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古代史ランキング
以下の興味ある動画を見つけ、コメントしたところ、ご興味を持っていただいたウップ主様からとても有り難い回答を頂きました。さらに視聴者のYOさんという同好の士からとてもよいコメントを戴きましたので、ちょっとしつこい話かもしれませんが、どうぞお付き合いください(*^▽^*)
Y Oさん
刮目天一 様 私も刮目天様のブログをよく読んでいる者です。 古代史の分野だと、確定的な部分は少なくて推論の部分が多いと存じます。確定項目は今後も「無い」と思っております。 その中で、刮目天様のブログはまことに興味深いものだと思っております。
が、私の妄想とはちょっと違うかなぁと。 どちらかといえば妄想寄りの私なので、従来の説よりもぶっ飛んだ主張が好みです。 個人的には「支那の文書は間違ってない前提」の方が良いかと思っております。 これを間違いとしてしまうと、幅が広すぎになり自説に都合の良い解釈になってしまうからです。
陸行1か月を1日にしたり1年にしたり、南を東としたりすると、自分の思う場所に比定出来てしまうのでね。 ウプ主様や刮目天様も含め、いろいろな方々の論説を聞くのは非常に面白いことだと思っております。 確定の無い古代史において、柔軟な考え方を聞ける現在の状況は良い状況だと思っております。 (個人的には畿内説論者が何も言わないのがおかしいと存じます。畿内説で確定では無いのに、何余裕ぶってるのかと。) 今後も期待しております。
Y Oさん 拙ブログにご興味を持っていただき、なかなか本質を突いたいいコメントまで頂き、とてもうれしいです。有難う御座います。少し、回答が長文になりましたし、折角ですので、拙ブログでご回答させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします(*^▽^*)
まず、「妄想」という用語を明確にしてから議論すべきだと思いますのでそこから述べますね(*^。^*)
恐らく多くの方も同じだと思いますが、「妄想」は「空想」と同様で、ここでは「現実ではない、事実に基づかない想像」ということで良いかと思います。
それでは「事実」とは何かですが、それは「実際にあった事柄または現実に存在する事柄」と多くの人が考える客観的な概念ですね。一般的には「真実」も似たような概念ですので同じものとすることが多いですが、ここでは両者を区別した方が良いと思います。つまり、多くの人々が認知した「事実」にウソや偽りがある可能性もありますので、それがない絶対的なものを「真実」と考えるのが良いと思います。
そして、ある「事実」は検証によって「真実」ではないと客観的に分かる場合もありますが、多くの場合その「事実」が「真実」であるとは分からないかも知れません。でも、検証を繰返すことによりその「事実」が「真実」であるに違いないと思えるようになると、科学的な信念に変わるのだと思います。科学の要件には普通、客観性、実証性、再現性、論理性、予測性、反証可能性があげられますから、詳しくは説明できませんが科学的な手続きにこれらの性質が存在している必要があるのだと思います。
さて、古代史の分野ですが、おっしゃる通り推論の部分が多いのは事実ですし、確定事項は今後も「無い」というのは、厳密に考えるとその通りかと思われます。しかし、疑う理由も見あたらないか、確からしい事象はいくつもあり、それを事実と考えて検証を繰り返してアブダクションによる仮説形成手法から、そのような事実群をすべて矛盾なく説明できる仮説が得られると、その仮説が真実を説明している蓋然性が高いと考えるわけです。要するに、一つひとつの事実がどのように起こったのかの因果関係を推理し、その仮説を科学的に探求するということです。思い付きでも妄想でも想像でも何でも自由な発想で仮説を構築すればよいのです。それを事実によって検証して、全体を記述する物語にできるので、とても楽しい作業ですよ。
そして、ここが肝心なのですが、このような科学的な手法で得られた仮説によって、従来謎であったことが幾つも解き明かされることにより、その仮説への信頼がさらに高まります。
それによって逆に、取り敢えず事実と考えた確からしい事象群が真実であろうと考えることができます。
つまり得られた仮説もそこで考えた事実群も科学的な信念や確信にまでなるということなのです。
そして、従来、想像もできなかった大発見もできるのがこの手法の醍醐味というか、凄いところなのです!(^_-)-☆
さらに、ご指摘のシナの文献の件ですが、シナに限らず、疑う理由・根拠のあるもの以外は一応事実扱いしてよいと思います。検証の過程で虚偽と分かるかも知れません。そういうスタンスで、事実に基づく妥当な推論で仮説を組み立てると科学的ですので、説得力が出てきます。妄想や空想が好みの方は、自由にそうして構いませんし、空想であると断って他人に発表するのは、別に問題はないと思いますが、そのままではもったいないと思います。折角、考え着いた面白い、貴重なものですから、是非、検証をしていただくと大発見につながるかも知れませんので、お願いします(^_-)-☆
