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すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

魏志倭人伝をシナ人が読んで邪馬台国が分かるの?(@_@)

2022-05-09 00:28:37 | 古代史
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前々回から二度にわたってゆっくり歴史考察・調査チャンネル@YouTubeさんのいい動画で中々面白い議論ができましたのでご紹介します。お付き合いください。

taro yamada
邪馬台国、魏志倭人伝を誤記なしで地名を中国語発音で読めば、大分(宇佐神宮)になりますが?

理由は下記です。
道案内の基本は、距離と方角を言い、そこまでの行程でかかる時間(車で何分とか)を言います。
よって不彌國到着で終わりであり、何日かかるは帯方郡からの行程です。
また、魏志は中国の書物であり、国名を日本語漢字読みではなく中国語発音で読むはずです。
末盧國をマツラなどと絶対読みません。ムリュに近い音になります。

ゆっくり歴史考察・調査チャンネル
コメントありがとうございます!宇佐神宮周辺は大規模の遺跡が発見されたり、円墳が発見されたりと九州ならとても可能性が高い気がしますね。

刮目天
taro yamadaさん、魏志倭人伝を誤記なしで地名を中国語発音で読めば、大分(宇佐神宮)になるというのは凄いですね(^_-)-☆
大分だということを詳しく教えていただけないでしょうか?

taro yamada
@刮目天 様
コメントありがとうございます。

詳細なホームページ作ってありますが、youtubeのコメントにアドレスを表記できなくなりました。
このため、5ちゃんねるの「大分に邪馬台国があったらしいけど」の7番目に記載してます。

末盧國は門司、伊都國は宇佐市糸口、奴國は宇佐市中心部となります。
他の九州説のとの違いは末盧國を松浦ではなく門司にしているところです。
こうすると魏志倭人伝はいっさい誤記はありません。



taro yamadaさんのページより引用


刮目天
@taro yamada さん 「大分に邪馬台国があったらしいけど」を見つけてざっと拝見しました。感想を述べさせていただきますが、学術的な意見として異論があったらおっしゃってください。結論はわたしと近いものですが、残念ながらほとんど納得できる内容ではありません。
(1)従来考古学の観点から比定されている奴国までの場所と違うというのが大きいです。例えば奴国の中心都市の比恵・那珂遺跡群は吉野ヶ里遺跡の約4倍の大都市です。そこで約二万戸なのです。あなたのおっしゃられている奴国=宇佐、にそれほど大規模な遺跡は発掘されていません。投馬国=薩摩が5万余戸もあり得ません。
文献は人間が書くものですから、ウソもあります。現在までの考古学の成果によってウソを見分けるのが実証主義です。つまり考古学の成果を無視する議論は成り立たないというのがわたしの意見です。

(2)最近の話題にもなっていますが、弥生時代に文字が使われていた証拠が幾つも出てきました(硯石、木製組机など)。伊都国にはシナ人が出入りしている証拠として楽浪土器が集中して出土しています。つまり、漢字を読み書きできる倭人が居たと考えられます。伊都国に居た男王や高官らはシナ人と交流していたと考えられます。ですから、残念ながら魏志倭人伝に書かれた倭国の地名をシナ人の発音で推理するのは誤りだということです。詳細は拙ブログ「邪馬台国の謎を解く糸口は?(^_-)-☆」などを参照してください。

taro yamada
@刮目天 様
私の意見を記載します。
(1)については、私の意見は魏志からのもので。考古学的資料は考えていません。
ただ、いえることは、大分県中を掘り返していません。考古学的資料が無いからダメはかなり難しいです。
考古学は、文献でここだと言うのを掘り返して証明するのはいいですが?宇佐神宮すら掘り返してないと思います。
人口についても、一般的に日本は昔から人口が徐々に増えたと考えていますが、飢饉があれば減少します。
アイルランドなどは、ジャガイモ飢饉前の人口に今だに戻っていません。
また、邪馬台国の主食は米です。つまり石高から人口が推定できます。1600年前後の豊の国の
石高は50万石程度(1石/人)。当時、しかも倭国連合の中心(現在の東京一極集中といっしょです)
ですから2万戸程度はあったとしてもおかしくないと思います(西暦1世紀では福岡当たりが人口の中心で、
西暦3世紀では宇佐に移動してもおかしくありません)。
(2)私も文字は邪馬台国でも使用されていたと思います。ただ、日本特有の読みはまだ発生してないはずです。
当然、明治時代の日本人がアメリカを米国と呼んだように似た漢字の発音をあてる行為を中国人もするはずです。
邪馬台国の謎を解く糸口は?について
まず、魏志倭人伝が妄想であれば、邪馬台国自体無いと言われても言い訳できません。だから正確に解釈するようにしています。
特に、行程は魏の軍事面から見ておかしな記述をすれば魏の国が滅びますから、正確に記述するはずです。
さらに、男女の人口比ですが、戦前でも田舎では小学校レベル2:1で女子が多かったです。
男児は一般的に虚弱です(一姫二太郎の理由)。ただ、成人してからは、女性は出産があるため、死亡率が高まります。


