刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

【衝撃】卑弥呼の霊が不比等のウソを暴く?(@_@)

2021-02-17 12:01:30 | 古代史
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タイトルですが、前から怪しいなと思っていた藤原氏の氏神を祀る春日大社の祭神について、卑弥呼の霊ラインを描いてみて衝撃的な事実?が判明しました!

やはり睨んだとおりでした(*^。^*)

このところ例のレイラインにハマって夜更かしが祟って、頭がもうろうとしています。

夕べ、今度は卑弥呼の霊ラインを調べるために宗像大社の沖ノ島沖津宮から大島中津宮、辺津の宮とラインを引いたのですが、その先が繋がりません。また宮島厳島神社から安心院町の三女神社(さんみょうじんじゃ、宗像三女神降臨伝承地葦原中国の宇佐嶋、卑弥呼の宮室)までラインを引いたらそこまででした。

う~~~~ん!そこで、ひらめきました(^_-)-☆

宗像大社三宮のラインと宮島厳島神社ー三女神社ラインを延長すると一点で交わります。なんとその地点(大分県玖珠町山浦)に、春日神社があるじゃないですか(^_-)-☆

そこで、春日大社とその元宮の枚岡神社をラインで結ぶとほぼピッタリ沖ノ島にたどり着くじゃありませんか(^_-)-☆

それじゃあ、不比等が神社名を強引に変えさせた卑弥呼の日蝕(食)に因む近江八幡市の日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)から先程の玖珠春日神社にラインを引くと、春日神を京都で祀る吉田神社や京都御所の上を通過し、四国に入ると香川県で厳島神社の上も通過し、愛媛県松山市の三津 嚴島神社(みついつくしまじんじゃ)のうえもキッチリ通過しています(@_@)

それじゃあ、春日大社に勧請した千葉県の香取神宮の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)と茨城県の鹿島神宮の武甕槌神(建御雷神、タケミカヅチ)が気になって、宗像大社辺津宮から吉田神社に線を引くと、その延長線上で鹿島神宮ではなく香取神宮にぶち当たりました(*^。^*)
ははあ~、国譲り神話で活躍した二柱ですが、どうも謎解きのヒントを貰ったようです。これについてはまた改めてお話ししますね(*^^)v



春日神の残りの二柱、天児屋根命 (アメノコヤネ)が中臣氏・藤原氏の祖神で、比売神が天児屋根命の妻ということになっていますが、この比売神こそ宇佐八幡の比売大神卑弥呼だということなんですよ!

安心院町妻垣神社の一柱騰宮(いっちゅうとうぐう)は神武東征の最初に立ち寄った場所です。神武天皇の母玉依姫(タマヨリヒメ)の墓ということですが、そこでウサツヒコとウサツヒメの歓待を受け、藤原氏の遠祖天種子命(アメノタネコ)がチャッカりとウサツヒメを娶った話にしています。

しかし、一柱騰宮が卑弥呼の墓だということはすでに矢野武夫氏が「卑弥呼の墓発見―安心院一柱騰宮」 (1981年) (安心院文化叢書)で述べています。刮目天は大国主久々遅彦が卑弥呼の死後の内戦に勝利して、妃の台与を伴って、卑弥呼を魏志倭人伝にある安心院町三柱山の径百余歩(約150m)の円墳からここに改葬したと推理しています。ですからウサツヒコとウサツヒメは大国主と台与なのです。アメノタネコとウサツヒメの結婚の話は真相を誤魔化すための「日本書紀」の作り話と考えています。古事記でもその話はカットしているので分かります。

枚岡神社の創建の話ですが、アメノコヤネと比売神をアメノタネコが神武東征の祈願のために勅令によって祀ったとありました。神武東征も建国の真相かくしの創作ですから、前からこれも怪しいと思っていました。

卑弥呼の霊がしっかり教えてくれましたよ。

ちょっとオカルトっぽい話になってしまいましたが、

信じるかどうかはあなた次第です!



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