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刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

【刮目天の古代史】魏志倭人伝に騙されるな!(;^ω^)

2025-03-28 23:09:35 | 古代史

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#一週間ほど日本ピラミッド葦嶽山と米神山の日の神谷の調査をしてきましたので、ブログを休みました。成果についてはまた機会を見てご披露させていただきます。とりあえず、今晩の記事は河村先生の動画に関係して例によってご迷惑なコメントを差し上げています。よろしければ、お付き合いください( ^)o(^ )

第49回邪馬台国と狗奴国3/5~鉄の王国・熊本!?知られざる弥生の真実
河村哲夫の日本古代史チャンネル

いつも勉強させていただいています。

しかし、多くの皆さんは魏志倭人伝が残された政治的な目的を理解していないから、倭人伝の記述に振り回されて、邪馬台国や狗奴国の位置関係も、卑弥呼の正体も正しく理解できていないので邪馬台国問題を解決できないのだと考えています。

陳寿は、西晋の創業者で魏の実力者の司馬懿の功績を上手に持ち上げるために倭人伝を残したのです。その証拠はいくつもあります(詳しくは岡田英弘「日本史の誕生」(弓立社)を参照)。

ですから、書かれた内容がそのまま真実ではなく、政治的な理由でかなり潤色されていますが、目的が分かると、どこが潤色かはだいたい分かります(詳細は「【刮目天の古代史】邪馬台国の謎」参照)。邪馬台国への行程記事は倭国の王都を、ライバルの呉を東海上から挟み込む位置にある大国としていますので、方角や距離を操作しているのです。

 

さらに、本当の倭国王は伊都国男王で、107年に後漢安帝に朝貢した帥升の子孫でした。景初三年(239年)六月に魏への朝貢のために帯方郡に出向いた難升米だったのです(詳細は「伊都国の意味がヒントだった?」参照))。

難升米は朝貢していた公孫氏が司馬懿に滅ぼされて、次は倭国が魏に攻められると怖れていたところ、司馬懿の部下の帯方郡太守劉夏から協力要請があり、丁重に呼び出されて、渡りに船で駆け付けました。
司馬懿の功績を曹魏第一等のものに仕立てるために卑弥呼を倭国女王ということにしたのです。実際は、ムナカタ海人族の姫巫女で、その父は半島の鉄を狗奴国側に運ぶ族長の赤坂比古(和邇氏の祖、天理市和邇坐赤阪比古神社の祭神が市杵島姫命卑弥呼)です(詳細は「消された和邇氏の正体が建国の謎を解くカギ」参照)。


二世紀末に半島が混乱して倭国が楽浪郡との交易ができずに衰退していたところ、帥升(正しくは師升)に殺されて倭国を奪われた宋史 王年代紀18代奴国王素戔嗚尊スサノヲの子孫の狗古智卑狗(豊岡市久久比神社の祭神で木の神久久遅命、久々遅彦はムナカタ海人族を束ねる王の襲名)が菊池川流域に前線基地を作って、山陰や畿内から兵士を呼び寄せて、倭国側の筑紫平野・佐賀平野などの集落を襲い、倭国を滅亡寸前まで追い詰めていたのですが、204年公孫氏が半島を平定して帯方郡を設置したので息を吹き返し、油断していた久々遅彦が倭国軍に急襲されて戦死したと推理しています。

大活躍していた王を喪ったナンバーツーの赤坂比古が途方に暮れていたところ、倭国王に懐柔されて、卑弥呼が告げる太陽神の神託によって政治を行う条件で狗奴国を裏切ったのです(詳細は「【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」参照)。赤坂比古が半島の鉄を入手して、倭国は対外交易が復活したので隆盛になりました。九州・中国西部・四国の勢力が赤坂比古の傘下となり狗奴国を圧倒する大勢力になったのです。

狗奴国王弓卑弥呼は、スサノヲの弟で、奴国を脱出し、吉備を平定して奴国を再興した19代奴国王天照大神尊ニギハヤヒの子孫です。ニギハヤヒが楯築王墓の被葬者です。日本書紀は吉備津彦として誤魔化していますが、平安時代に朝廷が皇祖神であることを白状しています(詳細は「【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?(*^▽^*)」参照)。


狗奴国王は吉備から纏向遺跡に王都を遷して、旧奴国勢力を集めて対抗したのです。五世紀の范曄は女王国と狗奴国の位置関係を正しく記載していました。邪馬台国は宇佐でした。宇佐市安心院町宮ノ原遺跡に三女神社があり、卑弥呼の宮室でした。卑弥呼の墓ですが、径百余歩の冢、つまり直径約150mの円形墳墓「三柱山古墳」を発見しています(詳細は「【刮目天の古代史】卑弥呼の謎!」参照)

旧奴国を狗奴国と書いて教えたのも、その他倭国内の国名、職名や人名などを漢字で書いて教えたのも倭国王難升米だったのです。伊都国という国名は殷王朝初期の伝説の政治家伊尹(いいん)に因むものです。臣下でありながら王を追放した伊尹の事績と奴国宮廷楽師の師升の奴国王を殺して倭国を奪った事績とが重なるのです。これで邪馬台国問題は解決しました。どうもお邪魔しました(#^.^#)



詳細は「投馬国へ水行してみませんか?」参照。

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【邪馬台国問題】五世紀の范曄がすでに解明していた(^_-)-☆

卑弥呼の死の直前の状況を下に示します(^_-)-☆