刮目天
@taro yamada さん せっかくですが、わたしの見解に対する学術的な意見としての異論になっていません。
(1)掘ったら分かるかも知れないのならば、すくなくとも掘る前に、多くの人を説得できる科学的な根拠がないと掘れません。残念ながら、比恵・那珂遺跡に匹敵する規模の遺跡が宇佐市にあるという可能性は現在までの成果から見て、ほとんどないと思います。ということは、あるかも知れないという根拠で仮説を組み立ててもいいですが、検証しないと単なる想像でしかないということです。
ついでに言うと、わたしは安心院町三柱山宮ノ原遺跡周辺が卑弥呼が居た邪馬台国であることを見つけていますので、宇佐市はその一部であったとされたものと考えてはいます(拙ブログ参照)。もしも拙論に反論があれば教えてください。でも、七万戸もあるはずはありませんから、政治的な理由で大げさに書かれたと主張しています。拙ブログ「魏志倭人伝の真実?(^_-)-☆」をご参照ください。

(2)「日本特有の読みはまだ発生してないはずです。」は全く理解できません。倭人には倭人のことばがあります。縄文人にも旧石器人にもあったはずです。人間には脳みそと口と耳があります。安本美典「倭人語の解読」勉誠出版をご覧ください。
倭国にある地名や人名はもともと倭人が付けたものです。当たり前ですが、漢字が伝来する時期に初めて名前が付けられたわけではありません。漢字を読み書きできる倭人が倭国の地名や人名などを書いて魏側に教えたものだということです。ですから、シナ人の発音は全く関係ありません。倭人から聞いたことばを魏の役人が漢字にしたものでもないということですよ。

たとえば、山田太郎さんという日本人が米国人に自分の名前を教えるのに、アイ アム マウンテン・ライス・フィールド!とは言いません。アイ アム タロー ヤマダと言うはずです。常識的にこの米国人はヤマダさんをマウンテン・ライス・フィールドだと翻訳して記録しないと思いますよ(^_-)-☆

それから魏志倭人伝が妄想と言っている先生が盛んに著書をYouTubeで宣伝していますね。でも間違いですよ。邪馬台国は存在していることを突き止めましたから( ^)o(^ )

邪馬台国への行程は倭人が魏に教えたものですが、政治的な理由で、あるべき位置に置くためのつじつま合わせのデタラメになっているのです。後世の日本人に見つけてもらうために行程記事は書かれたのではなく、倭国が帯方郡の東南方向の海上にあり、ライバルの呉を挟み撃ちにできる戦略上重要な位置にある大国だと魏の朝廷の人々が理解できるように水行1月・陸行1月とデタラメを書いたのです。
ですから魏志倭人伝に倭国のことが正確に書いてあるはずというのはあなたの思い込みなのですよ( ^)o(^ )

taro yamada
@刮目天 様
(1)もちろん、考古学根拠は薄いです。しかし、掘り返すトリガーは何かあるからではないでしょうか?
三内丸山遺跡、吉野ケ里遺跡のようになにかあるから掘ってみたらとんでもないものが出たケースです。
初めから、そう思わなければ掘ったりしません。
私の説は基本仮設です。しかし、可能性の高いものを取るのが自然です。
魏志倭人伝と言う文書しかないのですから、これに基づき、邪馬台国を場所を推定するのが一番自然なやり方ではありませんか?
考古学的資料は金印とか碑文でも出れば別ですが、あくまで補助資料です。考古学的補助資料は宇佐神宮、安心院町三柱山宮ノ原遺跡がありますね。
安心院町三柱山宮ノ原遺跡で卑弥呼の墓がらしきものが見つかったとのこと。可能性は高く、私も支持しますが、他の論者に言わせれば決定的証拠にはなりません。

人口が大げさに書かれた可能性はあります。人口調査してる訳はありませんから、この部分はどうしても伝聞だし大げさにもなります。
しかし、これを一概に否定する根拠も考古学からというかもしれませんが薄いです。

(2)和人の言葉はありました。しかし、それを漢字に置き換える必要があります。つまり、日本語発音の地名を漢字で中国発音通りの表記する必要があります。
たとえ日本人が漢字にしたとしても、同じです。
「倭人語の解読」でも当時の中国音に基づきとAmazonの内容説明に記載されてます。ちなみに万葉かなは500年もたってからの話です。
まさか、漢字を知ってる日本人が日本の地名の意味をくみ取り、その意味の漢字に直したということですか?
となると、邪馬台国の周辺に出てくる国々の国名に差別的意味が多いので、日本人が中国人に我々はこんな野蛮な国だと言ってるようなものですが?

