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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

没頭 4/4

2020-10-07 16:25:13 | 文化

 

>いまどき新卒一括採用を守っている企業になど見切りをつけ、自分なりの学習方法に臨もう。

 

そうですね。私の知人は日本の音楽大学を卒業して、カナダでワーキング・ホリデイをして、日本の楽器会社に勤めた人がいました。その後、モザンビークでJICA海外協力隊員として働き、そのあと南アの日本大使館に勤めました。今は日本の貿易会社の南ア支店で働いています。彼女は ‘学び歴’ のある人ということになりますね。母国の人間序列の中に身を置いて、じっと順送りの昇進を待つのよりは働きがいがあるのでしょうね。  

 

>「学び歴」を得るのは早いほうがいいけれど、年齢は関係ない。>成人してからでもいいし、40代以降から学び直すのも結構だ。 

 

生涯にわたる学習が必要ですね。   

 

>だいたい「学生でなければ学ばなくてもいい」「大人は勉強よりも仕事」という考え方がおかしい。  

 

そうですね。わが国には、人手不足は生じても頭脳不足は生じた話はありませんね。   

 

>それも子ども時代の学歴を重視しすぎた、学校教育の弊害の1つだ。  

 

そうですね。教育が学歴を得るための手段となっていましたね。   

 

> ~中略~

>みんな学校に縛られず、思うままに、行動してほしい。 

 

そうですね。日本人にも自由な意思が必要ですね。     

 

>意義のある仲間との出会いと、豊かな「学び歴」を獲得するには、動きだすよりないのだ。

> ////////↑↑引用終了↑↑//////// 

>360741 本当に必要な教育とは?(3)~必要なのは学歴ではなく「学び歴」 >稲依小石丸 ( 40代 犬上 )  20/10/05 PM08 

>学歴信仰(幻想)は、まだまだ残存している。>特に子供たちの親世代に。

 

学歴信仰はわが国の序列信仰に基づいていますからね。   

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断・序列判断には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料とされている。

日本人の礼儀作法は、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。日本人の尊敬は、単なる序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味合いがない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。

人を見損なってはいけない’ という想いが高じて、日本人は堅ぐるしい社会生活を強いられている。序列作法を無視すると、その祟りは恐ろしい。非国民にされる恐れがある。

日本人は奥ゆかしい(深い考えがあるようにみえる)。実は、日本人には奥 (考え・非現実) がない。だから、浅薄である。

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’( グレゴリー・クラーク)

 

>しかし、どこの学校を出ていようとも、学校教育が現実社会から隔絶した世界である以上、社会に出てすぐに役に立つことはできない。

 

そうですね。考え (非現実) の内容は、社会 (現実) の内容とは違いますからね。すぐに役立つことは無いですね。  

 

>これは親世代自身もうすうす感づいているはず。>代わりになるものが見つかっていないからすがっているだけ。>むしろ、学校という枠組みから早く抜け出して、世の中で何が必要とされているのかを自ら感じとり、それを実現するにどうすればよいかを手探りでも学んでいくことで、応える力が身についていく。

 

そうですね。 見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも ‘嘘つき’ にはなりたくない。だから、自分の考え (非現実) は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。

現実は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。Seeing is believing. 考える必要はない。楽ちんである。正解はただ一つである。

非現実 (考え) は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。  

 

 > 現実課題を対象とした学びの蓄積=学び歴こそが、生きていく上で大きな力となる。

 

そうですね。現実直視とその考察が貴重な ‘学び歴’ になりますね。   

 

(略)

 

 

 

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没頭 3/4

2020-10-07 15:55:15 | 文化

 

> 子どもがやりたがる挑戦を、何でもやらせる!

 

少年よ、野心的であれ。Boys, be ambitious!   