あ、それから、ご指摘の「陸行1か月を1日にしたり1年にしたり、南を東としたりすると、自分の思う場所に比定出来てしまうのでね。」の件ですが、全く同感です。
ですから、先に、考古学の成果による検証で日本建国の過程について仮説推論し、その結果、邪馬台国の位置を推定して、それに基づき行程記事のトリックを解明したということです。どうにでも解釈できる行程記事を根拠として邪馬台国の場所を推定しているわけではないので、この点が従来にない、ユニークで科学的な手法だとご理解いただけるとうれしいです。
これからも拙ブログにお付き合いいただき、刮目天の仮説を反証していただくのも良いし、仮説をさらに拡張して次の時代にも適合する仮説を構築していただくのを期待しています。これからもいいコメントを頂けると研究が進みますので、どうぞよろしくお願い致します(*^▽^*)
【関連記事】
アブダクションは科学的な信念形成の手法だ!( ^)o(^ )
最後までお付き合い、ありがとうございます。
通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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刮目天一 様 私も刮目天様のブログをよく読んでいる者です。 古代史の分野だと、確定的な部分は少なくて推論の部分が多いと存じます。確定項目は今後も「無い」と思っております。 その中で、刮目天様のブログはまことに興味深いものだと思っております。
が、私の妄想とはちょっと違うかなぁと。 どちらかといえば妄想寄りの私なので、従来の説よりもぶっ飛んだ主張が好みです。 個人的には「支那の文書は間違ってない前提」の方が良いかと思っております。 これを間違いとしてしまうと、幅が広すぎになり自説に都合の良い解釈になってしまうからです。
陸行1か月を1日にしたり1年にしたり、南を東としたりすると、自分の思う場所に比定出来てしまうのでね。 ウプ主様や刮目天様も含め、いろいろな方々の論説を聞くのは非常に面白いことだと思っております。 確定の無い古代史において、柔軟な考え方を聞ける現在の状況は良い状況だと思っております。 (個人的には畿内説論者が何も言わないのがおかしいと存じます。畿内説で確定では無いのに、何余裕ぶってるのかと。) 今後も期待しております。
Y Oさん 拙ブログにご興味を持っていただき、なかなか本質を突いたいいコメントまで頂き、とてもうれしいです。有難う御座います。少し、回答が長文になりましたし、折角ですので、拙ブログでご回答させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします(*^▽^*)
まず、「妄想」という用語を明確にしてから議論すべきだと思いますのでそこから述べますね(*^。^*)
恐らく多くの方も同じだと思いますが、「妄想」は「空想」と同様で、ここでは「現実ではない、事実に基づかない想像」ということで良いかと思います。
それでは「事実」とは何かですが、それは「実際にあった事柄または現実に存在する事柄」と多くの人が考える客観的な概念ですね。一般的には「真実」も似たような概念ですので同じものとすることが多いですが、ここでは両者を区別した方が良いと思います。つまり、多くの人々が認知した「事実」にウソや偽りがある可能性もありますので、それがない絶対的なものを「真実」と考えるのが良いと思います。
そして、ある「事実」は検証によって「真実」ではないと客観的に分かる場合もありますが、多くの場合その「事実」が「真実」であるとは分からないかも知れません。でも、検証を繰返すことによりその「事実」が「真実」であるに違いないと思えるようになると、科学的な信念に変わるのだと思います。科学の要件には普通、客観性、実証性、再現性、論理性、予測性、反証可能性があげられますから、詳しくは説明できませんが科学的な手続きにこれらの性質が存在している必要があるのだと思います。
さて、古代史の分野ですが、おっしゃる通り推論の部分が多いのは事実ですし、確定事項は今後も「無い」というのは、厳密に考えるとその通りかと思われます。しかし、疑う理由も見あたらないか、確からしい事象はいくつもあり、それを事実と考えて検証を繰り返してアブダクションによる仮説形成手法から、そのような事実群をすべて矛盾なく説明できる仮説が得られると、その仮説が真実を説明している蓋然性が高いと考えるわけです。要するに、一つひとつの事実がどのように起こったのかの因果関係を推理し、その仮説を科学的に探求するということです。思い付きでも妄想でも想像でも何でも自由な発想で仮説を構築すればよいのです。それを事実によって検証して、全体を記述する物語にできるので、とても楽しい作業ですよ。