魏志倭人伝、あるいは、それを元にした写本以外で、邪馬台国の存在を確認できる証拠はなんですか
(卑弥呼は新羅本紀には登場しますが、その国は北九州あたりにいたと言う以外の記載ありません)?
考古学的なものであれば、邪馬台国はどこにあったという論争は決着しています。

魏志倭人伝に倭国のことが正確に書いてあるはずというのはなぜ思い込みですか?魏志以外の中国の正史でデタラメの記載がありますか(特に地名、方位、距離)?
さらに、魏志の作者の陳寿は、魏の後の晋の人間であり、魏志の執筆時、すでに呉の国は滅ぼされているので、邪馬台国をオーバーに書く必要はありません。
魏志の元資料を作成した役人の文書のコピーだとしても、現在のウクライナ戦争でも、部下が大本営発表して、プーチンに粛清されていますよね。
役人が和人の言うことをうのみにして自分の首(本当に殺される)をかけてここまでしますか?
また、面積が小さいから小国と意識はないはずです。かつてのスペインやイギリスを見ればわかります。


刮目天
@taro yamada さん
>初めから、そう思わなければ掘ったりしません。
まではいいですが、
>私の説は基本仮設です。しかし、可能性の高いものを取るのが自然です。
申し訳ないですが、その可能性は現段階でゼロだと思います。

それはあなたの仮説「倭国の地名は北京語の読みで場所を特定できる」について否定する意見を上で述べていますからご理解ください。つまり、倭人が倭国の地名などの倭人の読みを漢字で書いて教えたと分かるからです。

伊都国という字は漢字を読み書きして、孟子も読む教養人が書いて教えた国名なのですよ。これが大発見なのですよ!ウィクショナリ「伊」によると『「人」+音符「尹」。「尹」は、手で神杖を持った様を表わす象形文字。伊は神の意志を伝える聖職者。治める人の意を表す。調和をさせる様、殷初期の伝説の宰相伊尹(いいん)に因み嘉字とされ、人名、地名に用いられる。』(2022.5.19 赤字追加)

その他の国名や人名なども、漢字を読み書きし、漢字の意味を知っている倭人が、感情を交えて特定の漢字、いわゆる卑字を選んで書いて教えたのですよ。行程記事は政治的な理由で、事実と異なるものにしているのです。これが魏志倭人伝の真相なのです。この動画の鈴木信行様にその内容をコメントしていますのでどうぞ(^_-)-☆(注1)。

そこまで分かると、後はヤマト王権の成立過程を考古学や民俗学の成果を使って推理して、邪馬台国の位置も卑弥呼の正体も判明したということです。

少しだけ述べます。
弥生時代中期初頭(紀元前4世紀)に奴国の初代王天御中主が吉武・高木遺跡に居を構えたことから日本の歴史が始まります。龍蛇神(ナーガ)を信奉する江南系倭人の王です。地名も福岡市に那珂川がありますし、日本全国に那賀、長柄などなどの地名が見られます。顔に入れ墨した江南出身の倭人アズミ族が開発した土地です。

天御中主は記紀神話では高天原に最初に現れた神となっていますが、10世紀の大和朝廷が東大寺の僧奝然(ちょうねん)に持たせて南宋の太宗に献上した日本の「王年代紀」に二十三代の奴国王の名前が書かれ、筑紫の日向宮に居たとし、最後の王の4男が初代神武天皇で大和の橿原宮に都を遷したとあります。

ただし、第18代王素戔嗚尊が奴国宮廷楽師だった師升らのクーデターで殺された奴国王だと記紀神話からも分かります。志賀島で発見された金印はこの時にスサノヲの部下のアズミ族が隠したものだと分かります。

そしてクーデターを逃れた王子イタケルやその直系の子孫狗古智卑狗(豊岡市久々比神社の祭神久々遅命、イタケルと同じ木の霊ですので上棟式の祭神、代々王の襲名)がムナカタ海人族の王となり、スサノヲのコネで半島南部の鉄を旧奴国(狗奴国)勢力に供給し、隆盛になります。狗古智卑狗とのコネによって各地の部族長は鉄製品を入手でき、首長の権力が強くなって首長霊信仰がはじまり、古墳時代の幕開けです。