 

> ゲームでもダンスでもマンガ制作でも、夢中になっている子どもを邪魔しないであげてほしい。 >それが20年後、多くの人に喜ばれ子どもの生涯を支える、価値の高い仕事になっているかもしれないのだ。

 

そうですね。ケセラセラですね。     

 

> 親の唯一の仕事は、子どものサポーターであり続けることだ。>「勉強しなさい!」と言って、子どもが夢中になっている挑戦を、決して奪ってはいけない。 

 

そうですね。子供には没頭が必要ですね。  

 

> 既存の教育を押しつけ強制して恨まれるか、自由に没頭させて感謝されるか。 

 

それが地獄と天国の分かれ目ですね。   

 

>どちらの子どもが社会に歓迎される豊かな人格を育めるか、悩むまでもないはずだ。>「やりたいことをやれた」「親が何でもやらせてくれた」という認識を育めた子どもは自己肯定感が高く、幸福な人生を自分のやり方で築いていけるだろう。

 

考えの内容は、人によりけりですからね。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。その内容はあまり変化しない。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実を垂れ流す。だから、個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。   

 

>しつけの過程で、親は知らないうちに自分たちの理想を押しつけてしまうものだ。>気持ちはわからないでもないが、親の理想なんて、子どもにとって害でしかない。

 

個人主義が必要ですね。個人の考えを尊重することが大切ですね。   

 

> 素直で、親の言うことを何でも聞いて、与えられた教育しかやろうとしない子どもが理想だとしたら、とても危険だ。  

 

そうですね。皇民化教育と皇軍兵士の関係のようなものですね。   

 

>親の理想しか知らない子どもが、より進化した未来の社会で幸福でいられるだろうか?   

 

親と子は別人ですからね。個人主義を徹底させましょう。    

 

> スマホを禁止する大人に育てられた子どもが、スマホの次のテクノロジーに対応できる知性を養えるだろうか? > 僕はあやしいと思う。 

 

そうですね。

 

>○必要なのは学歴ではなく「学び歴」

>どこの大学を出ようと、学生は、企業の即戦力にはなりえない。>学校は実務的な教育など、行っていないからだ。

 

そうですね。考え (哲学) は非現実の内容ですから即戦力にはなりませんね。職業 (現実) 学校の方が実務の役に立ちますね。   

 

> 有名な企業の入社試験を受けるためには、そこそこの学歴を経由していないといけないかもしれないが、企業名にこだわらない、本質の伴った仕事をしたいなら、大学になんか行かなくていい!   

 

そうですね。大学教育 (哲学) は教養を身に付けるためですからね。本質を伴った仕事とは関係ないですね。   

 

>学歴よりも大事なのは、やりたいこととやるべきことを自分で見きわめ、探究の実践を積み重ねた「学び歴」だからだ。> 「学び歴」をつけるには、何より行動力だ。

 

そうですね。だが、日本人には意思 (will) がない。だから、個人の意思の内容に焦点を当てる者がいない。日本人の行動開始は、事の次第と成り行きで決まる。だから、行動開始に難渋する。

フランク・ギブニー (Frank Gibney)  氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。

 

 ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。 ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) (引用終り)

 

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)      

 

 

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没頭 2/4

2020-10-07 15:28:36 | 文化

 

>そのシステムのせいで、情報化社会のスピードに対応できない偏差値秀才・和製エリートが量産されてしまった。  

 

そうですね。思考停止では、スピードに対応することはできませんね。   

 見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも ‘嘘つき’ にはなりたくない。だから、自分の非現実 (考え) の内容は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。  

 

>そして、僕みたいに突出した行動を取る人間を叩きまくる、内向きの日本の空気感を固定化させたのだ。 

 

内弁慶の先生が内向きの空気を固定化させているのですね。   

 

>しかし、グローバリズムが進みスマホが普及したことで、教育の手段と選択肢は一気に多様化した。  

 

そうですね。知識が大衆に解放されましたね。      

 

