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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

日本の科学技術力 2/2

2020-10-26 17:24:14 | 文化

 

>この日本軍の感覚のずれは、日本人が発明したレーダーの有効性を全く理解せず、特に日本の科学者が世界でも最も波長の短いセンチ波を開発したにもかかわらずその研究を採り上げなかった例などでも明らかだ。  

 

洞察力は非現実の世界における物事に関する理解ですからね。現実ばかり見ていても発展性はありませんね。     

 

>超波長の電波を使った電波探知機は使っていたが、本来のレーダーについては、終戦後米軍に何故使わなかったのかと問われ、初めてその有用性に気がついたと言われる。 >八木アンテナなどもその部類だろう。>この様な歴史を知るにつけ日本人科学者には独創性という物が無いのかと暗澹たる気持ちになる。

 

そうですね。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。世界観は人それぞれである。自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実の世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、どんぐりの背比べになって個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。

 

>改良は得意で、結局今日本の科学技術、それを基にした製造能力はある意味世界一だろう。

 

改良は、現実にあるものを改良するのですからね。

 

>確かに兵器や航空機などでは米国が優れているだろうが、日常生活を支えるありとあらゆる方面を支えている基本技術では日本は米国を遥かに抜いている。>欧米の車と日本の車を比べてみればそれがどういうことはイメージできるのはないか。>日本の科学技術は世界のトップクラスだ。 >しかし、科学技術の創造力については全くかつての欧米に及ばない。

 

そうですね。

非現実の考えの内容を現実の世界で実現すれば、それは創造力を発揮したことになりますね。

現実の内容を現実に再現すれば、それは模倣したことになりますね。その模倣に手を加えれば、それは改良したことになりますね。模倣は中国人が得意で、改良は日本人が得意ですね。     

 

>おそらく出る杭を打つ日本の社会にその原因があると思う。が、出る杭が打たれないことで今の安定した日本社会があるのも事実だ。

 

出る杭が非現実 (考え) の内容であれば打つ。現実 (実物) の内容であれば打たない。現実と非現実の区別が成否の分かれ目ですね。 

 

>その両立は成り立たないのだろうかとつくづく思う。 

 

そうですね。

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に力を合わせることも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

>また、以前も書いたが世界で普及している日常品は今では途上国製が多い。

 

それらは模倣の成果ですね。  

 

>支那はそれで財を得ているし超汚染もそうだろう。が、基本技術を全て日本などから受けているから,それを停められれば彼等は破綻する。

 

浮き草稼業ですかね。

 

 >ただ、日本で作るとコストが高くなりすぎ、世界で売れないから日本は今まで支那や超汚染に作らせていた。 >そして現在、それに代わる製造国を色々探しているところであり、日本が自ら作っても高すぎて途上国では売れない。 >需要の殆どがとりあえず使えれば良いとする消費者相手なのだから、日本でいくらよい物を作っても売れないのだ。 >日本は科学技術立国だが決して製品で利益を得ているのでなく技術で得ているのだ。

 

そうですね。わが国は実学 (技術) により利益を得ていますね。  

 

>とすれば先に書いた創造性がなくとも改良技術があれば良しとするのが、上記の創造性の無い理由なのかも知れない。

 

そうですね。無創造性が先か、改良技術が先か。言語教育に力を入れれば、我々の無創造性は克服できますけどね。

 

 

 

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日本の科学技術力 1/2

2020-10-26 16:41:07 | 文化

>2020-10-24 | > 技術力 [たかおじさん]

>米国が作りに日本が実用化する   

 

旅客機もそのようになると良いですね。   

 

>日本の科学技術力が世界でもトップクラスだとは何度も書いている。 >しかし、その日本が自らは科学技術により新しい物を生み出したことがあるかどうかを考えてみたとき、私には思いつかないのだ。

 

そうですね。日本人に創造力はないですね。洞察力がないから、他人の創造力を育む力もありません。  

 

(略)

>もう一つ、飛行機の発明は米国のライト兄弟とされているが、日本の二宮忠八はそれよりもかなり早く飛行機を設計し、模型を作って実際に飛ばしていた。>後はエンジンさえ手に入れば実際に人間の乗れる飛行機を作れるとして、当時の軍に再三資金援助を要請したが、軍は相手にしなかった。

 

当時の軍の首脳には、それに見合った洞察力がありませんでしたね。   

 

>その後ライト兄弟が人の乗れる飛行機を発明し、やっと軍も理解したが時遅しで飛行機の発明家はライト兄弟と言うことになっている。 

 

現実の内容に関しては日本人は一も二も無く認めますね。   

 

>現実に、後になって二宮忠八の描いた設計図にしたがって実際に飛ぶ飛行機を作ってみたところ、ちゃんと飛んだという。>軍が金を出していれば、飛行機の発明は日本人だった。 

 

タラレバの話ですね。  

 

>この飛行機も一度この有用性を国家が認めると、日本は極めて急速にその技術を高め、WW2では米軍を苦しめる優れた軍用機を沢山作っている。>日本軍の愚かさ加減は切りがないが、一度有用だと理解すればそれを採り上げ改良する技術は持っていたのだが、技術の応用の点ではやはり日本軍は遅れていた。 

 

日本人は非現実の世界に対する理解が不足していますね。’一度有用だと理解すれば’ ということは、現実の世界の事柄ですからね。  

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の考え (非現実) は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。Seeing is believing. だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。  

 

>当時世界最大の戦艦大和を建造したのは結構だが時は既に航空戦の時代に入っており、大和は殆ど実戦もせずに海の底へ消えた。 

 