イタケルと同時に逃亡したスサノヲの弟がイタケルらの支援で吉備を平定し、奴国を再興します。王年代紀第19代王天照大神尊です。記紀では饒速日尊、先代旧事本紀では天照國照彦天火明櫛玉饒速日命です。楯築王墓の被葬者です。楯築神社の御神体亀石と言う弧帯文石が人面蛇体なのですから、中国神話に登場する人類の始祖神の天皇伏羲と同じなのです。ヤマトの大王が8世紀に天皇と呼ばれる理由は奴国大王の男系の子孫だからですよ(^_-)-☆



ちなみに、京都にある天皇家の菩提寺泉涌寺で、明治になるまで女性天皇を誰一人祀っていませんでしたから、女性天皇は全て藤原不比等のフェイクだったと分かりました。これは日本国民全員に知ってもらいたい大発見ですよ!詳しくは拙ブログ「日本書紀だけでなく続日本紀までもが?(*´Д`)」をご参照ください。

ということですので、お付き合い有難うございました。勝手ながらこれで打ち切りにしてください。拙論への疑問ならば議論に応じますので、ブログの方へ遠慮なくどうぞ。よろしくお願い致します。


(注1)刮目天のコメント
鈴木信行さん あなたの感想は当たっているかも知れませんね。でも、弥生時代に文字が使われていたことが前から分かっていましたが、最近続々と硯石が見つかった話題が新聞記事などにも出ています。そして伊都国の三雲遺跡番上地区から楽浪土器が集中して出ていますので、そこにシナ人たちが居住していたと考えられています。伊都国に王宮を置く倭国王らがシナ人と交流して漢字を読み書きできるようになっていたと考えられます。

そうすると、従来、魏志倭人伝に紹介される倭国の地名や人名などは、漢字を読み書きできない倭人から魏の役人が聞いて漢字を当てたという通説が成り立たなくなります。ですから、魏に漢字で書いて教えた倭人は、倭人間で通じる地名や人名などの発音に漢字を当てたということです。その際に敵対する、あるいは敵対していたが今は仲間になっている国や人名などを、漢字を読み書きできない人々に対して好い字を使わなかったのだと分かります。

例えば狗奴国は狗コロの奴国という意味です(ただし、奴国はナーガ=龍蛇神を信奉する国という意味で後漢光武帝に与えられた金印のつまみが蛇であることや、地名に那賀などとあることから分かります)。卑弥呼も卑しい巫女、あるいはヒメゴです(玄界灘を支配する、その子孫が和邇氏の縄文海人ムナカタ族の姫巫女と突き止めました)。狗奴国の官狗古智卑狗はこれほど蔑んだ名前にも呆れます(狗古智卑狗は兵庫県豊岡市の久々比神社の祭神久々遅命、スサノヲの王子イタケルと同じ木の霊ですから、棟上式の祭神でイタケルの子孫です。日本海沿岸と玄界灘などを活動域とするムナカタ族の王とされ、代々襲名しています)。

それに対して伊都国は殷(商)王朝初頭の有名な政治家伊尹(いいん)に因む国名です。孟子に登場し、放蕩な主君を追放したことで評価が議論される人物です。伊都国は107年に安帝に160人の生口(戦争捕虜を奴隷とした)を献上した帥升(倭面土国王師升、正しくは回土(ウィト)国王)の事績と一致します。奴国を滅ぼして倭国王に立った人物だという証拠があります。239年6月に帯方郡に出かけた大夫難升米は師升王の子孫で、魏から正規軍の軍旗「黄幢」が授けられていますから、軍事を掌握する人物、ほんとうの倭国王なのです。難升米が帯方郡太守劉夏と会談して伊都国と書いて教えた人物です(邪馬台国へのデタラメな行程記事も政治的な理由で書かれたものです)。難升米は固有名詞ではなく師升の一族の頭目(かしら)という意味でした。

奈良時代に奴国が儺県と書かれたことは知られていますが、儺は鬼やらい、神やらいの意味です。奴国王を追放した史実がこれらによって証明されました。また、当時の人は奴国滅亡の史実を知っていたのです。それを神話にしたのですから、日本書紀はデタラメな歴史書だったのですよ。詳細は拙ブログ「古代史を推理する」を参照ください



最後までお付き合い、ありがとうございます。
通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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