>あくびしただけで無抵抗の子どもに暴行をはたらくような大人に、勉強を教わる必要はもはやどこにもない。 

 

そうですね。体罰による教育は良くないですね。   

 

>インターネットもスマホもない時代、学校へ行くしか勉強する手段のなかった僕らが「学ぶ」には、いったん義務教育を通過しなくてはいけなかった。

 

そうですね。学校で先生に教えを乞うのは仕方のないことでしたね。   

 

>でも、IT革命以降、教育現場で教えられることは、リアルの体験以外すべて、テクノロジーで代用できる。 >学校教育は、大幅なバージョンアップが加えられるべき時代に入っているのだ。  

 

そうですね。知識は解放されましたね。学校教育の対応も必要ですね。   

 

> ~後略~

> ////////↑↑引用終了↑↑//////// 

>360740 本当に必要な教育とは?(2)~親が子にできるのは没頭への支援(≒見守り) >稲依小石丸 ( 40代 )  20/10/05 PM07 

>親が子供の将来を気にかける心情は分かるが、親が子供にしてあげられる“本当に必要なこと”はそんなにない。 >“あなたのため”と言って、子供に勉強や習い事を押し付けても、子供には何のプラスにもならない。 >親自身の見栄や不安解消のための行動であることは子供に見抜かれている。 

 

それは残念なことですね。   

 

>“親の理想”は、子供にとって害でしかないと自覚するくらいがちょうどよい。 

 

親と子は別人ですからね。一心同体などではない。   

 

> 唯一できることは、子供の主体性を見守ってあげること。>それが子供自身が生きる力を獲得していくことにつながる。

 

そうですね。ですが、日本人には意思がない。 生きる力 (vitality) が不足していますね。

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

>◇堀江貴文「親は子がやりたいことをやらせよ」~学校教育は今こそバージョンアップが必要だ >リンク  ><東洋経済オンライン>より

>////////↓↓引用開始↓↓////////

>○没頭への支援ができなければ、親の資格はない

>僕の公式メルマガやYouTubeチャンネルに、ときどき子を持つ親からの相談が寄せられる。 >「子どもにどんな教育を与えたらいいですか?」という内容だ。 >正解はひと言に尽きる。 >「子どもの自主性に任せなさい!」それだけである。

 

そうですね。人間には、自主・独立の気概が必要ですね。   

 

> 親がどんなに子どもの将来を心配しても、それは杞憂にすぎない。 

 

それは老婆心ですかね。どうにもなりませんね。   

 

>最先端の情報を得て、最適の教育を選べる自信があったとしても、20年後に通用している保証はないのだ。 >「親の考えは子どもよりも古い」という事実を、潔く認めてほしい。 > 今後は、過去の20年の何倍ものスピードで世界が変わっていく。 >社会で求められる人材が変わるのだから、偏差値教育も、語学の優先順位も変わっているはずだ。  

 

世俗の上下順位にも変更が及びますね。   

 

>多くの大人がいま持っているベストの教育像は、まったく違う形になっているだろう。  

 

そういうことも考えられますね。  

 

>そんな未来に向かっていく子どもたちに親がしてあげられることはただ1つ。>無償の支援だけだ。

 

それは自分が親から受けた支援のお返しですね。   

 

 

 

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没頭 1/4

2020-10-07 14:55:42 | 文化

 

>360739 本当に必要な教育とは?(1)~現代の“義務教育”こそ不要! >稲依小石丸 ( 40代 )  20/10/05 PM06 

>2020年は「教育改革」の年として取り上げられることが多い。 >義務教育でも新しい学習指導要綱が採用される。 >しかし、そもそも「義務教育」は必要なのだろうか。 >ほとんど社会の役に立たない(かつつまらない)内容を義務として強制・洗脳し、柔軟な子供の思考や行動を奪ってしまっているのが現実である。 > 幼少からの十数年という多感な時期こそ、義務ではなく自主的に学ぶ教育環境が必要だ。  

