プルトニウムの語源のプルート(Pluto)は、ローマ神話の冥界を司る神。

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M9.0 magnitude earthquake in City Sendai,Kamaisi,Hachinohe Japan.

 

 


6月の小雨

2013年06月07日 | 生活

夜勤帰り、朝は小雨だった。

このGOOのブログは、最初につくったブログ、ゆえにここから出発したいと思う。

どうやら、わたしは60歳の危機を越えることができたようだ。

次の危機は63歳、60歳代になると危機は3年、いや2年ごとにやってくる。

「40年ぶりに、おれは政治的に覚醒した、小沢一郎がその結節環だった」

そのような男性に、わたしは何度も遭遇した。

2011年の秋、小沢一郎支持デモ、40年ぶりにデモに参加された男性の話など。

ほとんどが、わたしと同様に、小沢嫌いから転向した男性だった。

中心軸は自由党時代からの熱き心をもった小沢一郎支持者であろう。

しかし周辺には、わたしのような人間が多数いる。