>361042 近代観念が人類を滅亡に導く構造 >北村浩司 ( 壮年 広報 ) 20/10/17 AM09 【印刷用へ】
>近代思想は17世紀に登場するが、その認識構造は基本的に宗教のそれを踏襲している。
近代思想 (自由・個人・平等) は哲学 (非現実) ですし、宗教も宗教哲学ですね。
>①約5500年前、乾燥→飢餓を契機として掠奪闘争が始まり、それを武力で統合した国家が形成された。>その結果、全ての物材は支配階級の占有物となり、私権(財産や地位)を獲得しなければ生きてゆけなくなる。 >こうして、社会は否も応もない私権の強制圧力によって埋め尽くされ、誰もが私権の獲得に収束する私権社会が成立した。
古代国家の成立ですね。
>・この私権の強制圧力は、人々を戦争や貧困や支配・抑圧のドン底に突き落とす。 >しかし、万人が私権の獲得に収束している以上、その現実を変えることは不可能である。
そうですね。修道院にでも籠って熟考してみることが必要になりますね。
>かくして思考ベクトルが、変革不可能視をテコとして反転し、反現実・非現実→神等の架空観念の方向に向かう。
考え (非現実) の内容は我々人間にとって大切ですね。もしその内容が筋の通るものであれば、考えとしての価値がありますから。
>このようにして2600年前に登場したのが、ユダヤ教、仏教、儒教などの宗教であり、さらにその思考ベクトルを踏襲したのが自由・平等・人権などの近代思想である。
それは人類の思想史ですね。
>それまで人々にとって現実=圧力というものは、否定の対象ではなく、あくまでそれに立ち向かい、克服してゆく対象であった。
そうですね。それは実学 (技術) の世界でしたね。
>それに対して、現実に背を向けた非現実の架空観念は実現するはずもない。
そうですね。それは、我々の夢と希望の内容ですね。考え (非現実) は哲学であり、人間特有の能力の賜物ですね。
>また現実=外圧の変化に適応していこうという、生命原理にも反している。
哲学 (非現実) は、現実を作り替える指針になるのではないでしょうか。未来社会の建設には無くてはならぬ内容でしょう。
現実ばかりの日本人は、千変万化する現実に翻弄されていますね。現実の内容を絶対化するからですね。
山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、日本人の絶対化について述べています。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と書いています。これでは何が本当かわからない。
>②その中でもとりわけ反現実ベクトルの色彩が濃厚なのがユダヤ教→キリスト教である。>この宗教の特徴は唯一絶対神を信仰する、一神教であることである。
ユダヤ教徒は自分たちの宗教も相手の宗教も認めるそうです。ですから彼らはユダヤ教を布教しないのだそうです。
>つまり自分たちの神以外は認めない、排他性が強い。
キリスト教や回教は排他性が強いですね。だから彼らは広く布教した。十字軍も出た。異教徒を圧迫しますね。
>その基本的性格に加えて教団が確立していくと、神は絶対→教義絶対となり、信仰内容がドグマ化していく。
現実の内容は千変万化しますが、考えは非現実の内容であり、よほどのことがない限り個人の哲学は変化しませんね。信仰の強さになりますね。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。
>教義絶対とは異論や異端を認めないということであり、異端は宗教裁判や魔女狩りなどで排除・抹殺され、追求封鎖→思考停止が強要されていく。
古い時代の災難ですね。個人主義が必要ですね。考えの内容は人人により違いますからね。’一億一心’ の掛け声も同様に危険ですね。特高警察が活躍します。
>この追求封鎖→思考停止は、変異や多様性を認めないという点で、生命原理に反しており、滅亡に直結する。
そうですね。見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも ‘嘘つき’ にはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。
現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。
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