そして、ここが肝心なのですが、このような科学的な手法で得られた仮説によって、従来謎であったことが幾つも解き明かされることにより、その仮説への信頼がさらに高まります。
それによって逆に、取り敢えず事実と考えた確からしい事象群が真実であろうと考えることができます。
つまり得られた仮説もそこで考えた事実群も科学的な信念や確信にまでなるということなのです。
そして、従来、想像もできなかった大発見もできるのがこの手法の醍醐味というか、凄いところなのです!(^_-)-☆
さらに、ご指摘のシナの文献の件ですが、シナに限らず、疑う理由・根拠のあるもの以外は一応事実扱いしてよいと思います。検証の過程で虚偽と分かるかも知れません。そういうスタンスで、事実に基づく妥当な推論で仮説を組み立てると科学的ですので、説得力が出てきます。妄想や空想が好みの方は、自由にそうして構いませんし、空想であると断って他人に発表するのは、別に問題はないと思いますが、そのままではもったいないと思います。折角、考え着いた面白い、貴重なものですから、是非、検証をしていただくと大発見につながるかも知れませんので、お願いします(^_-)-☆
あ、それから、ご指摘の「陸行1か月を1日にしたり1年にしたり、南を東としたりすると、自分の思う場所に比定出来てしまうのでね。」の件ですが、全く同感です。
ですから、先に、考古学の成果による検証で日本建国の過程について仮説推論し、その結果、邪馬台国の位置を推定して、それに基づき行程記事のトリックを解明したということです。どうにでも解釈できる行程記事を根拠として邪馬台国の場所を推定しているわけではないので、この点が従来にない、ユニークで科学的な手法だとご理解いただけるとうれしいです。
これからも拙ブログにお付き合いいただき、刮目天の仮説を反証していただくのも良いし、仮説をさらに拡張して次の時代にも適合する仮説を構築していただくのを期待しています。これからもいいコメントを頂けると研究が進みますので、どうぞよろしくお願い致します(*^▽^*)
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アブダクションは科学的な信念形成の手法だ!( ^)o(^ )
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通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
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個人的には、古代史好きの素人に過ぎませんので、論説なんてとんでもないかと存じております。
私の言う妄想とは、科学的な話は玄人さんに任せて、もっと自由に思考をしてみるということ。ずばり「直観」ですね。
例えば、
邪馬台国の時代背景って、ちょっと太平記の時代に似てるのではと思ったこと。
後醍醐天皇に従っていた足利尊氏は京都から都落ちをして、九州で勢力を拡大して「東征」
北朝京都に足利幕府、南朝吉野に後醍醐天皇、空白地の九州に後醍醐天皇の息子の懐良親王が大宰府に駐屯してる状況です。
九州の懐良親王は、日本国王「良懐」として明に支援要請。大宰府で日本国王を名乗るけれど吉野に天皇がいるのは知ってるはず。明側の見解としては「日本国内の内戦」とみてる。
ちょうど一大率が筑紫にいて伊都国王、大和には卑弥呼がいるのを知ってる状況だが行くに行けない。敵対する狗奴国(足利)は目の前の京都にいる。南じゃなくて北だけど。東北には北畠顕家とか、越には新田、関東には北条の残党もいる。「倭国大乱」とみられてる。
卑弥呼が死んで男王が立っても収まらず、臺与を立てる。て南北朝っぽいしな。
我ながら妄想だよなぁ。
今後も見てますので、よろしくお願いいたします。
早速、またコメントいただき有難う御座います。
なるほど、南北朝時代と倭国大乱の構図は似ていますね。残念ながらこの辺りのわたしの知識は素人並みですから、突っ込んだ議論はできませんが、あなたが直感でというのはなかなかセンスがありますね(^_-)-☆
人間には無意識で関連性を見つけ出す能力が備わっているので、それが実証されると科学的な信念に変わっていき、説得力ある推論に広がりますから、是非頑張ってください。
大事なことは、執念ですかね。結構、夢でいいアイデアが浮かぶのですが、目が覚めると、いいアイデアが浮かんだという記憶しか残っていないので、思い出そうとすることが時々あります。夢の中で何かを掴んでいるはずなのにと、もどかしく思うことがありますが、忘れてしまいます。それをしつこく忘れずにいると、ヒントを思い出して、記憶がよみがえるかも知れません。
こういうことって楽しいですよね。いろいろと考えてみてください。それが夢の基になっているのだと思いますから。また、いいコメントをお寄せください(*^▽^*)