 

人間には自主・独立の気概が必要ですね。   

 

> 大人が“管理する”という発想を捨てるだけでも可能性が広がるのではないか。 

 

教育者は子供を調教する発想を捨てる必要がありますね。   

 

>◇堀江貴文「親は子がやりたいことをやらせよ」~学校教育は今こそバージョンアップが必要だ >リンク ><東洋経済オンライン>より

>////////↓↓引用開始↓↓////////

> 「出る杭」を「平均」という名の地面に打ち込む教育  

 

ご唱和の世界を樹立するための教育法ですね。どんぐりの背比べを実現する教育法ですね。      

 

> 現在の学校教育では学びの本質を知ることはできない。 >そもそも、教える側に学びの本質を理解している人がほとんどいないのだから。 > 学びの本質とは、わからなかったことがわかることで生まれる「喜び」だ。 >人は、知らないことを知っていくプロセスを気持ちよく感じ、知的欲求を継続しながら、成長を重ねていくようにできている。

 

そうですね。知的要求とは、’知を愛すること’ (philosophy) ですね。  

 

>けれど、教える側の学校の先生は、総じて教え方が下手だ。>覚えるのに多少のコツがいる勉強を、わざわざコツを外して回りくどく、覚えづらいように教える。>「つまらないものをよりつまらなくする技術に長けている」とさえ言っていい。> 勉強がつまらないのは、当然でもある。 >学校の先生たちに課せられた課題は、反抗心や、集団から外れようとする「出る杭」を「平均」という名の地面に打ちこみ、可もなく不可もない「オールB」人材を養成することだ。

 

そうですね。学校の先生たちは、子供たちに没個性の励みをさせているのですね。   

 

>子どもたちの伸びやかな個性に応じた才能の促進を求めてはいない。>凡庸なジェネラリストの量産が、義務教育の目的だからだ。

 

金太郎飴のような顔をした人間の量産でしたね。   

 

> 学校は、教育の名目において子どもたちの没頭を奪い、突き抜けた天才の芽を摘み、「オールB」が理想であるという常識を植えつけている。>これは立派な洗脳だ。 

 

思考停止をしている人間に暗記を強要すれば、それは洗脳になりますね。日本人に対する皇民化教育のようなものですね。  

 

> 洗脳のために教師が用いる効果的な手段は、禁止だ。 

 

べからず帳’ ですね。徳目を暗記させる要領で励ませることですね。     

 

>どの学校にも、数多くの禁止が存在する。>そう、校則だ。>「髪型は男子は短髪・女子はセミロングまで」とか、「生徒同士の許可のない集会の禁止」とか、「アルバイトは基本的に認めない」など、何かの罪でも犯したのだろうか? というレベルの禁止事項を子どもたちに強いている。

 

学校の禁止事項は罪とは関係ありませんね。日本人の道徳は常に罪を避けて通りますね。外形的な禁止ばかりで、子供の精神が大人になることがないのですね。罪を知らない子供のような大人が育成されています。日本人に対するアメリカ人のWGIP (War Guilt Information Program) は ‘カエルの面に小便’ のようなものでしたね。日本人には受け入れる余地がない。意思のある人には、加害者意識というものがある。罪の意識もある。しかし、日本人には意思がない。だから、罪の話には縁がない。 

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には ‘他力本願・神頼み’ になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)     

 

>加えて「校長先生の話は直立不動で聞かなければいけない」とか、校則に記されていない同調圧力的な常識もいまだに存在する。

 

序列作法の励行は日本人から離れませんね。世俗的な序列順位に従って作法を行うように恣意の圧力を子供にかけていますね。   

 

 (略)

> 洗脳型教育によって、偏差値至上主義のゆがんだシステムが生まれた。

 

偏差値至上主義はわが国の序列信仰の賜物ですね。もとを正すことなくして陋習は無くならない。  

 

 

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