日本人には洞察力がありませんね。洞察力は非現実の世界における物事の関係ですからね。非現実の話は日本人には信じられませんからね。     

 

 

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劣化する日本 2/2

2020-10-26 04:44:21 | 文化

 

>よりよい方策はあります。 >世界に目を向け、これはと思う人を選考会議が選び、理事会が承認すべきです。 

 

個人の能力に焦点を合わせるのですね。  

 

>社員の投票で代表取締役を選ぶ企業はありません。>総長に必要なのは、気概と能力と責任感。

 

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。  

 

>人気投票、つまり意向調査という従来の投票は、学問の自由とは関係ありません」 

 

そうですね。気分・雰囲気の問題ではありませんね。  

 

>  黒川氏の提言は明快である。

>人と組織に、「自立した意思と勇気を持ち、自らの役割を果たしているか」と、問いかける。

 

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく) 

 

>  マスメディアが例外であるハズはなく、こう指摘する。

>  記者クラブ制度のなか、互いに牽制して筆致を緩め、権力やスポンサーに媚びてはいないか。 

 

周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)     

 

>誰に遠慮することなく、読者に向けて堂々の情報発信をしているか――。

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、どんぐりの背比べで個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。

 

>  “真っ当”な問いかけであり、政府の圧力による学術会議騒動が、どの業界どの職種にも当てはまる普遍的な問題であることを感じさせてくれるのだ。

 

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に力を合わせることも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

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劣化する日本 1/2

2020-10-26 04:22:34 | 文化

 

>361271 学術会議元会長がズバリ指摘、劣化する日本型エリート「病理の正体」(1/2)

>山上勝義 ( 56 建築士 )  20/10/25 PM11 

>yahooニュース リンク 入り、以下転載

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> 学術会議元会長がズバリ指摘、劣化する日本型エリート「病理の正体」

>■「在り方」が問われる日本学術会議

>  日本学術会議の「在り方」についての論義がかまびすしい。

>  政府が6名を任命しなかった学術会議への人事介入は、「学問の自由」を巡る論義に発展したが、自民党はそれを在り方問題にすり替えた。

 

そうですね。’6名の任命’ と ‘会議のあり方’ は別の問題ですね。結論が出ても、そのリーズン (理性・理由・適当) が明らかでない。アンリーズナブル (理不尽) になっている。  

日本人には意思がない。だが、恣意はある。意思の内容は未来時制の文章になるので意味がある。恣意はバラバラな単語のままで文章にならない。だから、意味がない。

意思のある人には意思決定 (理性判断) がある。意思の無い人には恣意決定 (盲目の判断) がある。前者には意思疎通 (相互理解) があり、対話・議論が可能である。後者には恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があり、談合 (腹の探り合い) をするのが常である。

意思の人には意思決定にリーズン (理性・理由・適当) があるので、説明責任が果たせる。恣意の人には恣意決定に意味がないので、説明責任がとれない。この国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。とかくこの世は無責任。

 

>「『会議』の在り方を検討し直す作業チーム」を発足させ、14日に初会合を開き、年内に結論を出す方針だという。

>  目くらましというしかなく、野党やマスメディアは反発しているが、学術会議が政府と政権与党に絡め取られる“スキ”を与えた側面は否定できない。 

 

まともな議論が出来ないので隙だらけになりますね。  

 

>なぜ、学術会議は独立性を失い、人事権を握られ、「在り方」まで問われる存在となったのか。 

 

責任者の責任の無さを表していますね。   

 

>  03~06年まで学術会議会長を務めた黒川清氏に、「混乱の解」を求めてインタビューを申し入れた。>19日、快く応じた黒川氏は、「日本のエリートが、お上頼みで自立していないことが背景にある」と指摘、日本が抱える構造的問題に絡めて解説してくれた。

 

そうですね。日本語の欠陥が、社会の欠陥にまで発展していますね。

 日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。 (ウスビ・サコ)   

 

>  従って提言は、学術会議の問題から始まって、コロナ禍で停滞した治療薬・ワクチン問題、私が本サイトで“迷走”を指摘した東大総長選にも及んだ。

 

無哲学・能天気な日本人には迷走は ‘つきもの’ ですね。  

 

>  黒川氏は、東大医学部卒業後、インターンを経て東大大学院で博士号を取得して渡米。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で准教授、教授を歴任して帰国、母校で教授を務め、学会で数々の要職に就いたうえで学術会議会長となった。 >  現在は政策研究大学院大学名誉教授。11年には国会が設けた東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の委員長に任命され、12年7月、報告書を提出した。

 

ご苦労様でしたね。

 

>その報告書は、事故は自然災害ではなく、「規制の虜」に陥った「人災」だと明確に結論付けており、衝撃を与えた。

>  黒川氏は、規制する側(国)が規制される側(東電)に取り込まれ、本来の役割を果たさなくなってしまうことを意味する『規制の虜』をタイトルに本を書き、「日本の劣化」を世に問うた。 

 

ミイラ取りがミイラになった話ですね。日本人には意思がなくて規制がある。  

 

 (略)

>■東大総長選も揉めたが…

> ――いろんなカベが科学者、大学、企業を阻んでいる印象があります。 

 

根本的なところは言語 (日本語) の壁でしょうね。言語は伝達の手段であるばかりでなく思考の手段ですからね。日本人の考えかたに問題があるのでしょう。  

 

>学術会議騒動に隠れましたが、東大総長の選出を巡っても揉めました。 >  「総長選出が不透明になったと、総長選考会議が批判されました。 >ただ、これまでの人気投票的な選抜方法も間違っていると思います。

 

そうですね。  

 

 

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