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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

べき論 2/2

2020-05-18 14:09:12 | 文化

> 他の人がチャレンジしようとしている取り組みや未知なる領域の取り組みに対して、自分から飛び込んでいく力のことです。>この経験が、結果的に自分が何かをする際の巻き込み力につながるのです。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には意思がない。
意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人に意思 (will) がない。だから、優柔不断・意志薄弱に見える。

> 巻き込まれ力を高めるには、まずは自分がどんな人物なのか、何に興味があるのか、どんな強みがあるのか……などを情報として発信する必要があります。>今だとSNSなどがあり、情報発信しやすいでしょう。

そうですね。それは丁寧な自己紹介ですね。

>SNSをリア充アピールのために使うだけではなく、自分が巻き込まれるきっかけ作りと考えて情報発信してみるとよいのではないでしょうか。

日本人には意思がない。

>もう1つは巻き込まれる機会を短期的な損得勘定で捉えないということです。

社会奉仕・勤労奉仕のようなものですか。

>自分が得られるものを金銭や評価などで考えると巻き込まれ力は弱まります。>直接その取り組みから得られるものではなく、自分が得られる経験の方が重要だと考えてみましょう。

経験は自信につながりますね。

> 自分が巻き込まれていくことで、視野が広がり、視座が上がります。

社会参加のことですね。

>古代哲学者アリストテレスは、人を説得するには、ロゴス(論理)、パトス(熱意)、エトス(人格)の3つが必要だと説いています。>どんなに論理的に情熱を持って話したとしても、自分を信じてもらえなければ巻き込むことはできません。>エトス(人格)の中でも最も重要だといわれているのが実践から得られた知恵を持っていることです。

そうですね。’民信無くば立たず’ ですね。日本人には世界観 (world view) がない。それで遠い未来に行き着く先の内容を個人的に明らかにすることができない。だから、信頼が得られない。

>いろいろな取り組みに自ら巻き込まれていくことで、この実践知が蓄えられ、結果的に人を巻き込むことができるようになります。> 多くの方が巻き込み力、巻き込まれ力を高めていくことで、社会がよい方向に向かっていくことを願っています。

経験が自信につながりますね。だが、日本人には意思がない。だから意思疎通 (相互理解) も無い。意思決定 (理性判断) もない。だから、国際的な信頼が得られない。だが、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。だから、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。恣意決定 (盲目の判断) がある。そして、島国根性の励みがある。我々は、固有の習慣を変えなくてはならない。

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分に理解する必要があります。英語と日本語の考え方に熟達しよう。
さすれば、自己の意思の内容を表明できます。そして、恣意の世界から脱出できます。自己の意思の無い人は、他人の意思にも無関心である。だから、相互理解ができず協調関係に入れない。従来の主従関係から脱出できない。
自己の世界観を説明できます。とらえどころのない人間の状態から脱出できます。自己の世界観の無い人は、相手の世界観にも無関心である。だから、相互理解ができず協調関係に入れない。世界の孤児となっている。
だが、日本人には ‘理解’ (understanding) という英語の理解が難しい。理解と忖度 (推察) の区別ができない。個人主義と利己主義の区別ができないようなものか。それで、国際社会の理解が得られない。
カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎・上>  (The Enigma of Japanese Power) の <ジャパン・プロブレム> 中で、日本語の”理解”について下記のごとく述べています。(p.59)

“信念”が社会・政治的状況によって変わり、”リアリティ”も操作できるものであるとすれば、多種多様な虚構 (フィクション)を維持するのはかなり容易になる。このような虚構によってもたらされる国際的な言語表現上の混乱は、日本の評論家や官僚が”理解”ということばを口にするときの特別な意味づけによって、さらに複雑になる。”相互理解”をさらに深めることかが急務である、という表現をもって強調されることが多い。 
ところが、たとえば日本語で「わかってください」というのは、「私の言っていることが客観的に正しいかどうかはともかく、当方の言うことを受け入れてください」という意味の「ご理解ください」なのである。つまりそこには、どうしても容認してほしい、あるいは我慢してほしいという意味が込められている。したがって、このように使われる場合の”日本語”の理解は、同意するという意味になる。だから、”理解”の真の意味は、その人や物事を変えるだけの力が自分にない限り、そのままで受け入れるということである。、、、、、(引用終り)



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